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なんだこれ (あいちトリエンナーレ)

 

gendai.ismedia.jp 国民感情〉を理由に「表現の不自由展」が批判される日本の危うさ -現代ビジネス

記事リンク切れてたらすみません。 

 

   なんか途中からズレてきてないか。国民感情じゃないでしょ、ナショナリズムじゃないでしょ。誰かの写真を思い切り燃やしてるのを見て不快にならないのか。感情を不必要にあおることにならないのか。アートだから許せ?感情を揺さぶるのが芸術の目的だからok?それがそのアーティストの主眼だからまったく問題なし?

  特定の国なり、民族なり、信仰基盤をもつ人たちの心を著しく傷つける表現が許されるワケないだろう。この記事はそれをナショナリズムの危うさとか、国民感情が、神聖な表現の自由に優先した事例…とか言いたいようだけどまったくズレてると思う。いったい何がしたいのか。

 

>この作品自体は、2つの椅子が並べられ、その片方に韓国の民族衣装を着た少女が座っているというものにすぎない。そこでは何か声高な告発が行われているわけではまったくなく…

  そうだろうか。本気でそう思ってるのか。どう考えても売春婦像(あちらではイアンフ像)として認識されており、明確にアイコン化されています。

  「単なる民族衣装を着た少女」という認識としたら、これを燃やしたり、パロディにして下劣で卑猥な映像作品に仕立て上げてみたらいい。それを目にした南朝鮮人は怒り狂って、あいちトリエンナーレどこの騒ぎではないでしょう。

  あの像は反日の象徴、ジャパンディスカウント運動の象徴として必死に作り上げてきたものなのだから、それを日本人が揶揄しようもんなら彼らが激怒するのは当然です。アートだから、それが私の表現だから尊重しろ、と強制できますか。そのときこの筆者はパロディ作品を擁護してくれるの? 今と同じように冷徹に南朝鮮ナショナリズムを批判してくれるのでしょうか?? きっと朝鮮人の味方をして、一緒に怒りをぶつける側にまわるに違いありません。

  作家として制作するのは自由だけど、軽々に発表することはしない。表現(制作)と発表は別だからです。イアンフ騒動が幻想だとしても、彼らにとってはそれが大事なものなのです。他人が大事にしているものは尊重しなければならない。それが文明人です。だからそんなブツを南朝鮮の地で展示してはいけない。明らかに無用な混乱が生じる場所での発表はふつうはしない。そんなの当たり前の話です。そんな簡単な事案にナショナリズムを持ち出したこの記事はいったい何なのか。

 

 

どんな話に持っていこうと勝手なんですが

 

www.huffingtonpost.jp 「表現の不自由展・その後」の炎上は、"世界水準の芸術"だった? ヒントとなる文脈を探して。 -hufffpost

 

   じゃあ、キリスト教文化を批判するために、キリストの肖像を燃やすのはアリなの? それで怒りが沸騰して憎悪の連鎖を引き起こしたとしても、でも議論を提起できただけでも意義があった!と曰うのでしょうか。

  イスラム過激派の蛮行を訴えるために、イスラム圏であえてムハンマドの像をこしらえてみたり燃したりするのはアリなのですか?「最近の芸術の動向を視野に入れれば、芸術ではないとは言えない」のでしょうか。「公共の議論を巻き起こす材料を提供することも、現在の芸術の役割のひとつ」なのですよね。

 

> 「非倫理的なアーティスティックな行為は、許容範囲を超えたり、非合法でさえあるかもしれないが、それは社会の既成秩序に挑戦するときに芸術が果たす役割の一部であり、表現の自由はつねに擁護されなければならない

  なるほど。で、あいちトリエンナーレが目指そうとした「世界水準の芸術祭」ドクメンタで、ネオナチに関するアート作品はあったの? 無かったのなら彼らの主張を礼賛する作品を展示しようとしたら大歓迎される? 少なくとも拒絶はされないんですね? そうは思えませんが。

 

 

  どんな話に持っていこうが勝手だけども、明らかに政治的プロパガンダを帯びたモノを持ち込まれて、はいそうですか、アートだから仕方ないですね、表現の自由だからね、と展示させるべきなのかの問題と切り離してほしいんですよね。その話と自分が持っていきたい話題を故意に混合させてないですか?

  んで、天皇陛下の写真(コラージュとはいえ)を燃やして、「理解や対話」に向かうと思ってるの?どうなの?