山背国の宇治めぐり③ ~宇治神社~ | NAVI彦 ~つつがなき神さまめぐり~

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神社めぐりをしています。
その土地ならではのお話も、
さくっとまとめてます。

宇治川(うじがわ)をはさんで
平等院鳳凰堂
(びょうどういんほうおうどう)の
対岸にある

宇治(うじ)神社です。




こちらもまた
平等院鳳凰堂の鎮守と
いわれていて、

第15代・
応神(おうじん)天皇
御子である

菟道稚郎子命
(うじのわきいらつこ)を
祀るといいます。



ここには

応神天皇の離宮であり
菟道稚郎子の宮跡といわれる

桐原日桁宮
(きりはらひけたのみや)が
あったようです。

 



もともと、
応神天皇は

菟道稚郎子を寵愛しており

 

菟道稚郎子を

後継者に指名していた

といいます。

しかしながら、

応神天皇の亡きと

 

菟道稚郎子は

即位を辞退してしまい

異母兄である
第16代・
仁徳(にんとく)天皇と

3年にわたって
皇位を譲りあっていた
といいます。

そこで
菟道稚郎子は
みずから命を絶って

兄を即位させた
というのです。



これには
学問のちがいも
あったといわれ、

日本では
末永く治世をつづけるため
末弟に皇位を継がせる
といいますが、

大陸の
儒教思想を学んだ
菟道稚郎子は

長兄が継ぐものと
考えていたようです。



応神天皇は寵愛する

菟道稚郎子に

 

渡来人である

阿直岐(あちき)を

教育係にしていたといいます。

 

ですが、聡明であった

菟道稚郎子には

物足りなかったのでしょう、

 

応神天皇が阿直岐に

よりよき者はいないかと

訪ねたところ

 

王仁(わに)という

賢者がいますと

こたえたようです。

 

 

こうして

大陸からやってきた

王仁によって

菟道稚郎子は

学問を究めたといいます。
教育係にしたといいます。

ですから、宇治神社は
学問の神ともいわれ

 

本殿には
平安中期の作といわれる
菟道稚郎子の木造が
安置してあるといいます。



ところで
王仁の子孫は

 

朝廷で文筆を担当する
西文(かわちのふみ)氏
になったといい、

 

応神天皇の陵のある

古市古墳群のあたりに

暮らしたといいます。



難波高津宮での

第16代・
仁徳天皇の即位のさい、

王仁は
治世繁栄を祈って

『難波津の歌(なにわづのうた)』を

詠んだといいます。

 

この歌はのちに、
手習いはじめの歌とされ

 

平安時代には
知らない人がいない
名歌だったようです。

そしていまでも、
『かるた』では

競技開始のさいに
この歌を詠むといいます。

 




難波津に
咲くやこの花
冬ごもり

今は春べと
咲くやこの花



なにはづに
さくやこのはな
ふゆごもり
いまははるべと
さくやこのはな




冬ごもりとは
ながく続いた
空位の期間であり

この花とは
桜や梅のこと
だといいます。

ようやく
春がやってきて
花が満開である
という光景に

これからの治世の
爛漫を重ねた
といいます。



しかしながら、


宇治は古名を
許乃國(このくに)とも
いっていたようですし

宇治の
縣(あがた)神社では

 

地主神として
木花開耶姫(このはなさくやひめ)
祀っていました。



ですから、
「このはな」と「さくや」の
順序を逆転させている
歌というのは

皇位を継ぐ順序のことも
詠んでいたのでしょう。

またさらには
宇治川をくだって
難波津へとたどり着く

 

川上と川下の

関係もあるでしょう。


ここに
皇位継承争いを

読むひともいるといいます。


たしかに、風土記では
菟道稚郎子のことを
宇治(うじ)天皇といい

この地にあった宮は
宇治宮ともいわれたようです。

しかしながら

この歌を名歌とした

仁徳天皇をおもえば

 

記紀どおりの物語だったと

読むこともできそうです。



さて、
宇治の地名ですが

もちろんこの
菟道稚郎子による
ともいいます。

菟道稚郎子が
この地についたとき

兎があらわれて
ふりかえりながら
道案内をしたことから

「うさぎのみち」と書いて
菟道(うじ)と

読むようになったといいます。

 

宇治神社では
『みかえり兎』として
親しまれているといいます。



菟道稚郎子と王仁、
ウサギとワニでは
因幡の白兎のようですね。

さらに

おもしろいのは、


この地はもともと
菟道稚郎子の母である
矢河枝比売(やかわえひめ)の
出身地だったといいます。

矢河枝比売は
和爾(わに)氏であり

巫女だったともいわれ

応神天皇と
矢河枝比売の婚姻は

朝廷と和邇氏の
むすびつきのことだ
ともいわれているといいます。

 



和爾氏といえば
海人(あま)族で
製鉄民でもありますし、

ますます
因幡のワニとも
結びつきそうです。

日本の
和爾(わに)と

大陸の
王仁(わに)との
関係も気になります。

また、王仁を
「おうじん」と読めば
応神(おうじん)となり

応神天皇にも
つながりそうですね。
 

 

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