摂津三島からの古代史探訪

邪馬台国の時代など古代史の重要地である高槻市から、諸説と伝承を頼りに史跡を巡り、歴史を学んでいます

宗像大社1 辺津宮(宗像市田島)~天孫を助け奉った、鎮護国家の宗像三女神~

2019年11月02日 | 九州


宇佐神宮と共に是非とも参拝したかった、摂社、末社も含めて全国に数千もの分社が有るともされる、大元の宗像(むなかた)大社です。そして、2017年に世界文化遺産に登録された”「神宿る島」宗像・沖ノ島と関連遺産群”の中核史跡です。以前には、米子市の宗形神社、そして桜井市の宗像神社を取り上げています。

宗像大社というと、一般にはこの玄海町田島のココの社と理解されますが、正式には宗像三宮の一つ”辺津宮”です。あとの二宮は、大島にある”中津宮”、そして「神宿る島」で宗像大社のご神体、沖ノ島の”沖津宮”です。今回は、辺津宮と沖津宮を公共交通機関のみで一日で訪れるという少々きつめの旅程でしたので、とある土曜、JR東郷駅から8:04のバスに乗りました。


・神門手前


ご由緒は記紀に明確に書かれていて、天照大神と素戔嗚命の誓約によって、天孫降臨につながる男神と共に誕生した、沖津宮の田心姫神、中津宮の湍津姫神、辺津宮の市杵島姫神がそれぞれ祀られています。こうして三女神を皇統に関わる形で位置づけている点で重要と考えられ、「古事記」にはこれらの神様を”宗像君等が斎祀った”と記されるのです。

三宮のそれぞれにどの神をお祀りしているかについては、実は古事記、そして日本書紀の本文と3つの一書でそれぞれ違う内容が書かれています(第一と第三はほぼ同じ)。古来より議論がされてきたようですが、昭和の時代1957年に、日本書紀本文や文徳実録、三代実録の内容で決められました。福岡大学の桃崎祐輔氏は、沖ノ島祭祀の担い手ごとに三女神神話の理解に相違があったことを示していて、執行者毎に儀礼が異なってい
たと考えておられます。


・神門


神門をくぐると、すぐに拝殿があります。これは1590年に小早川隆景が再建したもので、ここに先の誓約で誕生した三女神が天照大神から賜った神勅「天孫を助け奉りて、天孫に祭かれよ」の額縁が掲げられています。記紀製作時期に、胸形君徳善の娘、尼子娘が大海人皇子(天武天皇)に嫁いだり、朝臣姓の下賜など、律令制において優遇を受ける地位を得て、沖ノ島の国家祭祀終了後でも、宗像神は正一位勲一等の最高位に昇叙しており、国家鎮護の神として存在し続けました。


・奥に”奉助天孫・・・”の額が有ります

 

この地位を背景に、中世は在地領主宗像大宮司としてさらに成長していきます。鎌倉時代には幕府の御家人となり、優れた航海技術を活かして中国・宋の商人や朝鮮王朝との交易で活躍しました。宗像大社に伝わる石造狛犬や阿弥陀経石は宋人との関りや婚姻関係がうかがえるそうです。しかし、1578年に現在の本殿を再建した、氏貞の病没によって、宗像大宮司の嫡流が途絶えるのです。<歴史内容:宗像大社、福嶋真貴子氏>


・珍しい両流造の本殿。周囲には多くの末社が有ります



・高宮参道

 

拝殿に向かって右手から境内を出て、こんもりした高宮参道を通り、鳥居をくぐって左に行くと、第二宮(ていにぐう、田心姫神)、第三宮(ていさんぐう、湍津姫神)が鎮座します。沖ノ島は上陸不可ですし、大島も船に乗らないと行けないので、その分霊をここに分霊し、ここを参れば宗像三宮を拝した事になると信仰されてきたと神社は言います。現在の社殿は、1973年、伊勢神宮の第60回式年遷宮の際に、それぞれ伊邪那岐宮、伊邪那美宮の旧社殿が下賜されたものです。伊勢神宮は御親神を祀り、宗像大社は”裏伊勢”とも呼ばれる深い関係からでしょう。


・手前が第三宮、奥が第二宮

 

高宮参道の鳥居を右に行き、丘陵地を登っていくと高宮祭場に辿り着きます。神社は、宗像大神の降臨の地とし、沖ノ島と並び、宗像大社境内で最も神聖な場所の一つと説明します。1955年に復元されたものです。最近でもこの南西側から、沖ノ島祭祀遺跡や大島御獄山遺跡と時代や型式が共通する祭祀用の滑石製品(臼玉、舟形)と土器(器台)が採取されています。霊験あらたかな空気が張りつめていました。10月3日夜の高宮神奈備祭では巫女さんの舞が奉納されるようで、見てみたいですね。


・高宮祭場前


・高宮祭場

 

本殿の東側に、8万点と言われる沖ノ島の発掘品(1954年から1971年の間に3回行われた学術調査の採取品)を中心にした宗像大社の収蔵品を展示した神宝館があります。1980年に当時7億円の建造費をかけ完成しました。入ってすぐに、あの金製指輪(5~6世紀)があり、のっけから圧倒されました。小さかったですが、拡大鏡も置かれていて、その細かな細工に関心しました。これ以外の、よく写真で見かける有名遺物が全て直に見れて、”海の正倉院”という通称に改めて納得するボリュームでした。今回は時間が足りな過ぎましたね。


・神宝館

 

沖ノ島の祭祀変遷は、先の3回の調査結果でほぼ大枠が示され固まっているのですが、最近は異論も出てるらしく、また次回の大島の記事で要点に触れたいと思います。

(以上、参考文献、谷川健一氏編「日本の神々 九州」、雑誌「邪馬台国」 No132)


・本殿を裏から


以上、辺津宮を一通り参拝、見学して、宗像大社前10:39発のバスで神湊波止場に行きました。そして、11:15発のフェリー「おおしま」で大島に向かいました


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