2019年5月11日土曜日

阿国歌舞伎の系譜。長唄「鏡獅子」全訳





以前公開した、長唄「鏡獅子(春興鏡獅子)」という踊りの説明の、続きの続きです。こちらでは、歌詞の内容を解きほぐしてゆきます。

※  獅子だらけ、長唄「鏡獅子」(舞踊鑑賞室)
※  人生いろいろ「鏡獅子」という踊り
※  女獅子はもだえ泣く。「鏡獅子」の原型「枕獅子」全訳





地唄にしろ浄瑠璃にしろ、すべての邦楽の「獅子もの」は謡曲「石橋(しゃっきょう)」起源と言われます。





////// すべての獅子ものの原型となった、謡曲「石橋(しゃっきょう)


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- 作者不詳・伝承曲「石橋(しゃっきょう)」※謡曲-

中国の仏教寺院を訪ね歩いていた寂昭法師・大江定基は、清涼山(しょうりょうぜん、現在の中国山西省)に着き、そこにある石橋を渡ろうとしたところ、ひとりの樵(きこり)の少年に引き止められます。少年は橋の向こうは文殊菩薩の浄土であり、人が容易に渡れる橋ではないと言って、仏教修行の厳しさを説くのです。さらに、ここで待っていれば仏の奇跡の一部を見ることができるだろうと言うので待っていると、文殊菩薩の使いの獅子が生きて顕(あらわ)れ、牡丹に戯(たわむ)れて遊んだあと、文殊菩薩の乗り物である獅子の台座に戻ります。少年は文殊菩薩の化身なのでした。

[シテ]獅子
獅子団乱旋(ししとらでん)の舞楽のみぎん みぎん 牡丹の花房にほひ満ち満ち たいきんりきんの獅子頭。打てや囃(はや)せや 牡丹芳(ぼたん ほう) 牡丹芳(ぼたん ほう)。黄金の蕊(こうきんのしべ) 現れて 花に戯(たわむ)れ枝に伏し転(まろ)び。 げにも上なき獅子王の勢(いきほひ) 靡(なび)かぬ草木もなき時なれや。 万歳千秋と舞ひ納め 万歳千秋と舞ひ納めて 獅子の座にこそ直りけれ
現代語訳
獅子団乱旋の舞楽を舞い始めるや、牡丹の花房には匂いが充ち満ち、高く立ち昇った。すると百獣の王たる獅子は頭(こうべ)を振る。鼓を打て、歌い囃(はや)せ。牡丹うるわし、牡丹うるわし。牡丹の雌しべ雄しべが顕(あらわ)れ黄金色に光り輝くや、獅子は花に戯(たわむ)れ、枝に体をこすりつけたり、また転げまわったり。まことに、獣の中ではうわまわるものなどない獅子王に、なびかない草木は無いと思われたそのとき、獅子は「万歳千秋(世よ永遠に!)」と舞い納め、「万歳千秋(世よ永遠に!)」と舞い納め、文殊菩薩像の台座に戻ったのである。
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葛飾北斎「石橋の舞」


「石橋(しゃっきょう)」物語の主人公・寂昭法師こと大江定基(おおえさだもと、962頃~1034年)」は天台宗の僧侶です。988年ごろ三河国司に任じられ、前の妻を離縁し新しい妻を伴って赴任するのですが、赴任先で女が死んでしまいます。定基は別れがたく遺体を抱いて7日すごし、腐敗したのを見てやっと女を埋葬します。そうして「恵心僧都(えしんそうず)」こと源信(げんしん、942~1017年)のもとで出家、天台宗を学び寂昭と名乗ったのです(「今昔物語集」「源平盛衰記」ほか)

都で乞食修行(こつじきしゅぎょう)していたところ、前の妻が通りかかって定基(さだもと)に気づき「ざまあみろ」と、さんざん辱(はずかし)めます。しかし出家した定基(さだもと)は、「かえって徳を積むことが出来た」と悦(よろこ)びます(「今昔物語集」「今鏡」)。やがて1003年、源信(げんしん)の使いで宋へ渡り、天台山(広東省)で源信(げんしん)の書簡への返答を受け取るなどし、そのまま帰国することなく1034年、杭州(浙江省)で入滅しました。謡曲「石橋(しゃっきょう)」は架空の物語ですが、遺体を抱いて7日寝たこと、大勢の見ているところで前の妻に激しく罵倒されたのは事実です。

