淡路国の国生みめぐり④ ~おのころ島神社~ | NAVI彦 ~つつがなき神さまめぐり~

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神社めぐりをしています。
その土地ならではのお話も、
さくっとまとめてます。

大和大国魂
(やまとおおくにたま)神社
1・5キロほど南西にある

自凝島(おのころじま)神社です。



日本三大大鳥居にも

かぞえられるという
朱の鳥居がうつくしい神社です。


この一帯は
三原平野とよばれ

縄文時代には
入り江だったと

いわれています。

 



榎列(えなみ)という
地名にのこるように

ここは
榎(えのき)林のならぶ
江(え)の波うち際だった
のかもしれませんし

御原海人(みはらのあま)という

海人族たちの港(江)が
ならんでいたのかもしれません。

 



古墳のように隆起した
丘のうえにあるここは

海に浮かぶ小島だった
といわれ、

神話にのこる
『国生み(くにうみ)』の
はじまりの地とも
いわれているようです。



天照大神の親となる
イサナギ・イサナミは、

天神(あまつかみ)より

ただよえる国をおさめ
かためなせ(修理固成)


という指示をうけて

天浮橋(あめのうきはし)

にたち
天沼矛(あめのぬぼこ)
をもって

塩(潮?)を
許々袁々呂々(こおろこおろ)に
かきまぜて引きあげるとき

矛のさきから
したたり落ちた塩のかたまりが
島になったことから

淤能碁呂嶋
(おのころしま)と
名づけたといいます。

この島が
はじめて生まれた日本の国土
ということのようです。



ホツマツタヱにも



ふたかみの
うきはしにたち


このしたに
くになからんと
とほこもて
 

さくるみほこの
したたりか
こりなるしまお
おのころと


とあり、
ほぼ一緒のようです。

 



しかしこれは
たとえ話でもあるらしく


浮橋(仲人・縁)によって
むすばれたふたりは

先代よりたまわった
瓊矛(とほこ)の教えをもって
国をまわり

その成果(しずく・仕尽)として
『オノコロ』を得た


ともいうようです。

 



では、
『オノコロ』とはなにか?

というと

古事記には
許々袁々呂々(こおろこおろ)という
擬音のみであり、

日本書紀には
塩が凝(こ)り固まってできた
としか書かれていないため

よくわからないといいます。



こちらの神社では
日本書紀にならい
 

「自ずと凝り固まる島」として
『自凝島(おのころしま)神社』

としたようです。



ところが
ホツマツタヱでは、

全40章ある神話詩のうち
ひとつの章をまるまるつかって

『オノコロ』について解説しています。

それは第18章・
『オノコロとまじなふ文(あや)』
というそうです。



この星がまだ
マグマの海だったころ、

大いなる神というような

天御祖神(あめみをや)

という存在が、

原始の大気(天)と
原始の海洋(地)を
つくった(わけた)といいます。

そうして
昼には太陽を
夜には月を
かかげたそうです。

 



それから
空の神『ウツロヰ』を
馬として

風の神『シナト』を
轡(くつわ)として

光(雷?)をもって
地球(くにたま)を
めぐったといいます。

ホオコホ(ごろごろ?)という
音が鳴りひびくと

やがて
溶岩は冷え固まって
山となり

馬の蹄(地殻変動?)によって
平野がうまれ

流れ落ちた
雨のしたたりが
海となったといいます。

 

 

大いなる神による

天地創造のシーンですが、

 

地球が形成されてゆく

自然現象ともみえるのが
おもしろいですよね。

 

ただし

天御祖神はそれらを

印璽(をして)をむすんで

なしていったといいます。

 


こうして、

地球(くにたま)に

空(あ)
風(い)
火(う)
水(え)
土(お)

の5大要素がととのうと

天御祖神(あめみおや)は
天御中主(みなかぬし)という
最初の人間として
地上に降臨したといいます。

 



そうして

子を産み、殖やし、

土地を拓いて豊かにするため

各地をめぐったようです。


国を治めるためには

ながいながい時がかかったようで、

 

天御祖神はなんども
転生を繰り返したといいます。
 

さいごに

国常立尊(くにとこたち)として
降臨したさいにようやく

 

人々のあいだに

教えがひろまったといい、


治めた土地のすべてを
『オノコロ』とよんだよいいます。



一説には、

これらの土地は
天御祖神(あめみおや)の
恩恵であることから

『ミオヤノココロ(御祖の心)』

が転じて
『オノコロ』になったともいうようです。

 

