活かして生きる ~放禅寺の寺便り~

娑婆世界を生きる智慧/おシャカ様・禅・坐禅・法理・道のこと

純粋な働き3

2019年12月02日 | 法理

ところが「此の身を認めて、自分だと思っているもの(自我)」がそういう

「純粋な働き」をしているものの邪魔をするのです。

 

そのために「素直に見えている(これから素直に見ようと思うのではありません、

すでに素直に見えているのです)もの」をわざわざ「私の都合に因って」

という見方をするのです。

 

これはそのものの働き以外のものです。

 

ものと自分との間にわざわざ「素直」などという邪魔をするものをつくって、

見たり聞いたりするために構える姿勢が出て来てしまう訳です。

 

そして、次から次へと「素直に受け入れよう」という考えを巡らしてしまう

のが私たち衆生の日常生活の実態なのです。


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