こんにちは、絶學無憂です。
先日、ダスティン・ホフマンとメリル・ストリープの共演による傑作映画、Kramer vs Kramer(クレイマー・クレイマー)を観ました。カタカナの「クレイマー・クレイマー」では、商品に文句を言う人(claimer)のようですが、原題の方を見ると全然違うということがわかります。私は何となく「クライマー・クライマー」climber climberというように誤解してまして、どこかへ登る人の話なのかと想像していましたが違いました。原題の vs というのは、戦うときの vs で、これは離婚した夫婦間での法廷闘争を表しています。
父、母、子の三人を演じる俳優がいずれも素晴らしく、この年のアカデミー賞で、作品賞、監督賞、主演男優賞(ホフマン)、助演女優賞(ストリープ)、脚色賞(小説などの原作をもとに映画の脚本を作った場合の脚本賞)といった賞を総なめしており、また子役のジャスティン・ヘンリーも助演男優賞にノミネートされている(受賞は逃した)、というのも納得の、映画史上の傑作中の傑作、という印象を受けました。
私は、妻の別居に伴い幼い子どもたちと別れることを経験していることもあって、親子の絆、夫婦の絆といったテーマの映画がとても好きです。一方で、復讐劇のようなサスペンス映画で「ミスティック・リバー」というものがあって、これもアカデミー賞を取った名作として名高いようで見てみたのですが、もうまるっきり登場人物に共感できないので(復讐なんかする暇があればまず感情解放だろ、っと思ってしまう)、全然面白いと思いませんでした。今、赤穂浪士なんかを見たら一体どう感じるのかちょっと楽しみですね。
話を戻すと、クレイマー・クレイマーの中では、特にダスティン・ホフマンの演技に引き込まれてしまったのですが、ホフマンはこの作品の撮影中にストリープに嫌がらせ(ハラスメント)をしたり、また互いの役についても意見が合わず、そのために両者の関係がかなり険悪になったんだそうです。
ホフマンは、ニューヨークにある、有名なアクターズ・スタジオという俳優養成所で研鑽を積んでメソッド演技法というものを学んだ人です。英語版のウィキペディアによると、この方法による役作りの結果もあって、ストリープへ罵声を浴びせたり、卑猥な言葉を使ったり、ストリープが出演の直前に亡くした婚約者のことを持ち出して苦しめたりして、わざとストリープから演技を引き出そうとした、などとも書かれています。
日本語のウィキペディアでもホフマンについて
アカデミー賞を受賞した『クレイマー、クレイマー』(1979年)や『レインマン』(1988年)といった作品から完璧主義者として知られており、それは時にスタッフ間との確執を生み、制作困難を引き起こすこともあった
と書かれてあります。そしてこれには彼が学んだというメソッド演技法が関係していそうです。メソッド演技法に関するウィキペディアを見ると「批判」として
メソッド演技法では、役作りのために自己の内面を掘り下げるため、役者自身に精神的な負担をかけ、そのため、アルコール中毒や薬物依存などのトラブルを抱えるケースも少なくない。マリリン・モンローやモンゴメリー・クリフトは役作りに専念しすぎるあまり、自身のトラウマを掘り出したがため、情緒不安定となり、以後の役者人生に深刻な影響を及ぼしたと指摘されている。 また、ヒース・レジャーは、ダークナイトでのジョーカーの役作りの結果不眠症に陥っており、この為に服用していた睡眠薬の副作用によって映画の公開を待たずに死亡するまでに至っている。
というように書かれています。どうやらホフマンだけではなく、同じようなアプローチで役作りをする人たちは、周囲と問題を起こしたり、あるいは自らの人生を破滅させたり、ということがしばしば見られるようです。この方法自体については、
メソッド以前の演劇においては、役者は役作りや演技を行う際は、基本の発声法や仕草、パントマイムなどのテクニックを使用し、感情や役柄の表現を行っていたが、メソッドでは、そうした形式的で表現主義的な古典的な演劇手法と距離を置き、より現実と近い、自然な演技を追求している。そのため、演技をする過程においては、担当する役柄について徹底的なリサーチを行い、劇中で役柄に生じる感情や状況については、自身の経験や役柄がおかれた状況を擬似的に追体験する事によって、演技プランを練っていく。
というように紹介されています。
なんでこういうことが起こるのか、というのが興味深いと思いました。
これは、誰も座っていない空の椅子に、クライエントが何かを伝えたいと思っている人物が座っていると仮定し、これまでに伝えられていない意見や感情を伝えてもらう技法です。