それによって残るものが

『ミヤコ(都)』というのも

興味深いですねキラキラ



また、

『オノコロ』を
一音ごとにみると

『オ』は

神が降(お)りくだる
国を治(おさ)めるの
「お」であり

印璽(をして)むすんで
教(をし)えをひろめた
「を」でもあるようです。

 

これには

中央(八方)をととのえる
調和するという意味も

あるといいます。

 



『ノ』は

馬に乗(の)って
野(の)をつくり

教えを宣(の)ることで
法(ほう・のり)をひろめたの
「の」のようです。



『コ』は

生まれた子(こ)で
人のことであり

肥(こ)えた地を得た

事(こと)を結んだの

「こ」のようです。



『ロ』は
それらがひろまってゆく
路(ろ・みち)のことですが

すべてを受け入れ溶かし込む
心(こころ)の炉(ろ)のことでも

あるのかもしれません。

 



これらはすべて
「О」の母音であり

5元素(あいうえお)でいえば
土(お)にあたります。

つまり
天意(てんい・あい)を

地球(くにたま)という

土(お)に根づかせたもの
ということでもあるようです。



ですから

『オノコロ』という音には

氣を鎮める効果があるようです。

たとえば
地震が起きたときには
『オノコオノコ』と
唱えるといいそうですし、

夜泣きする子には
『オノコオノコ』と
唱えながら撫でると
落ち着くといいます。



そういえば
泣きじゃくる赤ん坊に

反町隆史の
「ポイズン」を聞かせると
泣き止むといいますが

もしかすると歌曲の
重低音のひびきが
「オノコロ」に近いのかもしれませんね。



転生したての
赤ん坊はまだ魂(たま)が軽く
体に馴染まないのかもしれません。

そこへきて
『オノコロ』を唱えることは


地上へおりてきて

あなたの光をひろめておくれ
 

という希望をかけること

なのかもしれません。

 



国生みの
おのころ島の比定地は
おのころ島神社以外にも

淡路島そのものや
絵島(えしま)
沼島(ぬしま)

小豆島の北東にある
家島(いえじま)

和歌山と淡路島の
あいだにうかぶ
友ヶ島(ともがしま)などが

あるようです。

 


どれも
勾玉の形をしている
といいますから
おもしろいですね。



第16代・
仁徳(にんとく)天皇は
淡路島を訪れたとき
 

吉備(岡山)に帰ってしまった

愛しい姫を思いながら
歌を詠ったといいます。


淤志弖流夜 那爾波能佐岐用
おしてるや なにはのさきよ

伊傳多知弖 和賀久邇美禮婆
いでたちて わがくにみれば

阿波志摩 淤能碁呂志摩
あわしま おのごろしま

阿遲摩佐能 志麻母美由
あぢまさの しまもみゆ

佐氣都志摩美由
さけつしまみゆ


難波の岬から
出航して国土を見渡せば

アワ島、オノゴロ島、
あじまさ(ビロウ)の生えた島も見える
遠き島々もよくみえる。

という意味だそうです。

 



もしかすると、関係の深い
三原の海人の地から

吉備を眺めたのかもしれません。

そうすると
オノコロ島神社や
四国(阿波の国)、

小豆島や家島なども

みえたことでしょう。

 

さらに、

この歌のあたまに

『おして』とあることも

とても気になります!

 

第15代・

応神(おうじん)天皇

おのころ島神社を参詣したといいます。


三原川をはさんで対岸の
松田八幡(まつだはちまん)神社は

応神天皇が行幸したときの

王冠の着御(ちゃくぎょ)の地

だといわれているようです。

 

冠を置いた場所

ということでしょうか?

 

 

とはいえ、ここには

天浮橋の旧地や

葦原国(あしはらくに)の旧地もあり


この地を治めていたという
三原の海人たちの思いが

強く反映されているようにも見えます。


地球(くにたま)にもつうじる

大国魂(おおくにたま)を祀る

三原の海人たちは

 

天皇家とのつながりを深めるため

おのころ島に見立てた

ともとれそうです。

 

 

また一説には、

イサナギ神話はもともと

海人族のものであり

 

古事記編纂とともに

国史に組み込まれた

という見方もあるようですが、

 

さてさて、

どうなのでしょう照れ

 

 

淡路国の国生みめぐり⑤ へ つづく

 

 

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