大和国の生駒めぐり③ ~饒速日命墳墓~ | NAVI彦 ~つつがなき神さまめぐり~

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神社めぐりをしています。
その土地ならではのお話も、
さくっとまとめてます。

白庭台(しらにわだい)駅の
東にある
 

桧窪山・日窪山
(ひのくぼやま)には

饒速日命(にぎはやひ)の
墳墓といわれる

塚と碑があります。



ここはかつて、
山伏(やまぶし)塚や
山主(やまぬし)塚と
よばれていたようですが、

大正時代に
研究者や地元住民らによって
ニギハヤヒの墓に
比定されたといいます。

 

山にわけいった

鉄塔のふもとにある

小さな塚ですが

 

どこか優しげで

ただならぬ雰囲気が

ただよっていました。

 



天照大神の
血を継ぐ政権は

大和のニギハヤヒと
九州のイワレヒコに
2分していたのですが、

イワレヒコの東征によって
国がひとつに治まったことから

イワレヒコが
初代・神武(じんむ)天皇と
なられたのが、

 

神代と人代をつなぐ

歴史のハイライトでもあります。

 



生駒の『白庭』は、
そんなニギハヤヒの
降臨の地といわれていて

のちに妻となる
ミカシキヤ姫の

父・長髄彦(ながすねひこ)の
領地だったとも
いわれているようです。

 

最後まで

徹底抗戦をつづけた

義父の長髄彦を斬って、

 

戦を止めたニギハヤヒは

イワレヒコの軍門にくだったといいます。



しかしながら、
ホツマツタヱによると

すこしばかり
様子が違うようでした。



まず、
白庭に降りたのは

天照大神の孫であり、
瓊瓊杵尊(ににきね)の
兄にあたる

櫛玉火明命(くしたまほのあかり)
だといいます。



ホノアカリは、

 

春日(かすが)を治めていた
ヰチヂにかわって
奈良盆地を治めるべく

 

父・天忍穂耳命(おしほみみ)に
派遣されたようです。

天照大神から
十種宝(とぐさたから)という
10種類の神宝と

一二三四五六七八九十
(ひふみよいむなやこと)という
ひふみの祓い詞を賜わると

父・オシホミミのいた
ヒカタミ国(仙台あたり)から

大勢の家臣をひきつれて
旅立ったといいます。



千葉の
九十九里浜から
船に切り替えると、

和歌山の
熊野の南をぬけ、

古代の河内湾から
天野川をのぼって

磐船(いわふね)神社のある
斑鳩(いかるが)の峯にいたり、


鳥の降りたつの見えた

白庭へとたどり着いたようです。

 



そこでまずは、
この地にイカルガ宮を
築いたといいます。

 

東生駒のちかくの

鳥見(とりみ)町や

三碓(みつがらす)町のあたりが

イカルガ宮のあった地だとも

いわれているようです。

しかしながら、

 

いかるがの

みやにうつりて

そのあすか

うてなによもお

のぞむおり

しらにわやまに

からすとふ

くまのとおもい

みやうつし

 

イカルガ宮に遷って

そう日もたたぬうちに

 

ホノアカリが

高殿から四方を

眺めていると

 

白庭山に

カラスが飛んだといいます。

 

これが

熊野を連想させる

縁起の悪いものだったので、

 

さらなる宮遷しを

思い立ったというのです。

 


忠臣であったクシヒコ

遷都を繰り返すという

軽率さに激怒して、

 

ホノアカリのもとを

離れてしまったといいます。


それでも、
ホノアカリは宮遷しをおこない

天香久山(あめのかぐやま)あたりに
アスカ宮を築いたといいます。

 

おそらくこれが、

「あすか」の語源でも

あるのでしょう。



そんなホノアカリですが、

子には恵まれずに

亡くなってしまったといいます。


そこで

天照大神は、

 

ホノアカリの

弟・ニニキネの
3人の御子のうち

おなじ名前である

火明命(ほのあかり)の子・
クニテルを跡継ぎにして

アスカ宮を治めさせたといいます。

 




はらみやの
くにてるおつぎ
あまてらす
にぎはやひきみ
もにいりて
しらにわむらの
みはかなす


ハラ宮にいた
クニテルは


ニギハヤヒ君の
称え名をあたえられると

喪にはいって
白庭村に墓を築いた




つまりここが、
養子のニギハヤヒが

クシタマホノアカリを

弔った地なのかもしれないのです。

 

そう思うと、

なかなか感慨深いものですね。

 

この比定地はほかに、
 

長弓寺(ちょうきゅうじ)の
北にある飛び地境内の
眞弓塚(まゆみづか)も
いわれているといいます。

 

またちかくには、

クシタマホノアカリの

父・天忍穂耳命(おしほみみ)も

祀られているといいますから、

 

そんな歴史の一幕もまた

あったのかもしれませんね照れ

 

養子となった

ニギハヤヒ君については、

またいずれ書く日もくるでしょう。

 

さて次回からは、

熊野詣に入ってゆきます。

 

なぜ、

熊野が縁起が悪いと

思われたのかについても、

そちらで触れたいと思います。

 

 

大和国の生駒めぐり ~終~

 

 

☆生駒めぐり全記事リスト☆

大和国の生駒めぐり① ~宝山寺~

大和国の生駒めぐり② ~往馬大社~

大和国の生駒めぐり③ ~饒速日命墳墓~

 

 

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