「石橋(しゃっきょう)」は仏の道に迷う旅の法師の前へ、ご褒美のように文殊菩薩がほんのひととき顕現し、仏の奇特を見せることで、これから進もうとする道が正しいと確信させてくれる、心あたたまる物語です。実話の寂昭法師の人生があまりにも哀れなため、このような物語が出来たのだろうと推察します。

ところで「石橋(しゃっきょう)」という語の意味は、庭にある「飛び石」のこと。自分から石と石のあいだを飛び、そこにない橋を伝い渡ることを仏教用語で「石橋」というようです。これは「鏡獅子(春興鏡獅子)」の歌詞の中に唄われています。





//////「牡丹」「胡蝶」のもととなった、漢詩「牡丹芳(ぼたんよし)


前の記事でも取り上げましたが、謡曲「石橋(しゃっきょう)」や邦楽「獅子もの」牡丹のくだりは、唐の詩人・白居易(はっきょい、772~846年、あざな「楽天」で「白楽天」)の「牡丹芳(ぼたん よし=ムータン・ファン)」から取られています。とても美しい漢詩です。

「芳(ファン)」は感嘆詞のため、音にこだわって訳す場合は「ぼたんほう」と表記します。ムータン(牡丹)の立場は、、、むにゃむにゃ。

ところで「牡丹芳(ぼたん よし)」は、牡丹に熱狂する長安の人々を批判し政権におもねる内容のため、中国本土での評価はかならずしも高くありません。
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- 白居易(772~846年)「牡丹芳(ぼたん よし、ムータン・ファン)」※漢詩-

牡丹芳 牡丹芳 黄金蕊綻紅玉房 千片赤英霞爛爛 百枝絳點燈煌煌
(現代語訳)
牡丹うるわし
牡丹うるわし
紅い玉のような花房(はなぶさ)のなかで、黄金の蘂(しべ)がほころび
紅い霞(かすみ)が千の瑠璃(るり)のように、房なりになって爛々(らんらん)と輝く
数百の枝が、煌々(こうこう)と輝く真紅の燈明を、点々と支えているのだ
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戲蝶雙舞看人久 殘鶯一聲春日長
(現代語訳)
やがてつがいの蝶が花に戯(たわむ)れて舞ったので
人々は飽くことなく、いつまでも眺めていた
季節を忘れた鶯(うぐいす)が一声啼けば、ますます春の日は長く、暮れてはゆかない
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花開花落二十日 一城之人皆若狂
(現代語訳)
花が開いて落ちるまで二十日
ひとつの城郭(長安)の人々は、一人残らずにわかに物狂いとなる
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減卻牡丹妖豔色 少回卿士愛花心 同似吾君憂稼穡
(現代語訳)
牡丹の花の妖しい色気を滅することができたなら
花を愛する大臣たちの心を、少しばかり迂回させることができるだろうか
わが君の、種まき田植えへの憂いに近い考えに、させることができるだろうか

===おわり===

はい。結末、かなり微妙です。





//////「飛騨の踊(ひんだのおどり)は面白や」の真実

前の記事では下記のように書きました。
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中国から三味線が流入した早い時期、検校(けんぎょう)たちが和風にアレンジし独自の演奏法を作りました。「飛騨組(ひんだぐみ)」はそのひとつで、石村検校(生年不詳~1642年)の音曲です(「松の葉集」1703年刊行)
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これは「飛騨組(ひんだぐみ)」の説明ではあるけれど、実のところ「飛騨組(ひんだぐみ)」が各種「獅子もの」に取り込まれた理由の説明にはなっていません。そこでは説明が多くなりすぎるからでした。ごめんなさい。

とりあえず、「飛騨組(ひんだぐみ)」の唄はこんな感じです。
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- 石村検校(生年不詳~1642年)、飛騨組の唄※抜粋-

