こんにちは、絶學無憂です。


友人のじゅんじゅんのブログを読んでましたら、感情解放テクニックのESR(Emotional Stress Release 感情ストレス解放、タッチフォーヘルスに含まれる調整法のひとつ)をやったら、おじいちゃんとのネガティブな記憶が薄らいで、そのまま続けているとおじいちゃんとの記憶そのものが薄れてしまうんじゃないかと思って、急にやめた、という話でした。


 

世間の常識的には、感情解放テクニック、みたいなものは存在しないことになっているので(笑)「はあ?」という感じかもしれませんが、ご自身で経験したことのある人はよくわかると思います。

出来事の記憶がなくなるわけではないのですが、それにまつわる感情が蘇らなくなります。そうなってしまうと、実は 他の人が書いた本を読んで場面を想像しているのと同じようなレベルになってしまいます。記憶があるにはあるんだけど、実際の記憶なんだか、フィクションの場面だったんだか、という違いが曖昧になってしまいます。仕組みを考えると不思議ですが、やったことのある人には当たり前の世界です。

ESRというのはアホみたいに簡単でして、おでこに手のひらを当てながら(指を使う場合は、左右の目の真上のポイントに触れます。片手の指でやる場合は、親指で片方、人差し指と中指をくっつけてもう片方に触れます。)映画のように記憶を再生して感情を浮上させていくだけです。中学校のカリキュラムに入れてもいいんじゃないかと思うくらいです。科学的なエビデンス(証拠)があるのか私は知りません(たぶんないでしょう)が、まじめにデータを取りに行けば、筋肉反射テストなんかよりもよほど簡単に相当きれいな結果が出ると想像します。実験室で行う生物学の実験なんかしょっちゅう失敗しますが、ESRで失敗するというのは、あり得るのかもしれませんが、体験的にはほとんどありません。

 

 

でも、一方では、このような感情解法テクニックを覚えるのは、20代後半くらいからで良いのかな、とも思います。

二元性の世界でコントラストや極性を体験するためにこの世にわざわざ生まれてきているのに、そのような体験をはじめっからぜんぶニュートラルにしてしまっていたら、それはすっごく平和だけどすっごく退屈な人生になってしまって、これじゃあ死後の世界・中間世とあんまり変わんないんじゃねー?となるんじゃないかなと思うわけです。

感情解法テクニックが義務教育で教えられるようになると、世の中の悩みの大半は悩みでなくなってしまいますが、せっかく闇や分離感を体験するためのそのチャンスを奪うことになりかねないわけです。

と、いうように考えると、キネシオロジーや感情解法テクニックみたいなものが、知る人ぞ知る、というレベルに留まっている現状というのは、全然何の問題もないのかもしれません。まさにこれでバッチリと陰陽のバランスが取れているのかもしれません。分離感の体験もできるし、いざとなればその後で、もう一回、極性の統合を体験することもお好みでオプションメニューに入っています。そういうことなんかもしれませんね。

動機がないので実際に試したことはありませんが、よい思い出もESRで薄れてしまうんでしょうかね?

筋肉反射テストのYES/NOで調べたら..... NO でした。

実際に、一昨日のテニスで自分の放った、ものすごいフォアハンドのリターン(コースも良かったんだけどなぜか相手の前衛がこれまたすごい反応の仕方をして返された)の高揚感を味わいながらESRをしてみましたが、記憶や高揚感が薄れる感じはありませんね。むしろ、ESRというのはひょっとしたら、スポーツのイメージトレーニングにおいて革命的なツールになり得るのでは?という気がしました。今度また実験しよう!

ちなみに、ゴール設定でESRを用いる場合は、ESRでネガティブ感情を開放した後(左下を見ながらやるとよいらしいです)で、今度は自分で設定した新しいゴールが実現している世界を積極的に想像します(右上を見ながらESRします)。つまりネガティブ感情を解放するのに使うだけではなく、ポジティブ感情を書き込むのにも使われています。

今回はここまで!

 

 

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