境界線のチラシ裏

次から次へと浮かんでは消えていく思考を一度に長く書くことが向いていないので、TLをまとめていこうと思いますブログ。

価値観と普通と障害者



「普通に産んであげられなくてごめんね」



発覚した五歳の頃から
「どのように育って欲しいですか?
どのような教育を望みますか?」
みたいな質問を沢山されてきた。
そのたび「普通の子と同…」と言いかけて困ってきた。
大体普通ってなんなんだ。
イタズラ好きな子だって口答えする子だって片付けが出来ない子だって沢山居るだろ。
じゃあうちの子はなにが欠けてるのか?

確かにひとの気持ちを察したりすることは苦手だ
でも叱ると不機嫌になって暴言を吐いたりもするので、悪いことをして叱られてることは理解してる。

物事の扮別?反省という概念?

ひとのことは大好きだし人懐っこい。
コミュニケーションの障害というより、自問自答がきっと苦手なんだ。自分とのコミュニケーションが出来ないんだ。

買い物先で人形を使って遊ぶ。
取り上げる。
いつも片付けをせず踏んでしまうようなところにタブレットを置きっぱなしにする。
取り上げる。
スーパーで人形をなくす。
サービスカウンターに届いてたのでそのまま数日没収。

それでも彼はケロッとしてる。
なくした人形に至ってはなくした、ということは受け止めて軽く探すだけですぐに諦めた。

また手に入ると理解してる?
それとも切り替えが異常に上手い?


切り替えは上手い。
これのおかげで叱ったあとでも仲直りが出来たり、空気を戻してくれたりする。
でももっと大人になれば「自重」しなければいけないときが来る。

切り替えの上手さや明るく人懐っこいところは物凄い長所であると同時に短所でもある。

だけどたとえばグミを食べていて、はい!と分けてくれたりする。
夕飯の献立に関しては必ず一応の案をくれる。
そこら辺の馬鹿な旦那共よりよっぽど気遣いが出来てるじゃないか。


話を戻すと
やっぱり普通ってなんだ?
彼に足りないものはなんだ?
そしてそれはどうしたら培われるんだ?



彼の責任や甘えを受け止められるのはあたししかこの世に居ない。
実の父親は糞過ぎるし、彼の目線に立てず同じ土台で苛々してしまうひとには無理だ。
障害者、である以前に
子どもに対抗して苛々しているようじゃ駄目だろう。