船の中には 何とお寝(よ)るぞ 苫(とま)をしき寝(ね)に 梶(かぢ)を枕に
ひんだの踊りを 一踊り 一踊り
(現代語訳)
船の中で寝るときには、どうして寝ましょうか。
そう聞かれれば、
(とま、御座のようなもの)を敷いて、梶を枕に、と答えます。
(えぇ、いいですよ、一緒に寝ましょう)
ひんだの踊りをひとさし、ひとさし、舞ってお観せしましょうね。


葛飾北斎「勇士騎獅子図」


「飛騨組(ひんだぐみ)」が「獅子もの」に組み込まれたのは、下記のような経緯です。

<1>
石村検校(生年不詳~1642年)の、「飛騨組(ひんだぐみ)」という三味線の手が大阪にあった。「飛騨組(ひんだぐみ)」の歌舞音曲は流行した。石村検校と同時代の芸能者・出雲阿国(いずもの おくに)との関係は不明。

<2>
===ここから「舞曲扇林(ぶきょくせんりん、1684~1689年ごろ)」===

初代 出雲阿国(いずもの おくに)こと「お通」は死に際して「お郡(くに)」に演目を伝承した。2代目 阿国(おくに)こと「お郡(くに)」は幼い少女たちや少年たちを集めて芸を仕込んだ。少女たちは娘歌舞伎を演じ、少年たちは若衆歌舞伎を演じた。その若衆歌舞伎は「業平おどり」と名乗り、いつの頃からか大阪を拠点にした。演目は「お郡(くに)」がお仕着せにした「十二番(12演目)」の大小狂言だった。


<3>
娘歌舞伎(女)や阿国歌舞伎(おくにかぶき、男女混合)が禁止され「お郡(くに、2代目 阿国)」が芸人を廃業したとき、「お郡(くに)」は演目を狂言師「角助」に託し、「角助」は大阪へ行って「業平おどり」名手である「日本伝助」へ伝え、「日本伝助」が歌舞伎三味線の名手である盲人の「太左衛門」へ伝え、「太左衛門」が「業平おどり」に「四番(4演目)」追加して、計「十六番(16演目)」とした。
===ここまで===

<4>
「業平おどり」の演目「飛騨の踊(ひんだのおどり)」を、初代 瀬川菊之丞(初代 瀬川路考、1693~1749年)が「英獅子乱曲(通称「枕獅子」)」など製作することで、獅子の踊りに取り込んだ。初代 瀬川菊之丞は、浄瑠璃「獅子もの」すべてに影響を与えた地唄「石橋(しゃっきょう)」も作詞・製作した。「飛騨の踊(ひんだのおどり)」は「業平おどり」11番目の演目で、2代目 阿国がお仕着せにしたもの。
*****

葛飾北斎「達磨(だるま)騎獅子図」※北斎、ふざけてる?


推論ですが、「獅子ものと言えば、瀬川菊之丞」と呼び讃えられた、獅子もの作者・初代 瀬川菊之丞は「業平おどり」出身なのでしょう。そうして恐らく、文殊菩薩が庶民(農民)の日常の苦労を癒してくれる存在だと、訴えたかったのではないでしょうか。「業平おどり」や初代 瀬川菊之丞など初期の歌舞伎作者は、権力者のためでなく庶民のために唄い踊っていたのです。

ちなみに「業平おどり」は恋の歌人・在原業平(825~885)とは、いっさい関係ございません。娘歌舞伎(女)で人気だった七夕踊りが演目名「小町おどり」だったので、有名歌人つながり(小野小町に対して在原業平)で演目名を「業平おどり」と称したようです。

そうして問題の「業平おどり」11番、「飛騨(ひんだ)の踊り」がこちらです。
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- 飛騨の踊り(業平踊り、11番)※抜粋

ひんだの横田の若苗を 若苗を しょんぼりしょんぼりと植ゑたもの
今くる嫁が枯らすよの 腹立ちや
ひんだの踊りはおもしろや おもしろや
これ迄よ
(現代語訳)
飛騨の横田の若苗を、若苗を、うんざりしながら頑張って植えたものなのに、
今来た嫁が枯らしてしまい、あぁ、腹が立つったら。
(覚えがあるかい?)
ひんだの踊りは愉快だな、
ひんだの踊りは愉快だな、
ここまで!



