これはまた①とは別の例です。私が医学部に合格して、医大生として悪戦苦闘していたころ、3人の受験生が私の所に相談に来ました。全員30代のおじさんです。 
 おじさんHはもともと理系のため、非常に導入がスムーズでした。参考書を提示しただけで、あとは早速自習が始まりました。たいだいのペース配分を教えて、いついつまでに参考書のここまで終わらせてくださいとだけ、助言し、あとは困ったことがあればいつでも相談に乗ると話しておきました。3か月後に進行状況を聞くために再会することにしました。ところが、当日になって、参考書の目標まで半分ほどしか終わっていないことが判明しました。本人は色々と言い訳をしていましたが、大事なのは理由ではありません。間に合わないと思った時点で、何ら手を打たなかったことです。自分で解決するか、できなければ私に相談するなり方法はいくらでもあったはずです。プライドなのか、気を使ったのか知りませんが、再受験で人生の残り時間が少ない時点で、3か月を無駄に過ごしたという事は致命的です。私はその時点で今後のアドバイスをすることを断りました。受かる可能性のない人に時間をかけるのはお互い無駄だからです。残念ながらその後Aさんが受かった話は聞いていません。
 おじさんJはわりと有名な私大出身でした。私が相談を受けた時は国立を目指していたせいもあり、なかなかの成績でした。国立は無理でしたが、私立の低い所なら受かる可能性がありました。しかも幸運なことに学費の援助をしてくれる人がいて、学費のめども立っていました。私は勉強はもうそれほど教えることはないので、受験校だけアドバイスすることにしました。つまり私立の専願です。ところが、Jさんは結局私立は受験せず、国立一本で受験し、あえなく玉砕しました。2年目は私立も考えていたようですが、気力、体力、知力が前年と比べ、落ちてしまい、私立も難しい状況でした。残念ながら2年目で私ができるアドバイスはありませんでした。その後は風の便りに受験をあきらめたと聞きました。
 おじさんKは偏差値40台の大学出身でした。もともとの学力が低かったため、医学部のレベルに到達するのに3年かかっていました。偏差値は50台に突入していましたが、今一つ伸び悩んでいました。親に勘当され、彼女に振られ、友人宅に泊まり込んで生活していました。しかし、私と会ったときの印象は、眼光は鋭く、内からエネルギーが満ち溢れていました。とりあえず、偏差値が60以上にならないと話にならないので、私は教材を繰り返すことの大切さだけを教えました。彼は私の助言を聞き、その通りに実践し、底辺の私大数校に受験校を絞り、そのうちの一つに見事合格しました。彼は合格通知を握りしめ、勘当された家に戻り、学費の懇願をしたと言います。実家はそれほど裕福ではなかったようですが、親があちこちに相談し学費を工面したと聞きました。
 これは前記事とは全く異なる人物の例ですが、どこか似たものを感じます。前記事のおじさん3人と今回の記事では10年のスパンがありますが、やはり合格するには一定のパターンがあると思います。そして失敗する人たちにも共通するパターンを感じます。ぜひ参考にしてください。

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