こんにちは、絶學無憂です。

 

劇作家の鴻上尚史さんがAERA.dotの連載「鴻上尚史のほがらか人生相談~息苦しい『世間』を楽に生きる処方箋」の中で、「友人に絶交された」という28歳女性に対して答えている文章が素晴らしいと評判です。本田晃一さんも絶賛。

 

https://dot.asahi.com/dot/2019040500077.html?page=1

 

これは、セラピーあるある、なんですよね。

 

私も山程これにまつわる苦い思い出があります。

 

一年前、ブレイン・アップデートのオンラインコーチングを受講したときに、これは結局、二元性という世界観の中のステージから出られていない人の特徴なんだよ、と田仲真治さんから聞かされました。

 

どういうことかというと、たとえばこの記事の相談者のさやかさんと、その絶好宣言した友人女性A子さんとの間の関係には、極性があるのですよ。

 

む、どこかで聞いたような。

 

そうです、このブログの主題である極性の分離と再統合。その極性です。

 

と言われてもピンときませんよね。

 

たとえば、「さやかはいつも上から目線で、話したくもないのに人の家のこととか根掘り葉掘り聞いてきて高校時代から苦痛だった」というこの友人女性A子さんの言葉にはっきりと出ていますが、上から目線というのは、上から下を見るわけで、上と下、という極性に分離しているのです。

 

このことを鴻上尚史さんは「無意識の優越感」と表現しています。優越感というのも、優越なる人と、劣悪なる人という極性に分離してはじめて可能になる感情ですよね。

 

さやかさんとしては「親切心」から一生懸命動いているつもりなのですが、本人の気づかない間に(無意識のうちに)、このように友人関係の中に、エネルギーの極性を作ってしまっているんです。

 

実際にやってみると身をもって知ることができますが、このような人間関係にあるときに、この二人に協力してもらって筋肉反射テストを行うとほぼ百発百中で、エネルギーの極性を認めることになります。

 

たとえばこのような「親切心」から一生懸命動いているときのさやかさんの筋肉反射テストをとると、体の左右にエネルギーの極性が生じているのが普通です。たとえば右腕が押してもびくともしないのに、左腕は踏ん張れない感じですね。「親切心」から動いているつもりなのですが、だいたいここには自分は「正しい」ことをやっているという感じが潜んでいます。意識してないかもしれませんが、正義を振り回してます。これがエネルギーのバランスを崩します。

 

そして、そういう状態の(極性を持った)さやかさんが、その絶好宣言したA子さんとやりとりしているとき、この両者の関係の中に、さやかさんが持っていた極性が反映されます。

 

さっきまで右腕が強くて左腕が弱かったさやかさんが、おそらく両腕強くなるでしょう。そのとき、絶好宣言した友人、上から目線を感じているA子さんは、どうなるかというと、一人の時は力が入っていた筋肉も力が抜けます。

 

個人の中に生じた極性が、人間関係の中に拡大されます。

 

これは磁性を帯びていない鉄の棒(友人のA子さん)に磁石(さやかさん)がひっつくと、その鉄の全体のが磁性を持つ、という現象と同じ仕組みになっています。

 

この自由研究の動画とほぼ同じ状態です。

 

 

だいぶ前の動画なので田仲真治さんが茶髪ですが(笑)、ここにその筋肉反射テストの実演が出ています。ここでは、一人が正義を振りかざしたときに、その一人が自分の中に作り出したエネルギーの極性が、どのように集団の中へ拡大するかというのをデモンストレーションしています。

 

 

これとほぼ同様のことが、さやかさんと、A子さんの間に起きており、友人としてはその極性のエネルギーの圧迫感に耐えられず、絶好宣言に至ったということでしょう。

 

相談は、いつもA子さんから来ましたか? それとも、A子さんが苦しそうだから、さやかさんの方から「どうしたの? 何があったの?」と話しかけましたか?

このように鴻上尚史さんはさやかさんに問いかけていますが、この最初の一歩が本人からかどうかというのが圧倒的に重要です。なぜ?

 

エネルギーは意図に従うからです。

 

A子さん本人が自分の状況を改善したいと考えており、自ら相談を依頼する場合は、その意図に従ってエネルギーが流ます。

 

ところが、A子さんは希望していないのにもかかわらず、さやかさんのほうから質問してアドバイスしようとしていた場合はどうでしょうか?A子さんはもともと希望していないので、彼女の意図に従ったエネルギーは流ませんね。

 

さやかさんの意図に従ってエネルギーが流れることになるのですが、「親切心」を意図しているはずなのですが、正義を振りかざしちゃってますので、相手を「自分が良いと思う状態」へ変化させよう、という意図になってしまってて、これは実は相手の自由を奪うものですね。そういう方向へエネルギーが従って流れるので、ズバリ極性を作り上げて、支配の構造になってしまうんですよ。

 

誰かと一緒に飲みに行って「何か相談ある?」なんてことは絶対に言いません。

 

「相談があるんだけど」と言われた場合だけ、相談に乗ります。

このように鴻上尚史さんはおっしゃいます。

 

雑誌の連載で人生相談を受けているけど、友だちと会う時は自分からは決して人生相談の話を振らない、ということでした。

 

なるほど。

 

私も20年近くこのさやかさんをやってきたもので、よく分かるのです。相手から来ない相談はうまくいかない。

 

 

では、このさやかさんの場合のように、身近に困ってそうだなーという人がいるときはどうすればよいのでしょうか?とりわけ、自分がセラピーなどにある程度詳しくて、その相手の状況を改善できそうだ、というときには、黙って見ぬふりをするのも悪いような気がしますね。君のその悩み、僕の知っているちょっとしたことですぐ解決するよ、という時。

 

私はずうっと、プロのセラピストなどでなくとも、セラピーなどに精通していれば、仕事での人間関係や、友人関係に、その知識を生かして身の回りの悩める人を救えるのではないかと、本当にずうっと思っていましたが、これはちょっと違うなと思いました。

 

ゴール設定などは人生のあらゆる場面で使えるのでよいのですが、筋肉反射テストを用いるようなセラピーや、その他の感情解放テクニックも、いかにもセラピーっていう感じのものは、普段からあまりおおっぴらに話せませんね。特に私の働いているような理系の世界では。ですので、友人や同僚から、こういう相談を受ける可能性はゼロではないにせよ、とても低いです。何せ相手は私が何ができるかを知らないのですから。

 

実際には看板を上げて、セラピストとして注文を受けて、対価としてお金を受け取りながら、相談に応じるという形が一番良いのでは、と思うようになりました。その場合、依頼者は明らかに自分から問い合わせてきているので、そもそもセッションの成功率が高いでしょう。
 
これは鴻上尚史さんが雑誌の連載というフォーマットで人生相談を受けているというのと同じですね。

 

ですので、さやかさん、もし「親切心」を本物にしたければ、プロとして活動することを考えてみてください。