皮肉芸ですね。ここまで大上段に語ったあげくの、結末がまさかの「綾●路き○まろ」さんです。我が国芸能史の重要なところなのに、傀儡師(かいらいし)たちの、おふざけが止まりません。そりゃあ、起源が一緒でも、この人たちはあと100年待とうが能楽師にはならなかったろうと感じさせます。

悲しいことを悲しく演じるより、悲しいことを愉(たの)しく演じることに熱意を注(そそ)ぐ人たちが、人形浄瑠璃や歌舞伎狂言(歌舞伎舞踊含む)を作ったのです。

それにしても、新時代の演劇改良運動(歌舞伎改良)の代表作「春興鏡獅子(しゅんきょう かがみじし)」に、もっとも古い「阿国歌舞伎」由来の歌詞が唄われていることに、ある種、感動を覚えます。





//////  長唄「春興鏡獅子(しゅんきょう かがみじし)」歌詞・註解

前回記事、前々回記事と続けて註解を出します。歌詞を読みながら同じ画面で解説を見ていただきたいなぁ、と思うからです。ですので、内容が一部以前の記事と重複しています。ご了承ください。

葛飾北斎「金時(金太郎さん)騎獅子図」※北斎ぜったい、ふざけてる


◆川崎音頭
長唄に取り込まれた伊勢音頭は、いわゆる「伊勢は津でもつ、津は伊勢でもつ」系の参詣端唄や巡礼端唄ではありません。もとは「間(あい)の山節」という伊勢の民謡に、伊勢近在の川崎(伊勢市河崎)の音頭=川崎音頭が混ざったものです。それを伊勢の内宮と外宮(げくう)のあいだにあった旅籠(たびかご)で遊女たちが歌い踊り、広めたようです。


◆人目の関
関所で役人の目を気にするように、人目を気にして、思いどおりにできないことを表わす常套句です。


◆朧月夜や時鳥(ほととぎす)
ほととぎすは夜にも啼(な)くのですが、美声ではなく「キョキョキョキョ(クェクェ、、、とも)、、、」という、ちょっと耳障りな鳴き声です。鶯(うぐいす)とは違います。月夜の幻想を、台無しにされるイメージです。


◆半日の客(かく)たりしも
漢の明帝時代・永平五年(508)、 劉晨(りゅうしん)と阮肇(げんちょう)の二人が楮(こうぞ)を取りに天台山へ登り、道に迷って神女に助けられます。半日遊んだだけで下山したのに、下界では既に七代が経過していたという浦島太郎のような物語(短編小説集「幽明録」より、「天台神女」)です。


◆二十日草
白居易(はっきょい)の「牡丹芳(ぼたん よし)」の中で、牡丹の寿命は二十日とされています。牡丹の花は異名が多く、謡曲「石橋(しゃっきょう)」ではもうひとつの異名「深見草(ふかみぐさ)」が使われます。一方、「春興鏡獅子(しゅんきょう かがみじし)」では「二十日草」と「深見草(ふかみぐさ)」、両方の異名とさらに「牡丹」が登場します(よくばりすぎ!)


◆科戸(しなど)の神
級長戸辺命(しなとべのみこと)の略称で、風の神さまです。


◆ます鏡
「鏡」は現世を見とおす閻魔の鏡の暗喩で、タイトルに「鏡」がある文芸作品はたいてい歴史上の有名人の人生を描いた伝記です(「大鏡」「吾妻鏡」など)。いっぽう、十寸(約30cm)ぐらいの鏡を「真澄鏡=ますかがみ」と、呼びました。ここでは「想いが増す」「人生」「化粧鏡」全部の掛詞になっています。ちなみに「感情が募(つの)る」ことを「増鏡(ますかがみ)」で掛詞にするのは、古い歌ではよくある常套句です。
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嵐三右衛門、吉澤あやめ「吉田小女郎」※抜粋(「落葉集」第7巻、1624年ごろ刊行)
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恋の山 寝るに寝れず 目も合はぬ 身の狂乱は誰ゆゑぞ 問ふにつらさのます鏡
(現代語訳)
恋の山を登るため寝るに寝られず、まぶたを会わせることすらできない。この身の狂乱は誰のせいかと、問うのも辛さがます鏡。


