東京は、今日も相変わらず渋滞している。こんな時間の浪費にとうとう痺れを切らして脱都会、都落ちを決めた。行き先は自分の時間を自由に使える所、排気ガスのないきれいな空気の所、等々、思いつくまま条件をあげ、現在はその条件にあてはまる所でも交通至便の所はすぐに東京並になる可能性が高いので、東海道、山陽道は最初から敬遠し、全国数カ所に絞り、多少辺鄙であっても良しとせざるを得ず、山陰地方に焦点を絞った。

 住めば都とは言うけれども、米子では富士山によく似た大山が青空の中に聳えている。何よりも静かなのがいい。少し出ると波打ち際の松林の木の間隠れに美しい砂浜が広がっており、まるで、天女が羽衣をひるがえして、今にも現れるかのような錯覚に導いてくれる。少し山手の方へ登り見下ろすと、晴れた日には隠岐の島が望見できる。地図と地理辞典などで調べ、冒険といえば冒険だったかもしれないが、この都落ちに気も心も晴れ晴れしたことだった。

 とはいっても、遊んで暮らせるわけにはいかない。「勤める」ということは一日の中で最も良い時間を売って金にするということに他ならないし、その時間も勤務時間八時間だけではない。通勤の往復の時間も当然無償提供することになる。その時間の浪費に嫌気がさして都落ちしてきたのだから、もっと自分の時間が自由に使えるようにと個人商店をやりだした。

 当然これは都落ちの時に計画には入れていたことなのだが、実行してみて何とか食べてゆくのに見通しもついた。大儲けには全く興味がなかった。売れ過ぎて大忙しになり、時間がつぶれないように、ということを念頭に、週休五日制をやり出した。

 わたしの日課は、週に二日だけ商売の仕事をする。残りの五日は自分の仕事、すなわち用例採集に没頭することを意味する。これはオーナーであるわたしだけの気儘でしかないが、従業員は妻と娘だけ。都合が悪ければ何時でも自由に休んでもよいという、甚だ呑気な商店だった。

 生活の安定と時間の余裕と共に、冬籠もりしていた虫が動き出してきた。卒業論文で「意味論」を未完の儘提出した負い目もあるが、言葉の意味に迫るためには理論ばかりではなく、いろいろな言葉について、その上を虫が這いずり回るように観察し、比較して考える必要がある。このことは、先生が垂涎の的にされておられる、用例の採集と揆を一にする。

 「新聞からだけでいいですよ。」と仰有ったが、先生はその取り方、方法などについては一言「自由に。」とだけしか仰有られない。どういう形式で、どんなことばの用例がお入り用になるのか、最初の間はまるで雲をつかむようなことだった。継続して採集してゆくのに、途中で方針や方法が変わっては、採集したものの統一性がなくなって利用しづらくなる。先ず最初の大方針を決めるのが先決とばかり、この時期、先学見坊さんのお書きになった御本を旱天の慈雨のように貪り読んだものだった。

  朝日選書 「ことばの海をゆく」
  玉川選書 「辞書をつくる 現代の日本語」
  玉川選書 「辞書と日本語」
  筑摩書房 「ことばのくずかご」

 その上で、わたしなりの用例採集規則を作成して、初回のカードを一年分と、その前から取り溜めていた手書きのカードをお届けした。

 米子へ都落ちしてからは、好きな時に先生のお宅を訪問するというわけにはいかず、一年に一度、全く七夕様のように春にお訪ねするということに定着した。

 手書きの採集方法には利点も多いが、欠点も多い。何分にも時間がかかり過ぎるということで、先生からお送りして頂く※カードに、その言葉が使われている前後の文章をなるべく長くとり、その部分をこのカードに糊付けすることにした。

