山背国の宇治めぐり④ ~宇治上神社~ | NAVI彦 ~つつがなき神さまめぐり~

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神社めぐりをしています。
その土地ならではのお話も、
さくっとまとめてます。

宇治(うじ)神社
北東すぐにある
宇治上(うじがみ)神社です。

 

鳥居にかかる桜が

とてもうつくしい神社です。

明治時代までは
宇治神社を
下社や若宮といい

宇治上神社を
上社や本宮として

あわせて
宇治離宮明神
(うじりきゅうみょうじん)と
いっていたようです。



宇治神社では
菟道稚郎子命
(うじのわきいらつこ)が
祀られていましたが、

こちらは
父である第15代・
応神(おうじん)天皇

異母兄である第16代・
仁徳(にんとく)天皇が
ともに祀られているようです。



応神天皇が祀られるため
八幡宮(はちまんぐう)とも
いわれていたらしく

境内には、

応神天皇の母である
神功(じんぐう)皇后

応神天皇の忠臣である
武内(たけうち)宿禰を祀る
香椎(かしい)社もありました。



また、
平等院(びょうどういん)
鎮守ともされたためでしょう

藤原氏の祖神である
天児屋根命(あまのこやね)を祀る
春日(かすが)社もありました。



宇治神社とおなじく
こちらも

菟道稚郎子が営んだという
桐原日桁宮
(きりはらひけたのみや)の
跡地といわれているようです。

どちらかといえば
神仏習合の色がやや
濃いように感じましたが、

世界遺産に登録されているのは
宇治上神社だけのようです。



境内には
手水として

宇治七名水
(うじしちめいすい)の
ひとつである

桐原水(きりはらすい)が
使われていました。



お茶どころとしても
有名な宇治では

室町時代に
茶園をささえる湧き水の
7つの名所を定めたといいます。

いまでは
桐原水以外は
枯れてしまったようですが

ほかの6名所には
石碑がのこっている
といいます。



これをまわるのも
面白そうなので
ざっくり載せてみます。

 



公文水(くもんすい)は
橋姫(はしひめ)神社
境内にあるといいます。

法華水(ほっけすい)は
平等院鳳凰堂
南の平橋のたもとに

阿弥陀水(あみだすい)は
平等院境内の浄土院の北に
あるといいます。

泉殿(いずみどの)は
ユニチカ工場の入口の
左側にあるのだそうです。

高浄水(こうじょうすい)は
泉殿ちかくの路地奥にあり
「アトリエ」と書かれた看板が
目印のようです。

百夜月井(ももよづきい)は
宇治神社御旅所のとなりにある
ガソリンスタンドの脇に
あるといいます。



水の豊かな
京都のことですから
ほかにもたくさん
水が湧いていたのでしょう

井戸のあと
のようなところも
各所でみられました。

 



境内でも
厳島(いつくしま)社が
祀られているところにも


井戸のようなものが

ありました。

 

これはなんなのでしょう?

 


さて、こちらは

拝殿です。

 



鎌倉時代につくられた
寝殿造だといいます。

宇治上神社は
拝殿も本殿も
国宝に指定されているといいます。

 



こちらが

本殿です。

神社建築としては
国内最古のもので

平安時代のもの
だといいます。

 



殿内には
3棟がならんでおり

左殿には
仁徳天皇、

中殿には
仁徳天皇、

右殿には
菟道稚郎子が
祀られているようです。

 



おそらく背後の
大吉山(だいきちやま)を
神奈備としてしているのでしょう。

本殿脇には
東西に磐座が
祀られていて

天降石(てんこうせき)や
岩神さんとして
親しまれているといいます。



小石を積まれて
山状になっていました。

この磐座は、
宮跡をあらわしている
ともいうようです。

東西にある磐座は
拝殿前の
東西んある清め砂と
関係もありそうですね。

 



宇治上神社と
平等院と
縣(あがた)神社

ほぼ
直線にならんでいて

平等院の
鬼門(北東)と
裏鬼門(西南)を
守っていたとも
いわれているようです。



なかでも
本殿の北西にある

武本(たけもと)稲荷社は
気になりました。



社殿のとなりは
お塚(つか)のような
岩がたくさんありましたが

もしかするとここが
宇治上神社の本源では?

とも思えてきます。

宇治上は
氏神(うじがみ)とも
よめるように

この地を護ってきた
豪族や種族の長が
眠っているのかもしれません。



日本書紀には

菟道稚郎子は
菟道の山の上に
葬られたともありますから、

ここもその
候補地なのかもしれません。


またもしくは
和爾(わに)氏の祖といわれる
武振熊命(たけふるくま)に
関わるのかもしれません。



琵琶湖の
南から流れだす

瀬田川(せたがわ)にかかる
瀬田の唐橋(からはし)には

応神天皇と
世継ぎ争いをした
忍熊皇子(おしくま)

武内宿禰と
武振熊(たけふるくま)が討ち

瀬田川に落ちた遺体は
宇治川で見つかったといいます。

もしかするとこのとき

武振熊命はこの地を

賜ったのかもしれません。

 

後年、

応神天皇が妻として娶り

菟道稚郎子の母となる
矢河枝比売(やかわえひめ)

 

このあたりを治めていた

和爾氏の娘・巫女であり

武振熊命の孫だったとも

いわれているようです。

 



ところで、
菟道稚郎子にも

皇位を争った異母兄の
大山守命(おおやまもり)が
いるといいます。

仁徳天皇と菟道稚郎子は
皇位を譲り合っていたのに、

長兄・大山守が
挙兵すると

菟道稚郎子は宇治川で

返り討ちにしたといいます。

遺体は
京都府京田辺市にしある
考羅済(かわらのわたり)

〔河原・伽和羅〕まで
流れていったといいますから

宇治川ではなく
木津川(きづがわ)だった

のかもしれません。



ここでもまた

桜(さくら)と大山(おおやま)
でてきました。

 

 

山背国の宇治めぐり⑤ へ つづく

 

 

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