大和国の生駒めぐり② ~往馬大社~ | NAVI彦 ~つつがなき神さまめぐり~

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神社めぐりをしています。
その土地ならではのお話も、
さくっとまとめてます。

生駒(いこま)山
西のふもとにある
往馬(いこま)大社です。

 



生駒山を
ご神体とする古社で、

生駒山頂の
真東にあるようです。



ただしくは、


往馬坐伊古麻都比古
(いこまにいますいこまつひこ)神社
といい

 



伊古麻都比古
(いこまつひこ)と

伊古麻都比賣
(いこまつひめ)という

生駒の土地神さまを
祀っているといいます。



この方々は、
火燧木(ひきりき)神といい

火の神とされているようです。

かつては
木をこすりあわせて
火をおこしていたように、

 

火燧木とは

『火を燧(き)りだす木』であり
火おこし道具のことだそうです。


 

ですから、
擦るほうの杵を男
受けるほうの臼を女とした
 

男女の神である

という話もあるようです。



大嘗祭(だいじょうさい)では、

悠紀田(ゆきでん)
主基田(すきでん)を
選ぶ占いのさいに、

往馬大社から献上された
火燧木をつかって
火をおこすといいます。

 



火燧木には、

神木でもある
上溝桜(うわみずざくら)が
使われているといいます。

 

 

上溝桜は、
占いのときに

溝を掘って使ったことから

『上溝』になったとか

 

天香久山(あめのかぐやま)の木を

使っていたことから

『上不見(うわみず)』になった

ともいうようです。

 

 

また別名を

金剛桜(こんごうざくら)ともいい

 

こちらのほうが

馴染みがあるようですね。

 

古代では、

波波迦(ははか)の木と

いわれていたといいます。



秋に
火祭りがおこなわれるのも
そうした事によるのでしょうが、

もともとは
喧嘩祭や血祭というほど
荒々しいものだったといいます。



もしかすると、
生駒の地

初代・神武(じんむ)天皇の
東征のさいに

戦いの火ぶたが落とされた地
であることに
由来しているのかもしれませんね。



龍田(たつた)大社
風神祭、

廣瀬(ひろせ)大社
水神祭とともに

朝廷からの信仰も
受けてきたといいます。

 


かつては、
広大な境内と
無数の神宮寺

もっていたようですが、

いまでは、
天然記念物とされる
鎮守の杜(もり)と

十一面観音像が鎮座する
観音堂くらいでしょうか。

観音像は
雲慶(うんけい)の作とも
いわれているようです。

 



霊山とされる
生駒山は
湧き水もおおく

往馬大社にも
水を祀る社がありました。



かつては、
祈雨(あまごい)の弊も

賜っていたといいます。

英霊殿には、
以前は八角の宝壇があり

女帝の第48代・

称徳(しょうとく)天皇の
金の位牌が埋められていた

という話もあるようです。



創建は不詳ですが、

すくなくとも
1500年以上前からつづくといわれ、

 

古来より

イコマツヒコ・イコマツヒメを

祀ってきたといいます。

けれども

鎌倉時代に
八幡(はちまん)信仰がおこり
祭神として

神功(じんぐう)皇后

第14代・
仲哀(ちゅうあい)天皇

第15代・
応神(おうじん)天皇

神功皇后の母・
葛城高額姫命
(かつらぎたかぬかひめ)

神功皇后の父・
気長宿称王命
(おきながすくねおう)

の5柱がともに
祀られるようになったようです。



気になるのは、
神功皇后の両親まで
ともに祀られているところです。

八幡信仰とはいえ
父母を祀る神社は
ほとんど見たことがありません。

さらにいえば、
母・葛城高額姫を祀る神社は
ここがもっとも有名でもあるようです。


 

葛城高額姫は、
渡来人の
アメノヒボコの子孫とされ

生家は
兵庫県の但馬だといいますが

名前から察するに
奈良県の葛城に栄えた

葛城氏の姫なのでしょう。

 

とすれば、

武内宿祢(たけうちのすくね)の子・

葛城襲津彦(かつらぎのそつひこ)とも
関わりがあるのでしょう。

 

 

葛城といえば、

 

金剛山系の

葛城山のふもとにある

葛木坐火雷

(かつらぎいますほのいかづち)神社には

 

波波迦(ははか)の木を

朝廷に献上していた

という話もあるようです。

 

なにか関わりがあるのでしょうか?

 

 

また、

葛木坐火雷神社の相殿には

伊古比都弊命(いこひつべ)が

祀られているといいますが、

 

これは

イコマツヒコとも

関わりがあるのでしょうか?

 

 

大和の
葛城の姫と、

 

近江の

息長氏の王が


この地で出会ったなどという
伝承があればおもしろいのですが、

そう都合よくは

いかないものですね。

 

 

その他には、

 

第11代・

垂仁(すいにん)天皇の

イクメイリヒコという名は、

 

イクメから入ってきた男

という意味もあり、

 

イコマとも関わりがある

という話もありましたが、、、

 

さてどうでしょう?爆  笑

 

 

ところでこの、

垂仁天皇の妻である

日葉酢媛(ひばすひめ)

 

神功皇后、

称徳天皇の陵が

 

とても近いことは

なにか意味があるのでしょうか?照れ

 

 

 

大和国の生駒めぐり③ へ つづく

 

 

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