紀伊国の高野山めぐり④ ~ニウ考~ | NAVI彦 ~つつがなき神さまめぐり~

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神社めぐりをしています。
その土地ならではのお話も、
さくっとまとめてます。

丹生都比売(にうつひめ)神社
第三殿には

大食都比売大神 (おほげつひめ)
が祀られていました。



古事記(こじき)には、


粟國謂大宜都比賣此


とあり、

イサナギ・イサナミの
「国生み」でできた
四国のうち

粟国(あわ・阿波)の
名だといいます。

また、
イナサギ・イサナミの
「神生み」には


次生大宜都比賣神


とありますから、

阿波国(あわのくに)を

おさめた神さまのこと

かもしれません。

 



高天原から追放された
素戔嗚尊(そさのを)


又食物乞大氣津比賣神


オホゲツヒメに
食べものを乞うたといいます。

大気都比売神は
鼻・口・尻から
食べものを取り出すと

これを調理して
すすめたそうです。

ソサノヲは、
そんな汚らわしいものは
食えるかと激怒して


乃殺其大宜津比賣神


オホゲツヒメを
殺してしまったといいます。

 



すると、
オホゲツヒメの

頭からは
蚕(かいこ)が

目からは
稲種(いねのたね)が

耳からは
粟(あわ)が

鼻からは
小豆(あずき)が

陰部からは
麦(むぎ)が

尻からは
大豆(だいず)が
生まれたといいます。

大いなる食べものの女神から
大食津比売(おほげつひめ)
というようです。



丹生都比売神社
オホゲツヒメは、

氣比(けひ)神宮の境内社・

金(かねの)神社から

勧請されたといいます。

 

しかしながら、
金神社の祭神は
素戔嗚尊(そさのを)でした。

オホゲツヒメを
切ったほうの神さまです。



日本書紀(にほんしょき)には
これとおなじ話として

月夜見尊(つきよみ)と
保食神(うけもち)
えがかれています。



天照大神(あまてる)

弟・ツキヨミが

ウケモチを
おとずれたときのこと、

ウケモチは口からだした
米や魚や動物を調理して
もてなしたといいます。

ツキヨミは、
こんな汚らわしいものは
食えるかと激怒して

ウケモチを
剣で切り殺したそうです。



ホツマツタヱにも
おなじ話がありました。


つきおけの
くちよりよねの
いゐかしく
そのにむかえは
こゑかくる
てこにいれきて
すすなしる
ももたくはえて
みあえなす


ウケモチの一族は
田畑の肥料として
肥(こゑ・糞)をまくことで

おおくの作物を得る
努力をしていたようです。

しかし、

ツキヨミはそれを知らず
糞を食わせるのかと激怒して

ウケモチを
剣で切り殺したそうです。

 



兄・天照大神は
弟・ツキヨミに失望して


まつりはなれて
よるきます


ツキヨミを
政界から追放したようです。

ツキヨミの立場が
揺(ゆる)いだことを

月のかがやく
夜(よる)にかけたのでしょうか。

ツキヨミ(月)を失ったかなしみに
天照大神(日)の心も
陰(かげ)ったのかもしれません。




これ以降、

ツキヨミについては

 

ホツマツタヱにも

ほとんど書かれていない

といいます。

わかっているのは、

ツクシ(筑紫)の
ヲトタチバナのアワキ宮で
生まれたこと、

四国を治めて
トツ宮に暮らしたこと、

イヨツ(伊予津)姫を妻として
イブキドヌシ(伊吹戸主)
産んだこと、

 

くらいのようです。

 

ツクシ(筑紫)は
ツキスミともいいますから、

ツキヨミとも
かかっているのでしょう。

ヲトタチバナのアワキ宮は
福岡県西区にある


小豆(おと)大神宮とも
いうようです。

 

(壱岐島の月讀神社とも)



さて、おもしろいのは
ツキヨミの子・
イブキドヌシです。

滋賀県の
伊吹山(いぶきやま)にも
祀られていて、

日本武尊(やまとたけ)
返り討ちにした荒ぶる神

といわれるほか、

大祓詞(おおはらい)にある
祓戸(はらえど)の神
でもあります。

 



ホツマツタヱでは
軍人でもあり、

ハタレ(反乱軍)の
討伐で活躍したほか、

流浪の身となっていた
叔父・ソサノヲ

名誉挽回のチャンス
与えたといいます。

さらには、
『高野尊(たかのかみ)』
という称え名まで

賜っているのでした。



ハタレ(反乱軍)の
動乱のさい、

猿(卑屈)に憑かれた

ヰツナミチ軍は

四国の伊予(いよ)から
紀伊国(きしゐ)に
わたってきたといいます。


タケミカヅチ(武甕槌命)が

討伐にあたり、

高野山(こうやさん)は
戦場になったようです。



ヰツナミチに勝った
タケミカヅチは、

九千九百(ここちこもも)という
敵兵をひとくくりにして
護送したといいます。

しかし、
高野山を越えるさなか
あやまって

捕虜のほとんどを
くびり殺してしまった
というのです。




まかるもの
やまにうつみて
いきのこる
ももささやまに
つつがなす 


亡くなったものは
高野山に埋めて、

生き残った
百ばかりの兵を
猿更山(ささやま)に
拘留したといいます。

猿更山は、
猿谷(さるたに)ダムの
あたりといわれますし

『つつかなす』は
丹生都比売神社
元宮があったという

筒香峠(つつかとうげ)
のことかもしれません。

このふたつは
とてもちかくにあります。

このあたりは、

丹生川(にうがわ)をはじめ

 

