出雲国の八重垣めぐり① ~出雲~ | NAVI彦 ~つつがなき神さまめぐり~

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神社めぐりをしています。
その土地ならではのお話も、
さくっとまとめてます。

島根県の
出雲(いずも)を
めぐります。



ここは、

古事記(こじき)や
日本書紀(にほんしょき)
にものこる

「神話の地」

といわれています。



朝廷から追放された
素戔嗚尊(そさのを)
流れついた地であり、

国を荒らしていた
ヤマタノオロチを
退治することで、

ふたたび英雄となった
ソサノヲが治めた地
でもあるようです。



また、ソサノヲの子・
大己貴神(おほなむち)が

 

あとを継いで
出雲を治めていたところ、

朝廷から
『国譲り(くにゆずり)』を
せまられたといいます。



オホナムチは
『宮をつくって祀ること』
を条件として、

出雲の国を

譲ったといいます。

 

そうして

建てられたのが、いまの

 

出雲大社(いずもたいしゃ)

だそうです。


 

ですから、

出雲は「オホナムチ」こと
 

『大国主命(おほくにぬし)』
 

を祀る地と

されているようです。



おもしろいのは、

神話にしか

のこっていなかった信仰を、

近代の発掘が

裏づけたところでしょうか。

 



1984年・
荒神谷(こうじんだに)遺跡
からは、

日本史上最多の
銅剣358本が
発見されたといいます。

また、1996年・
加茂岩倉(かもいわくら)遺跡
からは、

銅鐸39個が
発見されたようです。

これも、
一か所の発見数では
日本最多だといいます。



ですから、この地には
巨大な勢力があり

なにかしら

祭祀をおこなっていた

とされるようですね。



また、

出雲がさかえたのは

地形にもよるようです。

出雲国風土記(ふどき)には
『国引き(くにびき)神話』
があり、

ソサノヲの
4世孫ともいわれる

八束水臣津野命
(やつかみずおみつぬ)が

島根半島をつくった
といいます。



志羅紀(しらぎ)から
支豆支(きづき)の埼を

佐伎(さき)から
狭田国(さだ)を

農波(ぬなみ)から
闇見国(くらみ)を

高志(こし)から
三穂(みほ)の埼を

綱で引いたというのです。

また、そのとき、

西は
佐比売山(さひめやま・三瓶山)

東は
火神岳(ひのかみたけ・大山)

に綱をかけていたそうです。

さらに、

引いていた綱はそのまま
浜となったといいます。



これもまた、

「神話」というだけでは

ないようです。


縄文時代の

はじめごろ、

 

島根半島は
海にへだてられていた
といいます。



およそ

5000年前には、


三瓶山(さんべさん)の
火山活動によってできた

土砂が

 

神戸川(かんどがわ)

にはこばれて、

 

出雲平野が

つながったようです。

 

 

2400年前の
弥生時代になると


大山(だいせん)の

ふもとにある


日野川(ひのかわ)

によって

砂嘴(さし)がのび
弓浜ができたようです。

 


こうしてできたのが


宍道湖(しんじこ)
中海(なかうみ)

神西湖(じんざいこ)


だといいます。

 

神西湖は、かつて

神門水海(かんどのみずうみ)
という

巨大な入り江
だったようです。

 


こうした湾は、古代
海人(あま)族たち暮らす

軍港でもあったのでしょう。



因幡の白兎
(いなばのしろうさぎ)


などの神話にのこる
「和邇(わに)」は

鰐(わに)や
鮫(さめ)というより、

和邇氏などの
海人族のことでも

あるのでしょう。

志羅紀(新羅)や

高志(越国)から

島をひいてきたというのは、

 

それらの国々と

交易があったということ

かもしれません。

 

また、
斐伊川(ひいかわ)は

江戸時代の

かんがい工事によって

 

宍道湖へ

そそぐようになったといいます。

 

それまでは、

神門水海(神西湖)につながり


日本海に直接
流れていたようです。



ソサノヲは、
斐伊川をのぼって

妻となる
稲田姫(いなだひめ)に
出会ったといいます。



ただし、

西にそそぐ
斐伊川(ひいかわ)も

東にそそぐ
日野川(ひのかわ)も

かつては
「ヒカワ」といい、

どちらが
その川であるのか
諸説あるようです。

どちらの源流も
稲田姫の生地
といわれる

 

奥出雲(おくいずも)に
つながるようですね。



ところで、

「出雲」の由来は

よくわからないのだそうです。

 

一般的には、

 

ソサノヲと稲田姫が

結ばれたとき



八雲立つ
出雲八重垣
つまごみに
八重垣つくる
その八重垣を

 

と詠ったことによる

のだといいます。

 

 

「美しい雲がわき出るさま」

だそうですが、

 

雨がおおいという

山陰地方の天候を

いっているのでしょうか?

 

また、

国引き神話であつめた

4つの国と

 

もともとあった

1国をあわせて

 

「5面(いつも)」といった

という説もあるようです。

 

 

ほかには、

朝鮮語やアイヌ語

という説や、

 

祭祀にもつかわれる
「藻(も)」の名所であり

 

尊称として
「厳藻(いつも)」とよんだ
ともいうようです。

 

なかでも、ぼくが

気に入っているのは、

東の
伊勢(朝廷)にたいして

西のここは
日の沈む地であるから

「沈む(しずむ)」・

「埋む(いずむ)」から

 

「出雲」になった

という説です。



ホツマツタヱには、


さほこくに
かえていつもの
くにはこれ


とあり、

「サホコ国」からかえて
「出雲」としたのは
ソサノヲのようです。



この地は、
ハタレ(反乱軍)
総大将ともいえる

ヤマタノオロチ軍が
はびこっていた地ですから、

天の障りとなり
日を隠すような
「雲(くも・隈)が出でた地」
でもあります。



そんな
雲を「しずめ」ただけでなく

じしんの荒ぶる心(隈)まで

「しずめ」たソサノヲは、

この地を
『イヅモ』となづけた
のではないでしょうか?

そんな、
出雲をめぐる旅を
はじめてみようかとおもいます。


出雲国の八重垣めぐり② へ つづく

 

 

 

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