宗像(むなかた)神社より
北に400メートルほどゆくと
白雲(しらくも)神社があります。
こちらも、
京都御苑のなかにある
3つの神社のうちの
ひとつです。
そして宗像神社の
花山院(かざんいん)と
おなじく
藤原北家の支流である
西園寺家(さいおんじけ)の
邸宅跡であるといいます。
西園寺家も、
天皇家との結びつきを
強めてゆき、
一時は
摂関家をしのぐほどの
権力があったといいます。
また、
琵琶の名家でもあり、
歴代天皇は
西園寺家当主から
琵琶を習うのが
通例だったといいます。
白雲神社も、
琵琶にゆかりの深い
弁財天が祀られていました。
ここは妙音弁財天
(みょうおんべんざいてん)の神像を
ご神体としているそうです。
1224年に、
金閣寺の地に建立された
妙音堂(みょうおんどう)が
そのはじまりだといい、
各地への遷座をへて、
1769年に
京都御苑のこの地に
いまではご祭神を
市杵島姫命(いちきしまひめ)と
しているようですが、
もちろんご神徳は、
楽器や芸事の
上達・成功だといいます。
またこの西園寺家が
この敷地内に開いた
私塾『立命館』が
立命館大学のはじまり
だといいます。
参道は
西側と南側にあり
どちらが表か裏か
よくわかりませんが、
南側のほうが
雰囲気はあります。
境内にはほかに、
福寿(ふくじゅ)稲荷神社が
ありました。
七福神の
福禄寿(ふくろくじゅ)が
関わっているのでしょうか?
また本殿の裏には、
薬師石(やくしせき)という
磐座がありました。
京都御苑のなかに
磐座があるだなんて、
巳さまの信仰も
あるといいます。
呼ばれるらしく、
この石をなでてから、
自分の身体の悪い部分をさわると
病が治るといいます。
とても御利益がありそうです。
さて、
白雲神社をでて
御所の南側にきてみても、
葵祭までは
まだ時間もあり、
ひともまばらでした。
ですので次は
都心部にあるとは
思えない樹勢の木々が
そこかしこにありました。
聞くところには、
その木々の種類も、
豊富だといいます。
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☆葵祭の全記事リスト☆
山背国の葵祭① ~京都御苑・宗像神社~
山背国の葵祭② ~京都御苑・白雲神社~
山背国の葵祭③ ~京都御苑・京都御所~
山背国の葵祭④ ~京都御苑・厳島神社~
山背国の葵祭⑤ ~葵祭~
山背国の葵祭⑥ ~下鴨神社~
山背国の葵祭⑦ ~深泥池貴舩神社~
山背国の葵祭⑧ ~上賀茂神社~