活かして生きる ~放禅寺の寺便り~

娑婆世界を生きる智慧/おシャカ様・禅・坐禅・法理・道のこと

観念と事実4

2020年04月03日 | 法理

「観念と事実」をはっきり自分自身で承知することです。

 

承知の出来ない人は「坐る(修行する)」ことに因って承知をして生活をしていきさえすれば「観念と事実」との違いが分かってきて、「法の生活が出来る」というのが仏教の教えです。

 

「心仏仏及衆生、是三無差別」というお言葉があります。

 

「心仏及衆生」とは心と仏と衆生と三つありますが「そのまま」で差別が無いという意味です。

一切目に見えるもの、聞こえるもの、世の中の現象は全部衆生ということです。

 

何故かというと「無自性(全てのものには自性がない)」だからです。

「無」というのは「有無の無」では有(在)りません。

 

仏教では比較する何物も無い物を「無」という言葉で言い表しています。

つまり「真実体」ということです。

 

「そのもの自体」を「無」といっているのです。

 


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