三法印について1 2019年10月15日 | 法理 私たち衆生はいつまでたっても尽きることのない「三法印(諸行無常、 諸法無我、涅槃寂静)」を持ち合わせているのです。 ですから「三法印」を自分のものとする目的を持って修行しなければなりません。 これは間違いですが、「最初から目的を持ってはいけない、という目的」を 持ってしまいがちになります。 「本覚思想」とか「無所悟無所得」とかです。 よくよく自分自身に反芻して、注意して受け取って頂かなければいけません。 « 本来成仏について3 | トップ | 三法印について2 »
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