大和国のホツマツタヱ⑬ ~志貴御縣坐神社~ | NAVI彦 ~つつがなき神さまめぐり~

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神社めぐりをしています。
その土地ならではのお話も、
さくっとまとめてます。

大神(おおみわ)神社より
500メートルほど南に、

志貴御縣坐
(しきのみあがたにます)神社が
あります。



古代の朝廷と
とりわけ関係の深かった
6つの『県(あがた)』のうち、

ここには、
「志貴(しき)」の県が
あったようです。

 



首長は
磯城県主(しきのあがたぬし)といい、

東征のさいに、
初代・神武(じんむ)天皇に
立ちふさがった
シキ兄弟のうち、

皇軍にくだった
弟磯城(おとしき)の末裔が
この地で繁栄したといいます。

 



第2代・
綏靖(すぜい)天皇から


第7代・
孝霊(こうれい)天皇まで

磯城の娘を
皇妃にしていたようです。

とはいえ当時は、
何人も皇妃がいますから、

第7代・孝霊天皇のときに
ようやくシキ家の娘が、

 

第8代・

孝元(こうげん)天皇を
産んだといいます。



この
シキ家の系譜ですが、

ニギハヤヒの末裔や、
事代主の末裔とも
いわれているようですが、

さてどうでしょう?

ちなみに、
現在の祭神は
大己貴命(おおなむじ)
だそうです。



興味深いのは、
そんなシキの地に、

第10代・
崇神(すじん)天皇が、

磯城瑞籬宮
(しきのみずかきのみや)
という都を築いたことです。

 



このシキの地で、
それまで皇居に祀っていた

天照大神(あまてらす)
倭大国魂(やまとおおくにたま)
御霊を

笠縫邑(かさぬいむら)
長岡岬(ながおかみさき)
祀るようになったといいます。

 



またこのときに、

大物主(おおものぬし)

三輪山のふもとに祀ったり


霊剣である
布都御魂剣(ふつみたまのつるぎ)
皇居から出して
石上(いそのかみ)神宮
祀ったたといいます。



崇神天皇の世には、
おおくの神々を
皇居から離していったようです。

天災や疫病で
国内が荒れたというのも
あるでしょうが、

もうひとつの理由には、

父である第9代・
開化(かいか)天皇は、

祖父であり

シキの血が流れる

第8代・孝元天皇の、


内后だった
イカシコメを娶って
崇神天皇を産んだといいます。

母ではないのですが、
父の后に手を出すという

禁忌にも近い行為によって、
じぶんが産まれたことへの
負い目も感じていたようです。



そのためなのか、
崇神天皇は世をおさめるため
全力を尽くしたように思えます。

日本各地に
4人の将軍を派遣して
荒れていたへき地を治めた

ともいいますし、

敦賀には
ヌノガアラシトが漂着し
海外との国交も
はじまったようです。



一説には、
崇神天皇によって、

それまで皇居で
同じ床に眠っていた
ご先祖さまである方々を

神として
祀りあげるようになった、
といいます。

古代の神道は、
神と人が対等であったのですが、

ここにきて、
神として崇(あが)めるという、
宗教形態が

できあがったというのです。

 



とはいえ、
ぼくとしては、
崇神天皇の御心労をおもうと
胸が痛くなります。

よくぞ耐え、堪えて、
見事に国を建て直されたものだと
感服してしまいます。

実在する可能性のある
最初の天皇とも
いわれている崇神天皇ですが、

一説には、
神武天皇と同一人物ではないかとも
いわれているといいます。

 



真偽のほどはよくわかりませんが、

重要な天皇には、
「神」の字がつく
という話は興味深いです。

初代・神武天皇
10代・崇神天皇

そして、
八幡(はちまん)大神

としても祀られる
 

第15代・
応神(おうじん)天皇です。


大和国のホツマツタヱ ~終~

 

 

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大和国のホツマツタヱ② ~石上神宮 その1~
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大和国のホツマツタヱ④ ~桃尾の滝~
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大和国のホツマツタヱ⑥ ~事代主クシヒコ~
大和国のホツマツタヱ⑦ ~大和神社~
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