若狭国の水神めぐり③ ~若狭彦神社~ | NAVI彦 ~つつがなき神さまめぐり~

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その土地ならではのお話も、
さくっとまとめてます。

若狭国一宮の
若狭彦(わかさひこ)神社です。



若狭国二宮の
若狭姫(わかさひめ)神社とは

南北に
1500メートルほど
はなれてならんでいます。


若狭彦神社は、

上社の
若狭彦神社と

下社の
若狭姫神社の
2社からなる神社で、

あわせて
上下宮(じょうげぐう)とも
遠敷明神(おにゅうみょうじん)とも
いうようです。



714年に
遠敷川(おにゅうがわ)の
白石(しらいし)に降臨した
若狭彦神を祀るといいます。

当初は
白石に祀っていたものを
この地に遷座したようです。



若狭彦神は
白雲とともに

白馬にまたがり

8人の眷属を
連れていたとありましたが、



一説には

若狭彦神社の
社家・牟久(むく)氏の
祖にあたる


笠朝臣(かさのあそん)の
節文(せつぶん)が

若狭彦と若狭姫の
霊夢をみて

神託どおりに
白石に祀ったのが
はじまりともいうようです。

 


若狭国鎮守神人絵系図という
鎌倉時代の絵巻には

節分からはじまる
歴代が描かれていて、

節分もまた
唐風のすがたをしているようです。



ただし、

白石は仮宮だったようで
 

すぐに、いまの

若狭神宮寺(じんぐうじ)の地へ

遷座したといいます。

そうして1年後に、
この地に鎮座したようです。



本殿のまえに

ひろがる森は、

猿塚やサナミの森と
いわれるようですが

 



つぎの遷座地をもとめる
節分に

この地の

猿たちが指をさして

当地を教えたことから

猿之見、サナミになった
といわれているようです。

 

鳥居からつづく参道は

南西にすすみ

 

夫婦杉から折れて

真西にすすむのは

 

猿たちがさしたという

方角によるのかもしれませんね。

 

 

夫婦杉のあいだには

朝日がのぼるといいますから、

 

ここにもなにかしらの

レイラインが

あるのかもしれませんね。

 

 

若狭彦神社の

随身門(ずいじんもん)も

 

若狭姫神社とおなじく

北に4人、南に4人の

合計8人が向かいあうという

 

ここにしかない

珍しいものだといいます。

 

 

レイラインといえば、

 

随身門には

近畿五芒星の記事が

貼りだされていました。

 

こちらには

社務所もなく

 

いまでは

祭事のほとんどを

下社の若狭姫神社で

おこなっているそうですから

 

参拝客もすくなく、

とても静かです。

 

とくにこの

随身門をくぐると

雰囲気が変わります。

 

 

中央は

祭祀場でしょうか?

 

旧社の跡でしょうか?

 

ある方は

この境内を

 

老樹亭亭(ろうじゅていてい)

閑雅幽邃(かんがゆうすい)

神威渺渺(しんいびょうびょう)

 

と書かれていましたが

それもなんだか

わかるような気がします。

 


祭神の
若狭彦神は

彦火火出見尊(ひこほほでみ)

とされるようです。

この方は
天照大神のひ孫にあたる
山幸彦(やまさちひこ)

のことですね。

若狭姫神こと
豊玉姫(とよたまひめ)
夫となるかたです。



ですから、上下宮では
夫婦を祀っているようです。

妻・豊玉姫の霊跡を
夫・山幸彦が
追ったのでしょうか?



一説には、

 

この地にはもともと
男女神が祀られていたのではないか?

という推測もあるようです。


唐人風の姿というように
この地はむかしから


大陸の渡来人が

流れついていたといいます。

 

 

ですから、


白石や
白馬や
白雲は

新羅(しらぎ・しるら)の
隠語ともいうようです。

 

日本書紀には、

 

新羅の皇子である
天日槍(あめのひぼこ)も
若狭を訪れたとありますし、

 

若狭には
縄文・弥生の遺跡もおおく

古代から栄えていたといいます。


海外には
ひろく知られた地
だったのかもしれません。

 

小浜湾の北にある

泊(とまり)には

 

若狭彦神社の

元宮ともいわれる

 

若狭彦姫神社が

祀られているといいますし、

 

若狭や遠敷など

この地の言葉は

 

朝鮮語が訛ったもの

とする見方もあるようです。

 

ですからこの地に、

渡来した男女が祀られることも

ありそうな気がします。

 


創建時期の
715年前後というと

古事記や日本書記の
成立したときですから

当時の世情や仏教も
関わっていたのでしょう。

こうして、
さまざまな憶測を

はばたかせるのも

おもしろい神社のようです。

 


本殿の北には、
山幸彦と豊玉姫の子・
ウガヤフキアワセズも
祀られていました。

 

もしかすると

若狭彦とは

 

豊玉姫が連れてきた

若くおさない御子・

ウガヤフキアワセズのこと

だったのかもしれませんね。

 

ウガヤのウは

鵜(う)という鳥からきている

といいますし、

 

白石にある霊跡は

鵜の瀬というようです。

 

だとしたら

遠敷(おにゅう)のウも

鵜かもしれません。

 



本殿の南には
手水があり、

 

伏水の幸(ふしみずのさち)

ともいわれる

湧き水をつかっていて

霊水のようです。

 

 

この水はそのまま

池にもそそいでいて

 

池のなかには

サンショウウオのような

生き物がうようよと

泳いでいました。

 


この手水池の裏手にも

空き地がひろがっているようでした。

 

 

寂びれた庵のまえを

通っていくと、

 

寺社の跡のようなものが
ありました。

絵巻にものこる
黒童子社の跡

かもしれないとのことでした。

黒童子社では、

笠氏・牟久氏の祖である
節分を祀っていたようです。



ちなみに、
遠敷川をさかのぼって
百里ヶ岳(ひゃくりがたけ)を越え

安曇川(あどがわ)へと

つながるルートもあるようです。

 

ここもまた

古代の流通ルートの

ひとつだったようです。


若狭国の水神めぐり④ へ つづく

 

 

 

 

 

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