紀伊国の熊野めぐり② ~クマノ・神代~ | NAVI彦 ~つつがなき神さまめぐり~

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神社めぐりをしています。
その土地ならではのお話も、
さくっとまとめてます。

ホツマツタヱにある
『クマノ』について、

2つの時代にわけて
みていきたいと思います。



まずは
神代の世から

はじめますね爆  笑

天照大神の父母である
イサナギ・イサナミは、

 

ツクシ(九州)で2男の

月讀命(つきよみ)を

産んだあと、


ソサ(紀州)で3男の
素戔嗚(ソサノヲ)
産んだといいます。



ソサの男から
ソサノヲと
呼ばれたようですが、

生まれたときから
荒(すさ)んでいたのは
記紀とおなじようです。



田を荒らすとは
民の食を断つことであり
大罪だったようですが、

ソサノヲは

このような悪事を
繰り返していたようです。

けれども、
母・イサナミは

子・ソサノヲを
かばっていたといいます。



というのも
ホツマツタヱでは、


あめのふし
やとれはあたる
ちちのをゑ
をのこはははの
くまとなる


天の節という
厄期に子が宿ると

女の子には
父の汚穢(をゑ)があたり、

男の子には
母の隈(くま)があたる
といいます。

 



隈というのは、
災厄など悪いものの総称

のようなものだといいますから、

イサナミは

厄年や生理中に
子を宿したともいわれ、

ソサノヲに降りた
隈をじぶんの責任だと
感じていたようです。

 




いさなみは
よのくまなすも
わがをゑと
たみのをゑくま
みにうけて
まもらんための
くまのみや


イサナミは民を

汚穢隈から守るために


『隈の宮(クマノミヤ)』に
住んだ(建てた?)といいます。



この、
『隈の宮』が

『熊野』の語源に
なっているようですね。

隈野には、
不毛の地という意味も
あるらしく、

山岳地ばかりで
農耕には向かない地で、


わずかばかりの田畑を
荒らしたソサノヲの隈は
大きかったのかもしれません。

 




もろたみの
かけをつぐなう


イサナミは民の

損失をつぐなうべく

あらたな産業や
あたらしい農法を
試したのでしょうか。

 




みくまのの
みやまぎやくお
のそかんと
うむほのかみの
かぐつちに


御隈野の山から
厄を除くためなのか、

山焼きをして
農業に利用しようと

したのでしょうか。

浄化の火を司る守(かみ)に
カグツチを任命したのか

火そのものを崇める
自然神としての

カグツチだったのかは
諸説ありますが、

火をつかって
山を焼いたところ

 




かぐつちに
やかれてまさに
おわるまに


イサナミは
火に焼かれて
亡くなったといいます。



ここですこし
話しは逸れますが、

はるか後に
天孫ニニキネの妻・
コノハナサクヤヒメ

身の潔白を示すため
小屋にはいって

火をつけたところ、

 

奇蹟がおこって
3つ子ともども生還された
という話しがあります。

だとすれば、

イサナミが火にまかれて

亡くなられたことは

不義の子だったの

かもしれないという
邪推もできそうです。

だからこそ、
ソサノヲの系譜は
国つ神として、

天つ神に対する存在に
なってしまったの

かもしれませんね。



とはいえ、
イサナミは多くの事業を
民にのこしていったので

熊野の民たちは

豊かに栄えたといいます。




いさなみは
ありまにおさむ
はなとほの
ときにまつりて


イサナミの亡骸は
熊野の有馬にある
花窟(はなのいわや)神社に
納められたといいます。

 



いまでも、
花と穂の祭りが
あるといいますが、

それはのちの
花窟神社でしましょう。

 




ここりひめ
やからにつくる
いさなぎは
おいゆきみまく


イサナギの姉である
菊理姫(ここりひめ)が、


イサナミの死を
親族に告げたところ

夫・イサナギは
悲しみ悶えながら
やってきたといいます。



ここからは、
記紀にものこる物語で

 

イサナギは、

亡き妻を追いかけて
黄泉の国までゆくのでした。

 



