近江大津めぐり④~天孫神社とシノ宮~ | NAVI彦 ~つつがなき神さまめぐり~

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神社めぐりをしています。
その土地ならではのお話も、
さくっとまとめてます。

大津駅から
北東へ
500mほどゆくと

天孫(てんそん)神社
があります。

 



奈良時代創建の
古社であり、

曳山(ひきやま)という

カラクリ人形つきの
山車をひく

大津祭(おおつまつり)
が有名で、

 



日吉大社の山王祭
長浜曳山祭とならんで、

湖国三大祭のひとつ
だといいます。



ご祭神は、

彦火々出見命(ヒコホオデミ)
大名牟遅命(オオナムヂ)
国常立命(クニトコタチ)
帯中津日子命(仲哀天皇)

の4柱だといいます。



また、
天孫神社は
天孫四宮大明神どもいわれ、

かつては
四ノ宮神社
と呼んでいたようです。



これには諸説あり、

ご祭神が
4柱いるからだとか、

ご祭神の
ヒコホオデミが、
天照大神から数えて
4代目にあたるからだとか、

近江国の
一宮・建部大社
二宮・日吉大社
三宮・多賀大社にならんで

四宮が
天孫神社だからだとか、
いわれているようです。

 

たしかに

日吉大社とは

縁が深いらしく、

 

山王祭にさきだって、

大榊(おおさかき)神事が

行われるといいます。

 

日吉大社の榊が

天孫神社に遷され、

 

さらにこの榊を

山王祭の最中に

日吉大社に返すことで、

祭が進行するといいます。

 



また、

天孫神社は
4度ほど遷座しているそうです。

当時は
湖岸にあったとか、

大津駅の南の
吾妻川(あずまがわ)の
上流にあったとも
言われているようです。

吾妻川の上流ちかく、
逢坂関(あふさかのせき)からは
四宮川(しのみやがわ)が、
山科区へと流れています。

その
山科区の北東一帯にも
四宮という地名が残っており、

諸羽山(もろはやま)の麓の
諸羽(もろは)神社も、
かつては四宮と
呼ばれていたようです。

 

もしかすると、

かつての遷座地の

ひとつかもしれませんね。

 



すこし話が逸れますが
ホツマツタヱによると、

君(アマカミ)にも
右大臣・左大臣というような
剣臣(つるぎとみ)と
鏡臣(かがみとみ)がいて、

この左右を合わせて、
羽の臣とか、
両羽臣(もろはとみ)と
言っていたようです。

諸羽神社は、
両羽臣を祀っているようで、

祭神は、
天児屋根命(コヤネ)と
天太玉命(フトタマ)だと
いいます。

たしかに
ホツマツタヱでは、
どちらも大臣でした。



さて、
話を四宮に戻します。

ホツマツタヱには、

四の宮ならぬ、
「シノ宮」が登場します。

前回の
近江大津めぐり③ ~三尾神社と猿田彦~
にも通じるのですが、

天照大神の孫である、
瓊瓊杵尊(ニニキネ)には
3つ子が産まれます。

長男・火明(ホノアカリ)
斎名はムメヒト〔梅〕、

次男・火須勢理(スセリ)
斎名はサクラギ〔桜〕、

三男・彦火々出見(ホオデミ)
斎名はウツキネ〔卯〕、

のお三方です。



出産直前、
母の木花咲耶媛命
(コノハナヤクサヒメ)は、

父親はニニキネではない
という悪い噂を流されて、
国へ返されてしまいます。

そこで母は、
「あだ種ならば滅びん!」
(他人の子なら、

母子ともに死ぬだろう)
と誓約して、


小屋にはいると

中から火をつけたのです。

すると、
富士山頂から
龍が舞い降りて、
火を消したといいます。

天によって命を救われた⇒
父はニニキネだと証明され、
よりを戻したといいます。

ですから、
子どもたちには
「火」の字がついているようです。

 



また、
ニニキネ巡幸の際に、

越国(こしのくに)では
梅の木を、

滋賀県高島市の
ササナミの宮では
桜の木を、

おなじく
滋賀県高島市の
三尾の地では、
卯の木に感銘して、

「おりかざし(折り、髪挿し?)」

たといいます。

この、
梅・桜・卯の花の形が、
3つ子の胞衣(えな)にも
浮かんだそうで、

斎名(本名)にも、
ムメ・サクラ・ウツキと
反映されているようです。

 



この
3種類の木も、
三尾神社の三尾と
関係しているのかもしれません。

三尾神社では、
「卯」が転じて
「兎」を祀るように
なったといいます。



さて、
長くなりましたが、

ニニキネは、
この3つ子たちに
宮を与えました。

長男・アカリは
富士山麓の
ハラアサマ宮へ

次男・スセリは
ウカワ宮へ

三男・ホオデミは
シノ宮へ

それぞれ
移したといいます。

そして
ニニキネ自身は、
ミズホ宮で
政治を行ったといいます。



次男スセリは、
スセリ草=芹の
薬効を発見したらしく、

芹の根の形から、
白髭(しらひげ)神と
呼ばれたといいます。

ウカワ宮とは、
白髭神社のことのようです。

 

いまでも地名に、

鵜川と残っているようです。



さらにスセリは、
海幸彦(うみさちひこ)という
名前でも呼ばれます。

そして
三男ホオデミは、
山幸彦(やまさちひこ)です。

海幸彦の海は、
琵琶湖のことで、

山幸彦の山は
比叡山のこと
だったのかもしれませんね。



神話でも有名な
このふたりの
兄弟喧嘩は、
次の記事にします。

ホツマツタヱによると、
仲の悪いふたりはこの後、
琵琶湖の北にある、

福井県敦賀市の
気比(けひ)神宮で
ともに暮らすことになるのです。



それにしても、
三尾といい、
卯の木といい、

三尾神社がある
三井寺の一帯も、
シノ宮候補地だと
言われているようです。
 

 

近江大津めぐり⑤ へ つづく

 

 

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