◆花のをだまき 花のおだまき くりかえし
有名な「倭文(しづ)の苧環(をだまき)」というのは中心を空洞に、麻布をくるくる巻いた古文書です。「倭文(しづ)=賎(しづ)」で音が重なったせいか、和歌などでは「繰り返す」や「賎(いや)しい」という語の序詞になりました。

ここでは「繰り返す」の序詞「しづのおだまき」を、「花のおだまき」に変えてあります。「賎(いや)しい」イメージを、払拭したかったように見えます。

1186年、鎌倉へ呼び出された白拍子(遊女)・静御前(生没年不詳)が、逃亡中の愛人・源義経(1159~1189年)へ想いを馳せ、鶴岡八幡宮の大祭で歌い踊った和歌を引いています。
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静御前(「吾妻鏡」
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しづやしづ しづのをだまき くり返し 昔を今に なすよしもがな
(現代語訳)
賎しい身分のわたしですが、それでも昔が恋しく「静(しづ)や」と呼んでいただいた、あの方との日々が今ここへ戻ってきて欲しいと、願っているのでございます。

錦絵「静御前」

これを観た源頼朝(1147~1199年)は激怒します。源頼朝は朝廷のため平氏と戦った弟・源義経に幕府への反逆の疑いをかけ、討伐令を出しています。観衆の面前で、遊女ごときに意見されたからです。


◆獅子の座にこそ なおりけれ
獅子は文殊菩薩の台座、つまり乗り物です。ですから「獅子の座にこそなおりけれ」とは、「まさしく文殊菩薩さまの足許(あしもと)に戻った」という意味です。

昭和51年、迫体育館、歌泰会「鏡獅子」




////// 「春興鏡獅子(しゅんきょう かがみじし)」歌詞・全現代語訳

◆あらすじ

江戸城(正式名称・千代田城)大奥の踊小姓・弥生は、「鏡餅曳(かがみもちひき)」の奉納俄(にわか)を披露する籤(くじ)に当たって怖気(おじけ)づく。上役の人々の説得で不承不承座敷中央へ出て踊りはじめるが、やがて即興の踊りに興が乗り、祭壇に置かれた手獅子(小さな獅子頭)を持ったところ、獅子の精に憑依され、手獅子に曳かれ座敷を飛び出してゆく。まもなく全身獅子となった弥生が戻ってくるが、心は獅子の精に乗っ取られ、胡蝶とともに激しく舞い乱れるのだった。



◆歌詞(太字が現代語訳)

<長唄「枕獅子」を改変した歌詞>

樵歌牧笛(しょうかぼくてき)の声 人間万事さまざまに
世を渡りゆく その中に 世の恋草を余所(よそ)に見て
われは下(した)萌えくむ春風に 花の東(あずま)の宮仕え
忍ぶ便りも長廊下(ながろうか) 忍ぶ便りも長廊下(ながろうか)

きこりの唄の旋律が風に乗って流れついたかと思えば、
羊を追う牧童の笛の音も、聞こえてきます。
何につけ、ひとの生き方はさまざまなものですね。

浮世を渡って生きる喧騒(けんそう)の中にあっても、
御殿勤(づと)めのわたしは人の恋路と距離をとり、
恋草が下草のように胸の中に萌えているのを感じながら、
春風にまかせ、花の東国で宮仕えをしております。
我慢しなければいけないのは、
恋しい人の便りを待ちながら寝る長い夜ではなく、
恋しい人の便りを隠して歩く、御殿の長い廊下です。
ほんとうに、ほんとうに長い廊下なのですよ。


昭和51年、迫体育館、歌泰会「鏡獅子」


されば結ぶのそのかみや
天の浮橋(あまのうきはし)渡り染め 女神男神の二柱(ふたはしら)
恋の根笹(ねざさ)の伊勢海士小舟(いせあまおぶね) 川崎音頭口々に

男と女を結ぶという神、
天の浮橋(あまのうきはし、国産神話の最初の段)を渡りそめた、
伊邪那美命(いざなみ)さまと、伊邪那岐命(いざなぎ)さま。
女神男神(めがみおがみ)
二柱(ふたはしら)の神がお創りになった恋の道です。