けれども、
イサナミは


しこめやたりに
おわしむる


醜女(しこめ)という
地獄の従者8人をけしかけて
追い返したといいます。



こうして
黄泉平境(よもつひらさか)という
あの世とこの世の境界で

言断ち(ことたち)という
約束をかわし、


おふたりは

今生の別れを

経験したといいます。

しかしこれもまた、
穢れの世界へやってきた
夫・イサナギを

わたしではなく
民を護れと追い返し、

 

あえて憎まれ役を買った
妻・イサナミの心情が
透けて見えそうでもあります。



ともあれ、


くやみてかえる
もとつみや
いなしこめきお
そそがんと
おとなしかわに
みそぎして


イサナギは
悔やみながら
熊野の本宮までかえり

穢れや醜さを
そそぐために
音無川で禊をしたといいます。

 



のこされた

イサナギは、

それでもひとりで
各地を治めていったといいます。

そうして、
政権を長男の
天照大神にゆずると

息子の治世を
見守りながら

淡路島の
伊弉諾神宮で
亡くなられたといいます。



さてその
天照大神には
5男3女という

8人の御子が
おられたようですが、

そのうちのひとりに
母・イサナミを
祀らせたといいます。



イサナミを
『隈の神』として

祀ったことから

熊野樟日(くまのくすひ)
といわれ、

またの名を
那智(なち)の若御子と
いわれたようです。



『奇す霊(くすひ)』
というくらいですから、

霊感にすぐれており
神職のようなことを
されていたのでしょう。



ホツマツタヱでは、


魂魄(たましい)は
魂(たま)と
魄(しい)にわけられ、

魂は
生命の本質であり

魄は
肉体の欲望だといいます。

死とともに
魄は滅びて、

魂のみが
天に還るようです。



あるとき
クマノクスヒは、


しこめがしゐを
からすかみ
まつれはくろき
とりむれて
からすとなつく


黄泉の醜女は
肉体にのこる魄を
枯らす神であり、

ひとの欲や肉体を喰い
魂を天に還すという
大事な役割を担っているのだ、

 

ということに気づき、
醜女を『カラス神』として
祀ったといいます。

すると、
黒い鳥が群れて
飛びきたったというのです。

そこでクスヒは、


その黒い鳥を
烏(からす)と
名づけたというのです。

 



饒速日の墳墓で、
クシタマホノアカリ

カラスをみて
不吉に思ったのは、

じぶんが死に
近いのではないかと
錯誤したからではないでしょうか?

けれどもむしろそれは、
欲に傾きかけている
クシタマホノアカリへの

警鐘だったのかもしれません。



ところで、
玉置神社にも勧請された
速玉(はやたま)神ですが、

ホツマツタヱでは、


結婚前の
イサナギとイサナミの
あいだをとりもった神と

されていました。

このとき
仲人をしたのは

速玉男命(はやたまを)と
事解男命(ことときを)と
いわれていて、



このおふたりは
隈野の臣として

イサナギ・イサナミに仕えた
大臣でもあるようです。

 

隈野の臣は、
荒れ狂うソサノヲの

保護観察を

ワカ姫ヒルコさまとともに
おこなっていたようです。

 

次回は、

人代の世の

『熊野』についてです。
 

初代・

神武(じんむ)天皇の東征と

ふかく関わるようです。


紀伊国の熊野めぐり③ へ つづく

 

 

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紀伊国の熊野めぐり② ~クマノ・神代~
紀伊国の熊野めぐり③ ~クマノ・人代~
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紀伊国の熊野めぐり⑤ ~大斎原~
紀伊国の熊野めぐり⑥ ~熊野那智大社~
紀伊国の熊野めぐり⑦ ~青岸渡寺~
紀伊国の熊野めぐり⑧ ~那智の滝~
紀伊国の熊野めぐり⑨ ~熊野速玉大社~
紀伊国の熊野めぐり⑩ ~花の窟神社~
紀伊国の熊野めぐり⑪ ~熊野三山~
紀伊国の熊野めぐり⑫ ~カグツチ~