淡路国の国生みめぐり⑤ ~淡路の屯倉~ | NAVI彦 ~つつがなき神さまめぐり~

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神社めぐりをしています。
その土地ならではのお話も、
さくっとまとめてます。

おのころ島神社より
500メートルほど南西に
屯倉(みやけ)神社があります。



この一帯は、第14代・
仲哀(ちゅうあい)天皇

淡路屯倉(あわじのみやけ)を
おいた地だといいます。

屯倉(みやけ)とは
天皇の直轄地であり、

倉庫や食料庫があったり
狩猟の地であったとも
いわれているようですが

よくわからない部分も
おおいようです。

土地の支配ではなく
地域民衆の支配であるとも
いいますから、

この地に暮らしていた
御原海人(みはらのあま)という
隼人(はやと)系海人族とも

関わりがあったのでしょう。



歴史上、
はじめておかれた屯倉は

第11代・
垂仁(すいにん)天皇による
來目邑(くめむら)の屯倉
だそうです。

これは、初代・
神武(じんむ)天皇のねむる
畝傍山(うねびやま)の南にあり、

久米(くめ)氏が

関わっていたといいます。

久米氏は、天孫降臨のさい
瓊瓊杵尊(ににきね)を先導した
といわれる神の末裔で、

神武東征でも活躍した
といわれる有力氏族のようです。

近衛兵として
武力をもつだけでなく

膳手(かしわで)という
天皇の調理人でもあり、

久米歌という軍歌や
久米舞という祝宴の舞が
いまでものこるといいます。



そのつぎは、
第12代・
景行(けいこう)天皇による

倭(やまと)の屯倉
だといいます。

奈良の広瀬(ひろせ)大社
東にひろがっていたようで

倭国造(やまとくにつくり)の地
だったといわれているようです。

倭氏といえば、
神武東征でも活躍した
椎根津彦(しいねつひこ)
末裔だといわれ

淡路の御原海人とおなじく
隼人系の海人族だといいます。

また、景行天皇は
播磨(はりま)にも
屯倉をおいたといいますが

播磨と淡路といえば、
渡来した新羅王子の
天日槍命(あめのひぼこ)
賜った地でもあります。

こののち、
景行天皇の孫にあたる
第14代・仲哀天皇が
淡路屯倉をおいたわけですから

ここにもなにか
語られない歴史や密約が
あったのかもしれません。



仲哀天皇の妻であり、


天日槍命の末裔ともいわれる
神功(じんぐう)皇后の御子、

 

第15代・
応神(おうじん)天皇

さらにその御子である
第16代・
仁徳(にんとく)天皇も

御原の海人とは
協力関係にあったようです。

応神天皇は
淡路島に行幸したといいますし

仁徳天皇は
淡路島から朝夕に
清水を取り寄せて

飲んでいたといいます。

淡路島は
御食国(みけつくに)ともいわれ

朝廷に食材を
貢いだといわれますが、

当時は
海産物が中心であった
といわれていて

南側の
隼人系海人だけでなく

北側の
安曇(あずみ)系海人も
関わっていたようです。

これらの海人も
やがて膳夫として

朝廷の食事に関わり
軍事力ももっていたといいますから、

屯倉というのは
ただの食糧調達地ではなく

軍事的な意味合いも
含めていたようですね。

もしかすると、
直属の精鋭部隊でも
あったのかもしれません。



淡路島の屯倉神社には
日前(ひのくま)神社とかかれた
碑がありますが、

ここはもともと
日前神社だったものを

ちかくにあった
屯倉神社を合祀した
といいます。

しかし、
よくないことが続くので
これまでとは逆に、

屯倉神社に日前神社を
合祀したのだといいます。

ですから、碑は

日前神社でも

名称としては
屯倉神社のようです。



さらには
旧・屯倉神社の跡地でも
小さな祠でお祀りしているといいます。

今回は残念ながら
行けませんでした!!

しかしこの

日前神社も考えるならば、

第14代・
仲哀天皇が営んだという

和歌山の
徳勒津宮(ところつのみや)に

関わるのかもしれません。

徳勒津宮のちかくには
日前宮(にちぜんぐう)ともいわれる
日前(ひのくま)神宮があります。



仲哀天皇は
即位後の仲哀2年、

1月に
神功皇后を妻にむかえると

2月には
笥飯宮(けひのみや)
ともに暮らし、

淡路島に
屯倉をおいたといいます。

そして3月には
徳勒津宮に行幸して

6月には、
熊襲討伐のために
死地となる九州・山口へと
赴いたようです。

ですから、
徳勒津宮とゆかりのある
日前神社がここに
祀られているのかもしれません。



祭神は
日前神宮とおなじく

岩戸隠れのさいに
鏡をつくったという
石凝姥命(いしこりどめ)だと
いいます。

しかしながら、もしかすると
日前神宮とおなじく

思兼命(おもいかね)
祀っていたのかもしれません。

ぼくは、かねがね
神功皇后は

天照大神の姉である
ワカ姫ヒルコさま
生まれ変わりではないか
いっているのですが、

ホツマツタヱによれば
ワカヒメの夫となるのは
オモイカネです。

神功皇后が
ワカヒメさまなら

仲哀天皇は
オモイカネさまだった
のかもしれませんね。



かつて
海中だったという
三原平野では

兵庫県で収穫される
玉ねぎのうち
95%が生産されている
ともいうようです。

ここは、
玉ねぎの栽培に適した
肥沃で温暖な土地
だといいます。

 

 

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