小舟(こぶね)に乗った伊勢の海女が唄いはじめ、
根笹(ねざさ)が土中にじわっと広がるように、
世の中に知れ渡った川崎音頭(伊勢音頭のこと)では、
こんな風に唄われています。


人の心の花の露 濡れにぞ濡れし鬢水(びんみず)
はたち鬘(かつら)の 堅意地(かたいじ)
道理 御殿の勤めぢゃと 人にうたはれ
結い立ての 櫛の歯にまでかけられし
平元結(ひらもとゆい)の高髷(たかまげ)
(かゆ)いところへ平打ちの とどかぬ人につながれて
人目の関の別れ坂

人の心の涙は、花の露のようなもの。
櫛に水をつけ、鬢(びん)のほつれ毛をしっかり梳(す)いて。
はたちになるかならぬかという若さでも、固く意地をつらぬいて。
そりゃ道理、御殿勤めはそういうものじゃろうと、
他人に面白く歌いはやされ、
結い立ての髪の櫛の先まで噂にされる(櫛の歯=口の歯)、
御殿女中のわたしです。

お勤めのため平元結(平たい紙で結んだまとめ髪)の髪を、
高髷(たかまげ、高島田のこと)に結い上げています。
かゆいところに手が届くような、
よく気がつく優しい男に添いたいけれど、
そうでもない男と縁を結んだせいで、
平打ち簪(かんざし)で頭を掻くようにもどかしい思いです。
まるで関所にいるかのように、
人目を気にして、離れて暮らしているのです。

昭和51年、迫体育館、歌泰会「鏡獅子」


春は花見に 心うつりて山里の
谷の川音 雨とのみ聞こえて 松の風
(げ)に過(あやま)って半日の客(かく)たりしも 今 身の上に白雲の
その折(おり)過ぎて 花も散り 青葉茂るや夏木立
飛騨の踊(ひんだのおどり)は面白や

春には花見に参りましょう。
山里にすっかり心を奪われているところへ、ふいに谷の川音が響き、
雨が来るかと思っていると、松を吹き抜けるただの風の音でした。
実際に松風に騙され、半日山の神の客人となっただけで、
下山してみると白雲のような白髪の老人になった例もあるのです。
そんな春の盛りの時期が過ぎて花が散ってしまうと、夏木立に青葉が茂ります。
飛騨の踊(ひんだのおどり)は風流ですね。


早乙女(さおとめ)がござれば 苗代水(なわしろみず)や 五月雨(さつきあめ)
(はつ)の人にも馴染むは お茶よ ほんにさ

うらみかこつもな 実(じつ)からしんぞ
気にあたらうとは 夢々(ゆめゆめ)知らなんだ
見るたびたびや聞くたびに
(にく)てらしほど可愛(かあ)ゆさの
朧月夜(おぼろづきよ)や時鳥(ほととぎす)

田植えの乙女がござれば、水を湛(たた)えた苗代(なわしろ)に、
春めいた五月雨(さつきあめ)が降り注(そそ)ぎます。
初めて会う方に馴染んでいただくには、茶事を催すのが良いですよ。
ええ、ほんとうに。

(うら)み言を言いつのるのは、心が本気の証拠です。
気に障ったのならごめんなさい、お気に障るとは夢にも思わないことでした。
逢えば逢うほど、お手紙を頂戴すれば頂戴するほど、
我ながらどうしてここまでと、憎らしくなるほど恋しさが募(つの)ったせいでした。
穏やかな朧月夜(おぼろづきよ)に、時鳥(ほととぎす)がうるさく啼き喚いていますね



時しも今は牡丹の花の 咲くや乱れて 散るは散るは
散り来るは 散り来るは
散り来るは ちりちり ちりちり ちりちり
散りかかるようで おもしろうて寝られぬ
花見てあかそ 花には憂(う)さをも打ち忘れ

折りしも今は牡丹の花が咲き乱れる時期、咲いたとたんに咲き乱れ、
今にも散り始めそうで、
今にも散り始めそうで、
ちりちり、ちり散り始めそうに見えて、あぁ、おもしろくて夜も寝られません。
花を見ながら夜明かししましょう。花を見れば、つらいことを忘れます。


