出雲国の八重垣めぐり⑧ ~塩掻島~ | NAVI彦 ~つつがなき神さまめぐり~

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神社めぐりをしています。
その土地ならではのお話も、
さくっとまとめてます。

弁天島(べんてんじま)から
北に300メートルほどゆくと

塩掻島(しおかきじま)
があります。



稲佐の浜(いなさのはま)
北端にあたるここでは、

身逃(みにげ)神事が
おこなわれるといいます。

 



出雲大社(いづもおほやしろ)
主祭神である
大国主命(おおくにぬし)

1年のうちこの日だけは
出雲大社をあけて

稲佐の浜まで
塩をとりにゆくというのです。

 



その塩は、
翌日におこなわれる
爪剥祭(つまむぎさい)で

稲穂・瓜・茄子・根芋・豆・水

とともに
供えられるといいます。
 

また、

身逃げ神事を
おこなっていたのは、

出雲大社の神官である
出雲国造ではなく

出雲大社の上官である
別火(べっか)氏
だったといいます。



身を清めるために
おこもりすることを、

物忌(ものいみ)や
潔斎(けっさい)と
いうのですが、

このとき
食材の調理につかう
忌火(いみび)

ほかのひととは
「別」にするといいます。

忌火は、
木(錐)と木(臼)を
こすりあわせて起こす
清浄な火のことで

神饌の調理などにも
つかわれるといいますが、

出雲大社には
忌火や調理をになう
別火氏がいたようです。



古事記よると、


大国主命は

出雲の国を譲るとき

朝廷の使者である
武甕槌神(たけみかづち)

迎賓館をたてて
食事をつくってもてなした
といいます。

そのとき
食事をつくったのが
『櫛八玉神(くしやたま)』
だそうです。

クシヤタマは、

 

入り江でとれる

「スズキ」など
 

地元の食材に
こだわっただけでなく、

海底の赤土から
食器をつくったり、

火をきりだす道具も
新調したといいます。

古代には、こうした
食膳すべてをになうものを

膳夫(かしわで)
といったようです。

 



斐伊川(ひいかわ)
ほとりには

クシヤタマを祀る
膳夫神社の跡地や

タケミカヅチを祀る
鹿島(かしま)神社があり

迎賓館は
ここにあったのでは?
といわれているようです。

 



この、料理人・
櫛八玉神(くしやたま)
の子孫が

別火氏だと
いわれるようです。



身逃げ神事に

さきがけて
 

まずは、

3日間潔斎をする

といいます。
 

さらに、

4日目の祭前日には
道見(みちみ)という
下見をするのだそうです。

そうして、
旧暦7月4日

(いまは8月14日)
午前1時になると、

狩衣すがたに

身をつつみ


右手には

青竹の杖を

左手には
真菰(まこも)でつくった
苞(しぼ)と火縄筒をもって

裸足に
足半草履(あしなかぞうり)
をはくと

出雲大社本殿にて
大国主命の御霊を
降ろすといいます。



出雲大社をでた

大国主命の御霊は、

クシヤタマを祀る
出雲大社摂社・
湊社(みなとのやしろ)と

山辺赤人(やまべのあかひと)を祀る
山辺(やまべ)神社をめぐって、

塩掻島にやってくる
のだそうです。



塩掻島はもともと
海のなかにある
岩礁だったようです。

ここで、
海水をくんで火で焼き
塩をつくるといいます。

そうして、
出雲大社にもどると
御霊をもどすようです。



かつては、すぐにもどらず

外泊していたともいいます。

また、

いまでは別火氏ではなく

 

出雲大社の禰宜がかわりに

おこなっているそうです。



おもしろいのは
身逃げ神事のあいだ

ひとに見られてはいけない
のだそうです。

もし道中に
だれかとすれ違ったら

穢れたとされて
「はじめからやりなおし」
だといいます。

人目を避けることから

身逃げ神事ともいうようです。

ですから、
大社町のひとびとは
 

神事の夜には
出歩かないようにする
のだそうです。

 



旧暦7月5日
(いまは8月15日)には

爪剥祭(つまむぎさい)が
おこなわれて

塩掻島でつくった塩が
供えられるといいます。

爪剥祭については、

お供えをするくらいしか

わかりませんでした。

ただ、
爪剥(つまむき)
というように

妻向(つまむき)
西真向(つまむき)とすると

出雲の信仰でもある
西への礼拝
というような気もします。



また、
身逃(みにげ)も

御饌(みみけ)や
御贄(みにえ)とすれば、

食材の調達とも
つながりそうですね。

ただしそれを
主祭神・大国主命がおこなう
というのが
気になるところです。

じぶんで用意して
じぶんに供えるというのも
どうなのでしょうか?

タケミカツチをもてなした
名残というだけなのでしょうか?

 

ついでにいうと、

塩掻島のすぐちかくにある

この磐座?もよくわかりません。

 

けれども、とてもとても

気になる磐です爆  笑

また、なぜ
山辺赤人を祀る
山辺神社をまわるのかも

よくわからないようです。
 

山辺神社も
別火氏の祖先を祀っていると
いわれるようですが、

 

さてどうでしょう?




さらに、別火氏には
財氏という氏族もいて

出雲大社の鍵を
管理していたともいいます。

 

どうやら、

深いいわれのある

氏族のようです。

財氏は
物部十千根(もののべのとおちね)
の末裔ともいわれるといいます。

第11代・
垂仁(すいにん)天皇の世に

出雲の神宝をさぐるため
物部十千根が派遣された

という記述が

日本書紀にあるのですが、、、

そこまた

深い話になりそうなので

あとにとっておきますキラキラ

 

 

出雲国の八重垣めぐり⑨ へ つづく

 

 

 

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出雲国の八重垣めぐり② ~出雲大社 参道~
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