摂津三島からの古代史探訪

邪馬台国の時代など古代史の重要地である高槻市から、諸説と伝承を頼りに史跡を巡り、歴史を学んでいます

新屋坐天照御魂神社 西福井社(茨木市西福井)/宿久庄社(茨木市宿久庄)~天火明命後裔の古社と丹後や尾張との繋がり

2019年12月07日 | 高槻近郊・東摂津

 

奈良(鏡作他田)、京都(木島)、大阪にそれぞれ天照御魂神社という名の神社が存在し、大阪では高槻市の西の茨木市にこの新屋社(にいやにますあまてるみたまじんじゃ)が三社存在します。堂々の「延喜式」神名帳式内社、明神大社です。記録がある貞観元年の神階では、近畿各地の天照御魂社の内では新屋社が従四位下で一番高い地位を得ています今回はその内、宿久庄社(上河原社)と、三社の中心となる西福井社を参拝しました。もう一つの西河原社は←リンクで別途取り上げています。

 

・宿久庄社。一の鳥居

 

・宿久庄社 拝殿。右奥には公園施設があり、御爺さんとお孫さんが遊んでました

 

公式のご由緒によると、崇神天皇の時代、物部氏の祖、伊香色雄命により勅祭され西福井社が創建されます。さらに神功皇后が三韓遠征に際して三島県新屋川原で潔祓を行い、帰国後に西の川上(宿久庄社)と東の川上(西河原社)に社を作って、幸御魂と荒御魂を祀ったとされています。特に西福井社について、現在の基となったのは、桃山時代に茨木城主中川清秀公に厚く崇敬され、奥方の性寿院が社殿及び玉垣等を改修された時期です。明治時代は地域の郷社となり幣帛供進社にもなっています。

 

・宿久庄社のこじんまりした神殿

・宿久庄社の北方向には新しい住宅街の彩都が見えます

 

今回の二社のご祭神は、以下の通りです。

(西福井社)

天照国照天彦火明大神、天照皇御魂大神、火瓊瓊杵大神

(宿久庄社)

天照大神、天照国照天彦火明命御児神、、火瓊瓊杵大神

 

「延喜式」に”三座”と有る事から、いずれの社も(西川原社も)三柱のご祭神を祀っていますが、もちろん「延喜式」ではご祭神は明記されていません。ただ、9世紀の「三代実録」や「続日本後記」の記載などから、天照御魂神、伴馬立天照神、伴酒着神だという説が存在します。後の二神はあまりお名前を聞かないですね。

 

・西福井社 鳥居

・西福井社 拝殿


そして、天照御魂神の事です。現在のご祭神では、天照大神も祀
られたりして混同されそうですが、以前にご紹介しました大和岩雄氏らのお考えによれば、天照(アマテル)御魂神と天照(アマテラス)大神は別であり、天照大神は天武・持統天皇の時代に現れ、天皇の氏神となった神なのです。しかし、それ以前より日仰は連綿と存在しており、三輪の大神神社(そして摂社の日向神社や、そして伊勢信仰も元々はその日神信仰だったという事なのです。

 

新屋社三社の位置関係にもこの日神信仰が現れており、西福井社から真東(春分、秋分の日の日の出位置)に見て南30°の冬至の日の出方向に西河原社があり、同じく真西に見て南30°の方向に宿久庄社が、つまり宿久庄社から見ると西福井社が夏至の日の出方向になっているのです。西福井社には天照御魂大神天降りされた”日降ヶ丘”と呼ばれる小高い丘が有り、日神信仰の痕跡とされます。200m程登るようで、今回は断念しました。。。

 

・西福井社 本殿

 

では、より具体的に天照御魂神とはどなたなのか、ですが、これも以前、纏向遺跡近くの他田坐天照御魂神社の説明で少し触れましたが、天照(アマテル)の名の付くほとんどの神社の神職の祖、尾張連の始祖である天火明命事と考えられています。東出雲伝承では、火明命の御子が丹波国にいた天香語山で、アマ氏(海部&尾張氏)の始祖だと云います。下に天照の名を冠する社のアマ氏系神職氏族名を記載します。

 

・西福井社境内。多くの摂末社や拝所があります

 

新屋社:丹比新屋連

鏡作社:水主直

他田社:東大寺文章742年記載の”他田臣”は鏡作と関連をもつ

木屋社:ここは尾張氏系でなく秦氏系。
    ※ただし、東出雲伝承では火明命の後こそが原ハタ氏

天照玉命神社(丹波国):尾張連系丹波国造の六人部連

粒坐天照神社(播磨国):五百木部

阿麻氐留神社(対馬):竹田連

 

そして、新屋社を建てた丹比新屋連は、尾張国に新屋天神も祀っています(鈴木重胤「日本書紀伝」)。今は新屋神社と云い、現住所は「あま市新居屋」です。ここに、摂津三島と尾張国の強い繋がりを感じたいと思います。

(以上、参考文献、谷川健一編「日本の神々 大和/摂津」)

 

 

個人的には、西福井社の境内にある石神(またの名、大海神)に注目してしまいました。境内の池の中に鎮座する石の神で、明治の中頃まで旱魃の時、荒縄でしばり担いで水づけにし、雨が降れば元へ戻し礼拝したとご由緒にあります。これを見て、東出雲伝で紹介される、京丹後市の竹野神社境内にある、池の小島の祠の変形ではないのか?とじてしまいました。伝承は、これは”火明命”が持っていた”蓬莱島信仰丹後の海部氏の子孫が形にしたものだと説明していました。

 

・西福井社 石神

 

丹後地方には、福井や福知山の地名があり、その”福”は火明命のお名前にちなんでいると伝承は説明していましたが、この新屋社ある地名も西福井です。ここに、摂津三島と丹波、丹後地方との強い繋りも改めて感じた次第です。

 


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