咲き乱れたる 風に香(か)のある花の波
きつれてつれて 顔は紅白薄紅(こうはく うすべに)さいて
見するは見するは 丁度二十日草(はつかぐさ)
牡丹に戯(たわむ)れ 獅子の曲

花が咲き乱れ、花の香おりが風に乗って、波のように吹き寄せます。
ほら、花の化身の花笠衆がやって来ました。
花の顔々は紅白に、薄紅色に染まっていますね。
二十日でお別れの花を見続け、ちょうど二十日目。
どうして? 牡丹に戯(たわむ)れる、獅子の音曲が聞こえてきました。


(げ)に石橋(しゃっきょう)の有様は
その面(おもて)わづかにして 苔(こけ)滑らかに谷深く
下は泥犂(ないり、地獄・奈落のこと)も白浪(しらなみ)
音は嵐に響き合い 笙歌(しょうか)の花降り
簫笛琴箜篌(しょうちゃくきんくご) 夕日の雲に聞こゆべき
目前の奇特(きとく)あらたなり

そこへ突然出現した石橋(しゃっきょう)は、
深い谷に架かかった、巾の狭い(約3cm)苔むした橋でした。
下は奈落の底のように見える白い波のうずまく急流で、
さざ波の音が風の嵐と響き合い、
笙歌(しょうが)の声が、散る花のように谷川に降るところです。
おや。竪琴(たてごと)、笛、琴、箜篌(くご、竪琴に似た弦楽器)の音色(ねいろ)が、
夕日の雲に音曲を聞かせようと、天空を目指し、また谷底から飛翔してゆきますよ。
目の前に展開される奇跡の数々は、仏の世界が確かに存在すると証明するものです。



昭和51年、迫体育館、歌泰会「鏡獅子」


<長唄「鏡獅子」をほぼそのまま取り込んだ歌詞>
※「胡蝶」ここから

世の中に 絶えて花香(はなか)のなかりせば 我はいづくに宿るべき
浮世も知らで草に寝て 花に遊びて
あしたには 露を情けの袖まくら 
羽色(はいろ)にまがふ物とては われにゆかりの深見草(ふかみぐさ、牡丹のこと)
花のをだまき 花のをだまき くり返し
風に柳の結ぶや糸の ふかぬその間(ま)が命ぢゃものを
(にく)やつれなや そのあじさへも
わすれかねつつ飛び交(こ)ふ中を
そつとそよいで隔(へだ)つるは 科戸(しなど)の神のねたみかや

世の中に花の香おりというものがなかったならば、
蝶であるわたしは、どこに宿をとって休めば良いのでしょう。
浮世の苦しみを知ることもなく草の上に寝て、花に遊び、
翌朝にはまた、愛する男とそうするように、
情愛の露を袖枕に寝るのが、蝶というものなのです。

わたしの羽の色と見まがうものなんて、
わたしと深いゆかりのある、深見草(ふかみぐさ=牡丹)しかありません。
だから花が咲くたび、しづのおだまきのように、くるくると、繰り返し花を追うのです。

蝶は、風に恋をした柳が運命の糸をたぐり寄せ、
契りを結んで草木を芽吹かせるまでの、
そのほんの短いあいだの命ですのに。
花の味わいを忘れられず、
名残(なごり)を惜しんで飛び交っているだけなのに。
そっとそよいでわたしたちを引き離すとは、
風の神さまは、花と蝶との関係を妬んでらっしゃるものでしょうか。




よしや吉野の花よりわれは 羽風(はかぜ)にこぼす 白粉(おしろい)
その面影(おもかげ)のいとしさに いとど思ひは ます鏡(かがみ)
うつる心や 紫の色に出(い)でたか 恥ずかしながら
待つにかひなき松風の 花に薪(たきぎ)を吹き添へて
雪をはこぶか朧(おぼろ)げの われも迷ふや 花の影
(しば)し 木影(こかげ)に休らひぬ

