筆者は1997年7月の香港の返還を跨いで、1996年から2001年まで香港で生活、仕事をしていました。
その意味で、返還前と後の現地の事情や変化を知る数少ない日本人の一人かも知れません。
この頃の業務は、IT関連と当時PCの生産が韓国、台湾そして中国へと移りつつあった時期なのでPC部品などを米国のPCメーカーなどのMNCとそのOEM/ODM生産委託先へ販売が中心でした。
その後は、突然辞令が出て中国関係の仕事に移ることになったのですが、中国事業を立ち上げるにあたり、それまでの香港での経験が大変役立ちました。
当時中国では外国企業に営業権や輸入権を付与していなかったことと、中国側の法人は謂わば「通訳とアテンド」のための事務所的な存在でビジネスを回せる人材がいなかったため、それまで勤めていた香港の法人を使って中国側の法人と疑似的に連携させたオペレーションを始めました。
特に、香港はタックスフリーの地域であるため中国での来料加工主体の事業形態の中国のお客様や保税状態で中国側に材料を持ち込んで再出荷する中国に現地生産工場を持つ外国企業にとって理想的な場所でした。
注) 来料加工とは、生産設備や材料は生産委託側の外国企業が提供して、中国側の企業が生産加工のみを請け負う事業形態。多くの場合は生産までで、品質管理や出荷管理などの工程は委託側の企業が実施していた。
また、前回も触れている通り、外為管理がないため海外への送金が自由なことや世界的にも信用のある超優良銀行があること、オペレーションを回す優秀な人材が豊富なこと、更には法人税が安いこともアジアの統括拠点を置くには最適なロケーションでした。
香港とは、中国であって中国ではない特別な地域、中国の行政的にもSAR(特別行政地区)として大陸から独立した存在であり、その特徴を利用して大陸との連携により二つ1組でビジネスが成り立っていた訳です。
あれから23年目となり、香港も大きく変わりました。
人口も100万人ほど増えて、その90%は大陸側からの移民で、元々以上に高かった香港の住宅価格や物価を更に押し上げました。
国語教育(普通語教育)や大陸からの観光客の増加により中国標準語を話せる香港人は飛躍的に増えましたが、英語教育の機会が相対的に減ったため若者を中心に英語が話せる香港人は少なくなりました。
地下鉄駅などで掲示されている広告も英語の割合が少なくなり、今では殆どが中国語になっています。
この23年の間で起こった最大の変化は、中国における香港の役割の相対的な低下です。
大陸側でも土地バブルが発生して北京や上海などの大都市では香港に負けないくらいに住宅価格が跳ね上がっていますし、香港のお株であった不動産産業も今や大陸側の方が大きくなっています。
また、返還前は中国との輸出入の70%を占めていた香港-広東省ルートも今や10%程度になっています。
尚、返還後も変わっていないこと、あるいは増加傾向にあったのは大陸側からの移民の増加です。
大陸の中国人にとって、一番気楽で金儲けのし易い人気の「海外駐在先」となっています。
広東語の世界とはいえ、同じ中国文化圏だし、おまけに最近では普通語が通じるようになって来て日常生活も便利になり、外為法の縛りもないので立場を利用して大陸側で賄賂などで不正蓄財したお金をバーター取引(海外企業が中国国内の操業のためや、投資などで人民元が必要になることもあるので、シャドーバンクやノンバンクが仲介して外貨との交換を行う私設マーケットがある)などで外貨に替えて海外送金をしたりとやり放題の天国なのです。
もう一つは、香港での上場です。
これまで多くの中国企業が香港株式市場で上場を果たし、資金調達を行ってきました。
前回の記事でも触れていますが、外為法がきつい大陸側にお金は入れず香港を金庫として活用して入出金は全て香港で行っていた訳です。
香港側で材料調達を行い入出金、税金の安い香港側の利益を最大化し、大陸側での付加価値を低く抑え(上述の加工賃を稼ぐ来料加工モデル)税負担を低くすれば企業全体としては利益を最大化出来、自由なキャッシュも確保出来ます。
注) いくら人民元を稼いでも海外送金に制限があるので、主に中国国内での再投資くらいしか使い途がない
しかし、この夢のような楽園は、今回の「特別待遇廃止」によって断たれてしまいます。
また、これによって起こる悪影響は中国企業に止まりません。
日本企業を含め香港の特別待遇による恩恵を得ていたグローバル化の波に乗っていた外国企業も同様に大きな影響を受けます。
新型コロナの次の第二波として不況の波が押し寄せようとしています。
考えるのも悍しいことですが、今年は歴史に残る凄い年になりそうな予感です。
さて、このような波乱の状況の中で香港の人達はどう対応しようとしているのでしょうか?
実は多くの香港人は既に外国の国籍を取得しています。
実際、筆者の香港の友人は実は全て外国籍を取得しています。
1980年代から返還の1997年にかけて中国返還に不安を覚えた多くの香港人、お金持ちが挙って比較的移住が簡単な英国やカナダ、オーストラリアやニュージーランドなどの旧英国連邦(コモンウェルス)の国々に国籍を移しました。(英国植民地パスポート保持者は移住が比較的簡単だった)
移住するための十分な資産がない人達が香港に残ったのですが、中国利権関連の商売で離れられない人達は外国籍のまま香港に戻り商売を続けてきました。
また、香港出られなかった香港市民の中でも中国籍になるのを嫌がった約370万人はBNO(英国海外市民)として英国へ自由に移住出来るわけではありませんが、英国政府が発行した渡航文書(つまり正式な英国パスポートではない)を選択、取得しています。(1997年当時は香港市民であれば中国藉にするか選択出来ました)
つまり、返還当時も約半数の香港市民は一定の不安を感じて中国籍を選択しなかった訳です。
2012年時点でも340万人の香港市民はこのBNOステータスを維持しているとのことです。
この数値は現在の香港の人口748万人の中で中国系が92%、約680万人の内、半数に該当します。
現在、英国他の旧英国連邦の国々は、このBNOの受け入れ準備を検討しており、いざとなれば海外脱出が可能なのです。
台湾も香港市民の受け入れを積極的に進めようとしていますが、お金持ちを取り込もうとしている訳です。
考えたくもありませんが、もし多くの外国人と共に高学歴で高収入のBNOの香港市民がいなくなった後のそんな香港は一体どうなっているのでしょうか?
関連動画;自作トレーラーの関連動画はYouTubeにアップしてあります。宜しければご覧ください。
https://www.youtube.com/watch?v=z-eC-Jokxhw&t=25s
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