若狭国の水神めぐり④ ~鵜の瀬~ | NAVI彦 ~つつがなき神さまめぐり~

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神社めぐりをしています。
その土地ならではのお話も、
さくっとまとめてます。

若狭彦神(わかさひこ)
若狭姫神(わかさひめ)
降臨したという

鵜の瀬(うのせ)です。



若狭国一宮である
若狭彦神社の境外地であり


若狭国最高峰の
百里ヶ岳(ひゃくりがたけ)
からそそぐ

遠敷川(おにゅうがわ)
中流にあたります。




日本名水百選にも
かぞえられるここは

白と黒の
2羽の鵜(う)が
磐から飛びだしところ

香水(こうずい)のような
甘い水が湧いたと
伝えられるようです。



この磐壁には
磐座(いわくら)信仰も
結びついているのでしょう。

 



まるで、

川淵に龍が
寝そべっているかのようです。

 



100メートル南には
鵜の瀬の給水所と

白石(しらいし)神社が
祀られていますが、


ここは、
若狭彦神社の元宮と
されているようです。

 



714年に降臨したという
若狭彦神はこの地の
仮宮に祀られたあと

すぐに
若狭神宮寺(じんぐうじ)に
遷座したといいます。

 

こちらも、
若狭彦神社とおなじく

本殿前に
礎のようなものがありますね。

 



苔むした境内は


こぶのふくれた木や
鎖のはずれたブランコなど
鬱蒼としていますが

 



人をよせつけない
静けさもまた

神域の美しさの
でもあります。

 

ご神木は、こちらの

おおきな椿のようです。
 


谷にある社ですから
日もあたりにくいのでしょう。

腐食からまもるためか
社は建屋のなかにあります。

当初はこのように
聖地として祀られていた
鵜の瀬ですが、



後年は、奈良の
東大寺(とうだいじ)の
「お水取り」と対になる

「お水送り」の地として
知られるようです。



東大寺の
初代・別当であった
良弁(ろうべん)和尚は

鵜の瀬がある、若狭の
下根来(しもねごり)出身だった
ようです。



また、この
良弁の弟子であり

インドの僧でもある
実忠(じっちゅう)和尚は

この地の
若狭神宮寺に務めていた
といいます。



実忠は、東大寺の
二月堂(にがつどう)を
創建して

修二会(しゅにえ)を
はじめたといいますが、

これがいわゆる
「お水取り」だそうです。



修二会は、

天界のひとつである
兜率天(とそつてん)へ
いたった実忠が、

天人たちの行っていた
十一面観音の行法を
もちかえったものと

いわれるようです。

 



752年、
大仏開眼にさきがけて
国家泰安を祈るため

14日間におよぶ
修二会をはじめて

行ったといいます。



その初日に
実忠が神名帳をよみあげて
国中の神々を招いたところ、

若狭国の
遠敷(おにゅう)明神だけが
漁のために遅れてしまい

12日目の夜半に
あらわれたそうです。

 


そこで
遠敷明神は、

二月堂の

本尊(十一面観音)に供える

閼伽水(あかみず)を

 

毎年かならず
届ける約束したところ、
 

大地から

白と黒の2羽の鵜が
飛び出してきて
水が湧いたといいます。



東大寺二月堂にある
閼伽井屋(あかいや)は

このときにできたため
若狭井(わかさい)ともいい

若狭国の

鵜の瀬と通じていると

いわれているようです。



水はおよそ
10日をかけて届くとされ

鵜の瀬では
3月2日に
お水送りがおこなわれ

東大寺では
3月12日に
お水取りがおこなわれるといいます。



二月堂の北東側には
遠敷神社も祀られることから

若狭と大和の関わりは
とても深いようです。

 

また、
二月堂の西には
良弁杉(ろうべんすぎ)があり

若狭で鷲にさらわれた
幼い良弁は

この杉にかかっていた
とされるようです。

なんだか
コウノトリ(神の鳥)のようですね。



ところで、
『鵜』の字はもともと
ペリカンに使われていたといいます。

ペリカンは
あたゆる動物のなかで
子孫への愛が最も強いとされ

胸に穴をあけて
血をあたえて子育てをする
という伝説もあるようです。

その愛の深さから
キリストのシンボルにも
なるといいます。



いまでいう
カワウやウミウをあらわすのは
『鸕』だったそうです。

ウガヤフキアワセズ
表記には

鵜葺草葺不合命(古事記)や
鸕鶿草葺不合尊(日本書紀)がありますが

鵜と鸕、
どちらの鳥だったのでしょう?

 



ちなみに
ウガヤの語源ともされる
産屋(うぶや)ですが、

若狭でも
昭和30年ごろまで
産小屋(うぶごや)が
利用されていたといいます。

出産のさいには
村共有の産小屋にはいり

家族と生活を別にして
しばらくのあいだ

産小屋で暮らすといいます。

血による穢れから隔離したと
いわれるようですが、

母を家事から解放し
体力回復につとめるための
知恵ともいわれるようですね。

小浜(おばま)から

敦賀(つるが)にかけては


産小屋を利用した村が
おおくあったようです。

敦賀では
色浜の産小屋が

いまも文化財として
残っているといいます。

 

 

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