こんばんは。
心理カウンセラー・セルフプロデュースコンサルタントの縣(あがた) 真弓です。
読んで頂き、いいねやコメントありがとうございます。
嬉しいです。
リクエスト頂きました。
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いつもブログ拝見させて頂いてます。
今日の内容は、自分のことを書かれているのでは?
と思うほどの、ドンズバな内容でした。
大変参考になりました。
この延長と、思いますが
この延長と、思いますが
私には人の目が気になると言う悩みがあります。
人の目が、気になる事への対処方について、
人の目が、気になる事への対処方について、
参考になる事があればブログで取り上げて頂けると有難いです。
(Gさん)
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Gさんから、「ドンズバな内容で、大変参考になった」と言って頂いた記事は、
さて、周りの人の目を気にし、浮かないように、場を乱さないように、
自分をコントロールし、言動に気を付け、
「これをやったらどう思われるだろう?」
とチェックしながら実際にやったり、出来なかったり…。
この文章を読んで、そんな状況を想像するだけでも、
とても窮屈で、不自由で、疲れますよね。
また、「自分はどう思われているだろうか?」と人の目が気になると、
自分らしくいることが出来なくなってしまいます。
“人とうまくやる”ことと、“自分らしく生きる”ということが、
時に相反することのように思うこともあると思います。
では、人の目が気になるの始まりはいつだったのでしょう。
ずっとブログを読んで下さってる方は、『あぁ、あれね』と
察しが付いている方もたくさんいらっしゃると思います。
そう。
依存の状態である、子供時代がルーツになっていることが、ほとんどです。
子どもは、両親や周りの大人の顔色を伺います。
それは、両親や周りの大人が大好きなのと同時に、
両親や周りの大人に依存しなければ、
生きていくことができないからでもあります。
子どもは、両親や周りの大人に見放されたり、見捨てられると生きていけないのです。
お母さんの機嫌が悪くなると、ご飯を食べられないかも知れないし、
お父さんに怒られると、家から放り出されるかも知れません。
例えば、テレビを見ながらご飯を食べたいとか、
好きなだけゲームをしたいというのは子どもの欲求です。
ですが、「ご飯の時は、テレビを見てはいけません。」
「ゲームは宿題を済ませてから、1時間だけ。」
と大人に制限されることもありますよね。
自分の気持ちや欲求よりも、大人の判断に従わざるを得ない事があるわけです。
大人しく、素直に従えば、「いい子だね。」「えらいね。」と褒められ、
言う事をきかないと、怒られます。
子どもは、自分の判断ではなく、
周りの大人の価値感や善悪などの基準が判断となったり、
そうせざるを得なかったりするのです。
大人からすると、その時怒るのは、躾や教育の一環なのですが、
子どもに論理的なことは理解できません。
大人から自分に向けられた感情に反応し、
怒っている=悪い事/笑っている=良い事
と理解するのです。
もっと極端に言うと、
大人から愛されているか?大人から愛されていないか?
それだけに反応し、それを元に理解していくのです。
そして、その理解の過程で、
「自分が悪い子だから愛されないんだ」と誤解してしまうことで、
自分に自信が持てなくなったり、
自分は悪い人間なのだと思い込んだりしてしまうのです。
すると、自分に自信が持てない分だけ不安を感じ、
まわりの人からの承認や評価を得るために顔色を伺うようになります。
それと同時に、周りの人がどう見ているか?
と人の目が気になるようになるのです。
自分に自信を持てない分だけ、
自分以外の人からの承認を求め、
他の人からの承認を得られないと傷付きます。
褒めてもらえると、自分の価値や魅力が感じられるのですが、
褒めてもらえないと、自分に価値や魅力が無いと感じてしまいます。
自分の価値や魅力、それらを決めるのが、
自分ではなく、他の人の評価次第になってしまう、
他の人の承認があって初めて、自己承認することが出来るんですね。
いわゆる他人軸です。
自分の価値や魅力が他の人次第で決まってしまうのですから、
他の人の目を気にし、承認を得るために我慢して、自己犠牲をして、
自分を消耗し、疲弊してしまうのです。
次回に続きます。
愛と笑顔に包まれた一日でありますように。
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