今日も当ブログに

お越しいただき

ありがとうございます。

 

かなりブランクがありましたがいかがお過ごしでしょうか・・。

 

この数ヶ月あることに取り掛かっていたので

心を前向きに、健康にしておく必要がある期間でした。

 

書くことでの

デトックス行為のはずなのですが

書くことで

 

フラッシュバックが起きますし

忘れてたことも思い出す必要があります。

 

それは楽しい作業とは言えません。

 

なので

デトックス行為からも

距離を置いていました

 

この間にまた親に殺されてしまう幼い子が続出しました。

 

その度に私のブログのアクセス数が伸びて

ランキングが上がります。

私のブログに来訪者が増えるなんて

喜ばしいことではありません・・

 

このブランク中も

 

ふとした瞬間に

 

 

うちの親ってこうだったなーと

思い出します。

 

そして

また新たに思い出したことがありました。

 

毒母が学習障害だったことは何度か書きましたね。

特に

読み書きそろばんがままならないことも書きました。

  下矢印

学習障害でも言い訳は達者な毒親*7毒

 

それはディクレクシア

 

読字障害という学習障害の一つだったのだと確信しました。

 

 

 

兄弟が多く父親を早くに亡くした貧しい農家で育ち

九人中女兄弟は二人。

すぐ上の姉は家事が嫌い。

畑に出る母親の代わりに

おさんどんに明け暮れたせいで

学校に通わせてもらえずに

読み書きそろばんがままならないのだと思っておりました。

また

戦時中の映画を観ていると

帰還した兵士が

 

戦死した友人の代わりに戦地から届いた息子からの手紙を

農婦である母親に代読するシーンなどもあったので

昭和12年生まれの婦女子は識字率が低いものなのだと思ってもいました。

(今思えば農婦は明治生まれでしたが・・)

 

彼女は毒母が30歳の時の子なので

同級生の中でも親が高齢よりだったことも

疑問を持つことがなかった原因でもあります。

本当に

昨年ブログに書いている段階では

時代のせい、育った家庭の経済力のせい

親が片親で教養がないせい

中卒のせい

 

だから読み書きそろばんがおぼつかないのだと思っていました。

 

 

さらに

環境があればできたはず、やればできたはず、と

障害であるとは思わなかった原因としてもう一つ

 

 

毒母は

裁縫などは

誰に教わるでもなく

説明書や型紙がなくても

あらゆるアレンジでカーテンやワンピースを現代風のデザインに仕上げることができ

それはママ友からも賞賛を浴びるほどでした。

     下矢印

モラハラ毒母*6毒

 

しかし

 

 

彼女の小学校入学時に必要になった

給食時に

使用するナプキンとナプキン袋

体操着袋

算数セット袋

 

など、指定があるものは一切毒母が作ることはなく

給食ナプキンは友人の親の知人にたのみ

体操着袋は文房具店で購入した白い生地。

算数用具入れは体操着入れの印刷の上に

「さんすうセットいれ」

と毒父が布にマジックインキで書いた布を貼り付けたものでした。

 

毒母は毎日ミシンで裁縫をしていましたが

 

文字が読めず理解ができないために

指定のある用具いれなどは作ることができなかったわけです。

 

毎日生地屋に通い

毎日ミシンの前に座り

冬は毛糸で編み

彼女を着せ替え人形にしたて

毎日服を作っていたのに

 

簡単な巾着袋すら作れない・・・

 

友人には女の子は女の子の可愛らしいお手製のバック、男の子は男の子らしい青や水色の袋を

持っている子がたくさんいるのに

 

単純な作りの、巾着は既製品で給食のナプキンはお友達のさらにお友達の母親のお手製・・・?

 

 

このアンバランスだった対応の不思議さについ最近また気付かされました。

 

 

 

毒母は

家の手伝いのせいで授業を受けることができず

落ちこぼれてしまった

 

のではなくて

 

学習障害であり

中でも識字障害と算数障害だったんだと。

 

ディクレスシアだったのだと!

 

(しかも細い手作業などは苦でもなく時間が許せば

一心不乱に何時間でも取り組むところは

アスペルガーも持ち合わせていると言えますが・・・。)

 

 

思い起こせば

 

小学校から配られるプリントは

「読めない」とスルーされ

父が全て読んで内容を伝えていましたし、

 

お客への飲み食いの計算は

ひっ算での3桁の足し算がやっとでそれにもとても難儀し時間がかかっていました。

 

おそらく九九もままならず

掛け算割り算はできなかったと思います。

 

 

こんな状態でも

 

生きていくしかないし

食べていくしかないものです。

 

幸か不幸か女性は

 

当時はできようが出来まいが知性を生かして働ける場は非常に少なく

就業する際には

職業に対する世間や親の理解。

結婚した後に仕事を続けるには夫の理解

義理の親の理解

 

これらを得ることは困難な時代でした。

 

 

なので「女は家庭」に収まるのが無難であり

24歳くらいまでは食堂で女給をしていても

会社で事務員をしていても

 

よっぽどのへちゃむくれでもない限り

縁談話がひっきりなしに来て、

たいていは嫁に行き、農家や商売なら家業を手伝い

サラリーマンなら専業主婦になるのがほとんどの女の生きる道筋だった時代ですので

 

もし社会に出ていたら不適合だった人でも

 

家庭という隠れ蓑でかばってもらえたわけです。

 

しかしながら

家庭は小単位かつ重要な仕事を担わないポジションであり

プライバシーという都合の良い言葉で隠された空間です。

 

ですので

発達障害や学習障害であったとしても

 

被害を受けるのは夫や子供なのです。

 

しかも夫がサラリーマンの場合

ほとんど家にはおらず週休1日で

その休日も仕事のために家を空けていた世代です。

 

 

発達障害や学習障害という

社会不適合者の被害を被るのは

 

子供でしかない。

子供しかいない。

 

でも子供は自分の母親が

社会不適合者だなんてわからないし

もしわかっても認めたくないし

それ以前に

当時は

発達障害や学習障害という個性を持った生きにくい人種がいることも認識されてはおらず

 

発達障害に対する

取り扱い説明書もなく

 

社会不適合者だったとしても

家庭という組織が「会社」ほどシビアな結果を求めて箱ないために

煙に巻かれてきたのだと思います。

 

でも

その社会不適合者を

親に持った子供は

 

過干渉・過保護・ネグレクト

依存・価値観の押し付け・

 

といった

犯罪にはおよばない程度の虐待行為に遭いながら

生きているのですよね。

 

 

実は

 

社会不適合者=親不適合者

 

であることは非常に多いはず

 

なのに

 

食べていけないために

親から男の扶養下になり

 

意に沿わぬ性交をして

はらみ

妊娠し、をに出したものの

 

当人が社会不適合者では

 

家事もままならず

近所の人と気の利いた日常会話もできず

子育てなんてまともにできるはずもなく・・・

 

今思えば

 

そんな女親が引きこもっている気配がする家が

 

通学路にちらほらあったよなぁ・・・。

 

 

 

 

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