 ※このカードは横74ミリ縦208ミリの大きさで、幾分厚めの上質紙である。恐らく見坊コレクション(=先学見坊さんが採集された用例集)のカードと同等のものだと思う。

 新明国の編集主幹をお引き受けされた時点で先生は、※徒手空拳(用例採集、皆無に近き状態)だったと述懐されておられる。

 ※山田忠雄述「近代国語辞書の歩み その摸倣と創意と 上」 例言 五
が、その新明国初版の序文「新たなるものを目指して」の中で、「その語の指す所のものを実際の用例についてよく知り、よく考え、本義を弁えた上に、広義・狭義にわたって語釈を施す以外に王道は無い。辞書は、引き写しの結果ではなく、用例採集と思索の産物でなければならぬ。」とされておられる。ならばもっと早くから行動を起こすべきだったと悔いはしながらも、それだけに一枚でも多く、ひと時でも早く用例をお届けして先生の御希望に沿いたい。

 ということで、この時期に※「100万の用例」をお持ちの先学見坊さんに「追いつけ!追い越せ!」を至上命令として漸くスタートすることにした。

 ※前述「辞書をつくる ―現代の日本語」  見坊豪紀著 玉川選書 141ページ
  「ことばの採集が、このほどついに百万枚に達した。」とある。

 しかし、余り定かではないが、用例採集は見坊さんおひとりで、おやりではないらしい。複数の方が手伝っておられるようである。まともにやっていては、一人対複数で勝ち目はない上に100万枚の差をどうして追いつき追い越せるのか。更には、先生は用例を殆どお持ちではなく、ノドから手が出る程お入り用になっておられるわけで、当面の目標としてとにかく、数多く取ること、どうすれば早く取れるかを考え抜いた。

 暫く採集を続けていると、そのうまい方法が判ってきた。先生が「新聞からだけでいいですよ。」と仰有っておられたので、朝日新聞(米子市では夕刊がなく朝刊のみ)からの採集ということになるが、前記の横74ミリのカードに新聞の一般の記事では15行分が入れられる。従って、横幅の最長の長さ15行分の記事のみを対象にして採集することにした。

 その理由は新聞紙を切り取る場合、一段(一二字詰め)で一五行までの記事であれば、長い記事の一部分とは違ってそれだけですべてであるから、あとでそこだけを読んでも、理解しやすいということであるし、何よりも採集するスピードアップにつながるということが判った。

 採集する度にその記事を切り取って、所定のカードに糊付けするわけだが、一段(一二字詰め)一五行迄の記事ならば、その記事を四角く切り取り、カードに貼り付ける、それで一応一枚の用例が誕生することになる。

 この場合と同じ分量の一五行の記事でも二段、三段にわたって編集されている場合、二段目が一段目と離れてずっと右の方に飛んでいることが多く、こんな場合は四角く切り取る作業を二枚分、そして糊付けする作業も二枚分行う必要がある。改段のない一段一五行迄のものと比べると、切り取るのに二倍、糊付けするのに二倍と仕上がりスピードは四分の一に急減してしまう。少しでも早く少しでも多くということのためには、改段なしの一段一五行以内の記事が最適であるということを、やり出してすぐに発見した。

 これよりは多少時間はかかるけれども、一五行迄の編集で二段から五段迄の改段によって左右にズレのないものもよしとした。六段になると所定のカードに貼り付けると、日付けなどの必要情報を記入できなくなる。この許容によって、ある程度複雑な文章の記事も採集の対象になる。

 何れにしても、一つの記事全部を四角く一枚に入るように切り取って、それを一枚貼り付けることで一枚のカードが仕上がるようにという条件を守り、その記事から「自由に」ことばを選択して一年間やってみた。枚数をいちいち勘定していないが、恐らく十万枚近く採集したのではないか。とすれば、見坊さんが複数人数で四十年間百万枚の用例をと仰有っておられても、十年もすれば手の届く範囲に迫るという計算になる。「見坊さんに追いつけ!追い越せ!」の目安はついたことになる。あとは実行あるのみ。


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