「方丈記」作者鴨長明の人生に思うこと

方丈記

これまでの人生で何かあるたびに、方丈記の最初の部分を心で諳んじては心の支えとして生きてきたように思います。

確か高校生の時、授業で暗記するようにと言われていらいのことです。

ゆく河の流れは絶えずして、しかも、もとの水にあらず。

よどみに浮かぶうたかたは、かつ消え、かつ結びて久しくとどまりたるためしなし。

世の中にある人と栖と、またかくのごとし。

人生においての悩みやどうにもできない出来事があると、そのことをよどみに浮かぶうたかただと思い、いつかは消えてなくなる、そのように自身に言い聞かせ励ますことで、のりこえられたように思います。


それなのに、作者鴨長明についてどのような人物なのか思いをはせることはありませんでした。

先日、偶然書店でこのように可愛い表紙の方丈記を見つけて即買いました。

方丈記とは

鴨長明が、58歳の時に、挫折と絶望の連続だった一生を振り返って書いたのが「方丈記」なのです。

方丈記 鴨長明さんの弾き語り 木村耕一 著

「方丈記」は「徒然草」「枕草子」とならぶ日本の三大随筆に数えられます。
また、「歎異抄」「徒然草」とならぶ日本の三大古典とも言われています。

長明の半生

1155年、京都下鴨神社の神官の家に生まれました。

父は最高の地位だったので、御曹司として育てられました。
しかし、長明が18歳の時に父が急死します。
後追い自殺を考えるほどでしたが、それは思いとどまりました。

その後、親族の間でもごたごたがあり、長明は将来の地位も財産もなくしてしまいます。
ひきこもるように、和歌や音楽に没頭してその後の人生を過ごします。

この間に、京都の大火災、竜巻、京都遷都、大飢饉など、この世の激しい無常と絶望に遭遇します。

長明が47歳の時に、時の最高権力者後鳥羽上皇の大抜擢により、「新古今和歌集」の編纂メンバーに任命されます。
いきいきと仕事に励みました、後鳥羽上皇はますます長明を高く評価し、由緒ある神社のポストを与えることにしました。
長明は、最高にうれしかったと思います。

またここで、長明の親戚からの大反対にあいます。
神職の勉強をしたことのない長明では不適格だというのです。どん底に落ちた長明は、任務を放棄して失踪してしまいます。

50歳で出家

失踪してのち、法然上人に巡り会われ、阿弥陀仏の本願をお聞きしたことが転機となり、長明50歳の時に出家します。

その後は、5畳半ほどの家をついたてで仕切り、片方を仏間にして阿弥陀如来をご安置され、片方を居間とされていました。

この方丈庵に5年住まれたのち、書かれたのが方丈記です。

方丈記を書き上げる2ヶ月前に、法然上人がお亡くなりになられています。


1216年長明61歳で亡くなられました。

鴨長明の人生に思うこと

『こころに響く 方丈記 鴨長明さんの弾き語り』  木村耕一著
この本では、方丈記の原文では難しいところを、著者の意訳で楽しむことが出来ました。

独特の書き方、インタビューや現地ルポで、鴨長明が方丈記を書くにいたった人生を少し知ることが出来たように思います。

『方丈記』は、仏教の「教え」を踏まえて読んでこそ、長明の心を、深く受け止めることができるのです。

『こころに響く 方丈記 鴨長明さんの弾き語り』

この本を読む前に、「漫画 歎異抄」を読んですぐだったので、いくらかは長明の心を感じられたかとのおもいもあります。

ご自身の並々ならぬ人生と、自然のどうにもならない大災害にあわれ、生きる意味、心の持ちようをどのようにしてよいのか迷われていた時に法然上人に会われて、阿弥陀仏の本願を聞かれてことで、人生の目的を持たれ心穏やかになられたのちのに書かれたのではないかと思いました。

新型コロナウイルスで今後の生活がどうなるのか不安は尽きません。

自分の人生も折り返し地点を過ぎていると思うと、色々な思いがわいてきます。
とても心穏やかにとはいきません。

今まで、心を支えてもらった「方丈記」の一文を諳んじながら、鴨長明の人生にこころをはせながら生きてゆきたいと思います。