おおくの川の

水源になっているといいます。



天照大神は
ツツカにかけつけると、

敵兵を弔うために
霊還(たまかえし)の秘術
秘術を完成させたようです。

兵主(つはものぬし)

経津主(ふつぬし)

武甕槌(たけみかづち)が

あみだした


霊還(たまかえし)

はじまりの地を

猿更沢(さるさるさわ)

といい、

 

以後、猿更沢は
ハタレ(反乱軍)らの
裁き(霊還)の聖地に
なったといいます。

いまはもう、

猿谷ダムの底
なのかもしれません。

 



やがて、

動乱が鎮まってくると


そのをして
はたれまこちと
たみこよろ
うつむたかのの
たまかわそこれ 


ハタレのままである
九千人と

改心して民となった
九万人の

誓文書(をして)を
高野山の玉川に
埋めたそうです。

しかしながら、

霊還でもヲシテでも

おさまらない魂魄が

あったのでしょう。





たかのには
はけものいてて


高野山には
化け物が出るようになった
というのです。

 

とはいえ、

『はけもの』というのは

 

常軌をいっしたもの

人の道から外れたもの

ということで

 

「ハタレ」にちかい

といいます。

 

気がふれるものが

おおくあらわれた

ということかもしれません。


そこで、




いふきぬし
みやおたつれは
しつまるに
をしてたまわる
たかのかみ


イブキドヌシが
宮を建てたところ
 

化け物のさわぎが

鎮まったというのです。

これによって、イブキドヌシは
『高野尊(たかのかみ)』と
称え名を賜ったようなのです。


もしかすると、
このとき建てた宮が

丹生都比売神社のこと

なのかもしれません。

 


丹生都比売神社の
第二殿に祀られている
高野御子大神(たかのみこ)

高野尊(たかのかみ)こと
イブキドヌシなのでしょうか?

もしくは、
イブキドヌシの末裔を、

丹生都比売神社に奉斎した
天野祝(あまののほうり)・
天野(あまの)氏だとするなら、

天野氏の祖神を
祀っているのかもしれません。

空海(くうかい)を案内した
狩場(かりば)明神もじつは

当時の

天野氏の族長のこと
なのかもしれません。



記紀には、
丹生都比売や

丹生都比売神社の

記述はないといいます。

しかし、この
天野祝については
記述があるのでした。

 



神功(じんぐう)皇后
紀伊国(きのくに)
小竹宮(しののみや・志野神社)を
訪れたときのこと、

夜のような暗さが
何日も続いたといいます。

調べてみると
小竹宮につかえていた
小竹祝が亡くなったあと、

小竹祝と仲の良かった
天野祝が自死をしたのち

いっしょの墓に入っている
というのです。

阿豆那比(あづなひ)の罪

というそうですが、

 

それが

合葬によるものなのか

同性愛によるものなのかは

よくわからないといいます。

 

そこでまた、

別々に葬ることで

昼と夜がもどったそうです。

 

ですから、
神功皇后の世にはすでに
天野氏が天野大社こと

丹生都比売神社に
奉斎していたようですね。

 



さて、この
天野祝がやがて

丹生祝(にうのほうり)・
丹生(にう)氏になった
というのですが、、、

 

一説には

丹生氏のはじまりは

 

筑紫にあったという

「伊都国(いとのくに)」

だといいます。




伊都国は福岡県の
糸島(いとしま)

あたりにあった

巨大国家だった
といわれています。

伊都国からはじまった
丹生氏は丹生の地をもとめて

九州から四国、
四国から和歌山へと
うつっていったというのです。



たしかに、


丹生都比売神社や
高野山や
筒香峠の一帯を

和歌山県
伊都(いと)郡と
いうようです。



丹生都比売神社の
第四殿には

市杵島姫命(いちきしまひめ)が
祀られていましたが、

勧請されたという
厳島(いつくしま)神社も

かつては
「伊都伎嶋神社」と
書いたようです。

「伊都」ですね。

また、
ホツマツタヱによれば
イチキシマヒメは

イブキドヌシの
妻でもあります。



さらにいえば、
厳島神社の奉斎氏族は
佐伯直(さえきのあたい)
だといいますが、

四国にある
讃岐(さぬき)の
佐伯氏の末裔が

佐伯眞魚(さえきのまお)こと
弘法大師・空海(くうかい)です。

高野山をひらいた
真言密教の祖ですね。



また、
糸島には

佐波(さなみ)
という地名もあるようです。

丹生都比売神社には
佐波(さわ)神社がありました。



佐波神社は
山口県防府市にも
あるのですが、

かつては

金切社といい
金切明神を

祀っていたといいます。

気比神宮
金神社と

佐波神社の
金切明神も

切る切られるの
ツキヨミ・ウケモチ
からすると

無関係では
ない気がします。

 

