2019年4月22日月曜日

ドルイド僧による人間の犠牲祭_「神話と占い」(その42)_






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古代人の諦観
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ローマ人があらためさせた慣習なのだが、彼らは人の背中をサーベルで刺し、死を迎え痙攣する様で判じるという占いを行っていた。ドルイド僧さえいなければ、死なないですんだ人々だ。外にも矢で射たり、神殿の中で切り刻んだり、藁と材木で作った巨人の中に牛などの動物と人間とを一緒くたに投げ込んで火をつけ、〝焼き尽くす祭り〟(ギリシアの犠牲祭「ホロコスト」)を行っていた


【ガリアの記録】ドルイド僧による人間の犠牲祭(ホロコスト)
ストラボン『地理学』第四巻第四章
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太古(~新石器時代)の昔、男性の人生をもっとも圧迫したのは「生け贄になる恐怖」です。受胎の仕組みが解明されていなかったこの時代、男性はせいぜい労働要員か快楽要員だったため、用がなくなれば軽微な罪で容易く聖別されてしまいます。


また、あまりに〝美しい男性〟や〝歌の上手な男性〟、人並み外れて〝強い男性〟も巫女たちの愛玩物として一時的に厚遇されたあと、数年に一度の大祭で葉冠を被せられ、神への捧げものになりました。

たとえばヘラクレス(「ヘラの栄光」という意)などを主人公とする長大な「英雄伝説」は、女神ヘラの捧げものになった「ヒーロー」たちの武勇伝が、長い間にひとりの冒険譚として収れんされたものだと言われています。元来「ヒーロー」は「ヘラの子」を意味した言葉であり、そのように呼ばれること自体が、その人物の犠牲死を意味しました《フレイザー『金枝篇』》

母権制社会を生きる男性たちにとって「生け贄死」はもっとも身近な死因であり、誰もみな、これを回避しようと必死で鍬を振るいました。青銅器時代に記録された粘土板やパピルス文書に顕れる「王を迎える以前」の日常に、労働の喜びや人生を謳歌する心の余裕は見られません。シュメール(前三○○○年頃)やバビロニア(古バビロニアは前二○○○年頃、新バビロニアは前六二五~前五三九頃)や古代ギリシアの農夫たちは「神々の代わりに働くことが人間の使命で、それ以外、自分に存在価値はない」と諦観していました。


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ことごとくわきまえ
神々に対して落ち度なく
鳥の前兆を見落とさず
神と人との道を踏み間違えず
仕事に励む者こそ
神とゝもにある幸せ者。


【ギリシアの歴史】神々の代わりに働く喜び
ヘシオドス『仕事と日々』
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