プリムローズ咲く

プリムローズ咲く

日々の気づきや思いを書き留める備忘録

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「プリムローズ保育園の窓から」のタイトルを、お仕事用のブログに譲って、ここは思うことを自由に書いてみようかな、と思っている。

 

お仕事用ブログ プリムローズ保育園の窓から はこちら

 

今年の夏至近くに帰国して3ヶ月。カルチャーショックだったり発見だったりと毎日は目まぐるしく過ぎてゆくけど、ああ、日本っていい国だなあと思う。でも、海外へ出る前の自分には戻れないのだなあとも思う。それがいいか悪いかではなく、それしかないからね。

 

 

今年度もあと3日で終了式だ。アメリカの3ヶ月という夏休みが来週から始まる。

 

アフタースクールプログラムでの事、スナックの時に一緒に座って子供たちとお喋りしていると、横に座っていたマケイラが、ピトリと私の腕に寄りかかるようにくっついてきた。

 

 リエせんせー、寂しいな。プリムローズがなくなるなんて。

 

他の女の子たちもウンウンと頷いている。

マケイラは続ける。

 

 ほら、ランタンを作ったよね。それから詩も読んだ。すっごい楽しかった。

 This prety planet〜

 

サマープログラムで歌った歌をマケイラが歌い始めて、それに数人の女の子たちが合わせて、合唱になった。半年前に歌った歌をよく覚えてるなあと思う。どうだっけ、こうだったっけと、私と一緒にやった詩やムーブメントや輪唱などを繰り返している。シュタイナー教育のカリキュラムは感性に訴えるから、楽しかったんだよね。

 

 レベッカと初めて会った時は、レベッカは3歳だったよね。でも今は10歳になったかあ。

 私はあなたの人生の3分の1を知っている訳ね。

 

プリスクールに入ってきて、その後小学校に行っても学童保育に来ていた彼女は、私の背を越した。レベッカは私よりも差が高いということが嬉しそうだ。

 

レベッカが育っている8年の間、私はプリムローズ・ガーデン・プリスクールを育て、またプリスクールに私自身を育ててもらった。今から思うと、本当に何も知らなかったけれど、素人の強みでぐいぐい進んできたんだと思う。

 

 センセーもね、寂しんだよ。みんなと別れるのが。

 

この子たちが育っていくのを見て居たかったなあというのが本音。でもそこに留まらず、ありがたいことに次のステージに呼ばれた。西宮市で8月に、プリムローズ保育園を開園できることになったから。そして結局アラスカのプリスクールを閉じて、私は日本に帰ることにした。

 

簡単には割り切れない様々な思いが心の中に湧いているけれど、これまでを感謝して、それからこれからを愛しんで、人生を紡いでいきたいと思う。ありがとう、としか言えないな。みんなに。

 

またお会いしましょうね。一緒に笑いましょうね。世界のどこにいても繋がっていると感じるからね。

 

 

 

 

毎朝8時過ぎに、お父さんが連れてくるシドニーちゃんはちょっとシャイで、物静かな子だ。家族が大好きで、保育園という社会にかなりゆっくりと、それからおずおずと適応しようとしている。

 

あまり喋らないのは、コミュニケーションを取れるだけのツールがまだ整っていないからかもしれない。発音が不明瞭で何を言っているのかわからない。スピーチセラピーに行っているので、それはお稽古すれば大丈夫なんだと思う。

 

でも、集団生活でどう動くとか、私が言っていることとかは全部分かっている。動作はゆっくりでもかなり自立していて、育つところはちゃんと育っている。アラスカなので毎日スキー服を着て外遊びをするんだけれど、外遊びの服を着るという、かなり面倒くさいプロセスを難なくこなす。チャックをするとか、手袋を両方着けるとか、丁寧に我慢強くやっている。

 

お父さんは毎朝私に同じ事を言う。

 

「シドニーは保育園に来るのを楽しみにしていました。うまく行っています。今日はお母さんが3時に迎えに来ます」

 

 「分かりました。ありがとうございます。いい一日を」

 

で、私も毎朝同じ事を言う。

 

このお父さんが育児参画したのはごく最近のことで、子育てを一生懸命やるぞっていう意気込みが感じられる。それから様々な戸惑いや、それを乗り越えていっている達成感も。

 

去年の秋お父さんは仕事を調節して、専業主夫になったそうだ。自分の子供の大切な幼少期を共に過ごしたいという理由で。シドニーが保育園の今を逃すと、それは一生後悔するのではないかという思いだったという。 それで子育て専業のお母さんと役割交代したという。お母さんは働き始めた。

 

お父さんは弁護士なので、ある程度仕事の調整も上手くいったのかもしれない、仕事に復帰するのも難しくはないのかもしれない、それから専業主夫の間の生活費も貯められたのかもしれない。でも、子育てをしたいという思いに忠実に、家族第一という自分の価値観を守り、生活を変えたというのは、本当に偉いなあと思う。

 

シドニーの家族を見ていて、仲良し家族というのは、お父さんとお母さんのコミットメントで出来るものなんだなあとしみじみと思う。

 

 

このところシュタイナー関係の本を読み直している。特にシュタイナーカレッジの幼児教育・教員養成コースでの必読本を。熱心に読んだ本とかは、それはきっとコースでのディスカッションに使ったり、また宿題のレポートに使ったものだろうけど、大事なところは赤鉛筆で線引きをしている。それで同じところを今回は蛍光ペンで引くから、何だかおかしい。全然進歩していないんだろうか…。

 