猿更沢(さるさるさわ)の
「サワ」でもあるのでしょうか。



また、
丹生都比売神社の

第三殿にはかつて

 

蟻通(ありとほし)明神

祀られていたともいいますが、


蟻通神社にのこる
蟻通の逸話も


とおしたものは
糸(いと)でした。

 



「ありとほし」は
「あり と ほし」
でもあり、

星(ほし)とともに

有(ある)ものといえば

 

夜(よる)に浮かぶ
月(つき)です。

ツキヨミが生まれたという

小豆(おど)大神宮も

 

糸島や伊都国の

すぐちかくだといいます。

 

だとすると、

ツキヨミの子孫が
丹生氏であり

 

ツキヨミのことを

蟻通神として祀った

 

ということも

あるのではないでしょうか?

 



丹生氏の祖は
ツキヨミとともに
 

四国のトツ宮に
うつったのかもしれません。
 


ツキヨミの子・
イブキドヌシは

和歌山にわたって
ハタレを弔う宮を
建てたといいますが、

イブキドヌシの子孫が
天野氏だとすると


ツキヨミの子孫である
丹生氏がながれてきたとき

権力や土地をゆずった
ということも

あるかもしれませんね。

 


ここで、

気になってくるのは


第1殿に祀られている
丹生都比売(にうつひめ)です。

 

丹生都比売神社では

ワカヒメヒルコのことでは?

と書いたものの、


ホツマツタヱには

丹生都比売神社と

ワカヒメをつなぐ記述は
なかったようにおもいます。




しかし、
ヲシテ文献はほかに

ミカサフミやカグノフミなど
いまだ見つかっていない文献が
おおくあるといいます。

もしかするとそこには、

丹生都比売神社と
ワカヒメを結ぶはなしが

あるのかもしれません。

 

 

ここでまた、

ひとつの可能性として

想像力をたくましくしてみますと、


たとえば、

高野山は

ハタレを祀った地
だというのなら、

首謀者である
モチコ・ハヤコの姉妹
祀られたのではないでしょうか?

 

モチコとハヤコは

男神・天照大神

側室だったのですが、

 

正室となった

瀬織津姫(せおりつひめ)

をうらやんで

 

ヤマタノオロチに

堕ちてしまったかたです。

 

イブキドヌシが
この地に祀ったものは
 

モチコとハヤコの姉妹

だったのかもしれません。



イブキドヌシの妻・
イチキシマヒメは、

 

ハヤコの娘でもありますから

お義母さんを祀ったとしても

おかしくないのかもしれません。


また、
ヤマタノオロチと化した
この姉妹を切ったのは
ソサノヲです。

こうした、

諸説の象徴として
「大食都比賣(おほげつひめ)」
を祀ったのではないでしょうか?

 



モチコ・ハヤコの

御霊を鎮めるため

玉津島(たまつしま)
ワカヒメは

 

丹生大明神告門

(にうだいみょうじんのっと)

にあるように


高野山のまわりに
忌杖をさして

土地の浄化を

したのかもしれません。

 



敵となってしまった
モチコ・ハヤコ姉妹の
怒りを鎮めたのも

和合を意味する
「ニウ」の心なのだとしたら、

おおくの金属を
溶かす水銀のように

敵対するものの心も
溶かしたということに

なるのではないでしょうか?

 

 

水銀は、

おおくの金属と反応して

「アマルガム」という

合金をつくるといいます。


丹生都比売とは、

水銀である

ワカヒメの心に
 

鋼となった

モチコ・ハヤコの心が

溶けてできた

 

「アマルガム」のような

神さまなのかもしれませんね。

 

 

弘法大師・空海が
高野山の参詣道に建てた
二ツ鳥居(ふたつとりい)は、


モチコ・ハヤコのことを

あらわしているのかもしれません。

 

 

そんな

和合(にう)の尊(かみ)を

 

丹生(にう)の神(かみ)として

丹生の本拠地としたのは

 

あとからやってきた

丹生氏でしょうか?

 

もともとあった

「にう」という音に、

 

「丹生」の字をあてた

のかもしれませんね爆  笑


紀伊国の高野山めぐり⑤ へ つづく

 

 

 

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紀伊国の高野山めぐり① ~蟻通神社~
紀伊国の高野山めぐり② ~丹生大明神告門~
紀伊国の高野山めぐり③ ~丹生都比賣神社~
紀伊国の高野山めぐり④ ~ニウ考~
紀伊国の高野山めぐり⑤ ~壇場伽藍~
紀伊国の高野山めぐり⑥ ~金剛峯寺~
紀伊国の高野山めぐり⑦ ~奥の院~
紀伊国の高野山めぐり⑧ ~空海~