吉野の花から飛び立つわたしは、羽風(はかぜ)を立てては、
白粉(おしろい)のような花の花粉を散りこぼします。
あとにはその花粉の面影(おもかげ)を思い出し、花恋しさが増すばかり。
恋にうつろう心が色になって出たのか、
秋になると、わたしの羽は牡丹のような紫色になりました。

そう思って恥じ入りながら待っていても、
秋に咲いた紫の花のあとには、ただ松風が吹くばかりです。
風にそなえて花に添え木をするように、
花木の傍(そば)に薪(たきぎ)が積み上げられるころには、
かすかな雪が風に運ばれてやってくるのだけれど、
その雪が花影に見えるため、
わたしはまた迷いの道へと、踏み込んでしまいそうで、
だからほんの少しのあいだ、木陰に羽を休めたのです。
※「胡蝶」ここまで


それ清涼山(せいりょうざん)の石橋(しゃっきょう)は 人の渡せる橋ならず
(のり)の功徳(くどく)に おのづから 出現なしたる橋なれば
石橋(しゃっきょう)とこそ名付(なづけ)たり

(しばら)く 待たせ給へや
影向(ようごう)の時節も 今いくほどによも過ぎじ 
いま いくほどによも過ぎじ
牡丹の花に舞い遊ぶ
葉影(はかげ)にやすむ蝶の 風に翼かはして 飛びめぐる
獅子は勇んでくるくる くると


昭和51年、迫体育館、歌泰会「鏡獅子」


文殊菩薩さまのおっしゃるには、
これ、清涼山(せいりょうざん)の石橋(しゃっきょう)は、
人が渡れる橋ではないぞよ、と。
三宝(さんぽう、仏・法・僧)の功徳(くどく)を伝えるため、自然と出現した橋だから、
まさに「石橋(しゃっきょう=元の意味は「飛び石」、飛ぶ石)」とばかり、名づけたのだ。

しばらくお待ちなさい、
神仏の降臨と邂逅(かいこう)の時は、
今から幾(いく)ほどもかからず実現し、すぐに終わってしまうからと。
すると牡丹の花に舞い遊び、いままで葉影(はかげ)で羽を休めていた蝶が、
また風に乗り、舞い上がって飛び巡(まわ)ります。
気づくとそこに獅子が顕(あらわ)れ、
勇み足でくるくる、くるくる廻っているではないですか。



花に戯(たわむ)れ 枝に伏し転(まろ)
(げ)にも 上なき獅子王の勢(いきお)
ししの座にこそ なをりけれ

そうして花に戯(たわむ)れ、
枝に身体(からだ)をこすりつけたと思えば、次には伏して転げまわって。
まこと百獣の王と讃(たた)えられる、獅子王の勢いと言うもの。
やがて舞い納めると文殊菩薩像さまの足許(あしもと)へ戻り、
台座に還(かえ)った獅子なのでした。

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葛飾北斎「文殊菩薩騎獅子図」


「枕獅子」由来の前段は踊小姓・弥生が主人公の弥生目線、長唄「鏡獅子」由来の後段は蝶が主人公で蝶目線です。

前段の終わりまぢか手獅子を手にして獅子の精に憑依され、しばらく蝶に見とれるなどの小芝居があったあと、意思を持ったような手獅子に引かれ、小走りに花道を引っ込むくだりは、何度観ても心が躍(おど)ります。そのあとは「毛ぶり」と呼ばれる獅子の振りがたっぷり。いまさら言うまでもないことですが、迫力があって見ごたえのある、素晴らしい演目です。

※  獅子だらけ、長唄「鏡獅子」(舞踊鑑賞室)
※  人生いろいろ「鏡獅子」という踊り
※  女獅子はもだえ泣く。「鏡獅子」の原型「枕獅子」全訳




歌詞は二つの長唄を掛け合わせたせいで複雑な、難しい内容です。でも踊りを見ると複雑に感じることはありません。スッキリ愉(たの)しい踊りですよ。

踊り説明記事は水木歌惣と水木歌惣事務局の共作になります。コメントは水木歌惣、本文は水木歌惣事務局・上月まことが書いています。コピーや配布には許諾を得ていただくよう、お願いします。Copyright ©2019 KOUDUKI Makoto All Rights Reserved.







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