いやいやそうじゃなくって、多分前に読んだ時は、覚えなきゃって学生モードで、今は、そうだそうだって納得しているんだと思う。読んでいると、二十年間に出会った子供達のことが浮かんでくるから。それぞれ縁があって毎日を過ごした子供達。

 

 

今読んでいるのは The incarnating child by Joan Salterで、人智学的に、生まれる前からどのように人となるかという発達過程を、経験を基に書いている。オーストラリアの赤ちゃん専門の看護師さんで、その後Gabriel  Baby centerを創設した人だ。

 

http://www.gabrielcentre.com.au/

ウェブサイトを見て、今もJoanのスピリットは続いているんだと感銘。。

 

第9章Coming from Cosmosのところで、幼児のお絵かきについての考察がある。

 

2歳児がクレヨンでぐるぐると渦を描く事について、

The movement appears to have come from far away and comes to rest on the paper. It curves in from far spaces with the aim of concentrating rapidly towards the middle...

We only encounter spiral the move from outside inwards.

 

(そのクレヨンの)動きははるか遠いところから来て、紙の上で休む。それははるか遠い宇宙から素早い集中力で中心に向かって曲線となる。それは外側から内側に向かう渦巻きだ。

 

うーーん、ちょっと訳がモタモタしていてごめんなさい。

意訳してみると、

2歳児はまだ宇宙と繋がっていて、その影響を受けている。はるか宇宙から子供に注いだエネルギーが子供の身体を通し表れるのがクレヨン画だ。そのエネルギーは速いスピードで振動していて、子供のクレヨンから紙の上に降りた時、外側から内側へ向かおうとする渦の形に集約される。

 

3歳児のプリムローズ保育園の子たちも渦巻きの絵をよく描く。宇宙のエネルギーがそうさせていたんだね。

 

この本を読む前の日、合気道のクラスで、両手どり呼吸投げおもてという技をお稽古した。それは、受けと投げが一体となって中心へ向かう渦巻きの動きをするという技で、私はビギナーなので上手くは出来ないけれど、有段者の技を見ると、2人が内回りの渦巻きで動いていく様が美しいと思った。これも宇宙のエネルギーを感じて出来た技なのだろうかしらん。

 

合気道の求心(内回りの渦巻き)の技をお稽古した翌朝に、Joanの2歳児のクレヨン画の考察を読んだので、あれ、これってCoincidence! って心が躍った。それでその日、プリムローズ保育園はちょうどクレヨン画の日で、もうすぐ5歳のTちゃんの絵を見て、また心が躍った。内回りの渦巻きを描いていたから。それからPちゃんも渦巻きを描いていて、ますます心が躍ってしまった。Pちゃんはいつもお姫様の絵を時間をかけて描くので、そういうわけの分からない絵は珍しい。

 

 

二日間に、時間にすれば30時間くらいの間に4回も内回りの渦巻きと出会うなんて、これは偶然?それとも必然? 宇宙が私にも語っているのかしらん?随分と心が踊る。

 

そういえばもうすぐ冬至で、プリムローズ保育園でのウインターガーデンは、シュタイナー学校のお祭り、トウヒの枝を渦巻きに置き、子供達がキャンドルを持って歩くというもの。あと2週間で冬至。アラスカにやっと光が戻ってくる。

 

 

7時半になったら登園してくるH君と、その日のスナックやアクティビティの準備をするのが日課になっている。

 

まずスナック。シュタイナー保育園では穀物のおかゆということになっていて、H君と一緒に炊飯器の中釜を持ち、パントリーに行く。

 

「せんせー、今日は何の日?ライス?オーツ?」

「今日は ライスの日」

「じゃあ、ペインティングするの?」

「そうそう、後から準備を手伝ってね」

「うわあ、嬉しい。もちろん!」

 

玄米を計量カップで計る時に、いち、にい、さん、と日本語で数えるからH君は日本語の数もすぐに覚えてしまった。6合の玄米を15人で食べるから、子供たちは結構食べるんだなと思う。

玄米にお醤油をかけていただくのはアメリカのスタイル。お醤油はソイソースで、ポピュラーだ。私はそれに海苔を添える。アメリカの子たちは海苔も大好きだから、コストコで大量買してくる。

 

スナックもアクティビティも曜日ごとに決まっているから、子供たちは自然に曜日のリズムを感じ取る。頭で曜日を覚えるんじゃなくて、身体が自然に覚えてしまう。

 

みんなは、変わらないいつものリズムが好き。いつもと違うことがあると、例えば海苔を切らしているとか、ナプキンがないとかすると、それだけで不安になってしまうみたいだ。泣く子もいたり、ゴソゴソしたり、大きな声になったり。大人にしたら、そんなことでガタガタするなって言いたくなるけど、幼児の感性はすごく敏感で、リズムが守っている彼らの暮しが根底から崩れるような危機感を抱くんだと思う。自分が崩れるような感じかもしれないな。

 

それはアクティビティでも同じことで、月曜日のペインティングをクレヨン画に変えたりすると、その日一日は、子供達が集中しなくなるし纏まらない。先生の立場からすると、舵取りのできない船を漕いでいるような感じになってしまう。

 

心臓も規則正しいリズムを打っているし、呼吸も吐くのと吸うのとでリズムがあるし、季節も必ず巡ってくるし、月の満ち欠けもリズムがあるし、人間と自然は繋がっていて、というか、人間は自然の大きなリズムの中の部分だなって思う。

 

地球に生まれてきた子供達が、その大きな自然と一緒に呼吸できるように、リズムを整える毎日を作りたいと思う。