心縁の相2 2020年07月04日 | 法理 私は「坐禅」を勧めなければなりません。 「坐禅」を摂めれば他に説明は要りません。 「坐禅は坐禅なり」です。 直ちに「一心」が証明されるのです。 「一切手の付かない仕事」を為さっている事が分かります。 しかし、「手が付かない」というのは意識です。 今まで、無意識に手を付けていたものを「手が付かない」と離せば「離す」という意識が有(在)ります。 それは間違いです。 元来、「物 その物」は「不即不離の物」です。 « 心縁の相1 | トップ | 相対的認識1 »
コメントを投稿 ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。 名前 タイトル URL ※名前とURLを記憶する コメント ※絵文字はJavaScriptが有効な環境でのみご利用いただけます。 ▼ 絵文字を表示 携帯絵文字 リスト1 リスト2 リスト3 リスト4 リスト5 ユーザー作品 ▲ 閉じる コメント利用規約に同意の上コメント投稿を行ってください。 コメント利用規約に同意する 数字4桁を入力し、投稿ボタンを押してください。 コメントを投稿する