【「どうしよう」は「こうしよう」に】


ある人とお話をして

誰にでも当てはまると思うんだけど


自分がしたいと思ったように出来ないと

同じように苦しい思いをするんだ


と思った。




意外にも

他人の為にと言って


一生懸命やってる人が

頑張ってると思われなくて



自分の為にやってる人が

頑張ってると思われたりして


その人がバックアップを

受けることがある。




そのままの考え方で人を見ると

一緒にやってみても良いなと思ってた人が


あっさりと

いなくなったりする。




周りが見えない人は

周りを見ないのですが


認めてもらおうという欲求は

別にどうでもよくて



自己肯定感高めなので

自分の思ったように行動していくから


あまり苦しい思いは

しないのだろうなぁ。




そういう人はフットワークの軽さで

得意分野に強くて商品価値が高くなる。



そういう人になってみたい

という憧れを持ってみたりしても

そうはなれないのが現実か。




人は承認欲求があるので

どこで満たしていくのかが鍵。



自分へ向かうのか。

他人からなのか。


 


会社だけではないけど

上司や先輩がいたりすると


やってみたいのに


否定されたり

禁止されたり

許可してもらえない


ということがある。





そんな風にやりたいことが

できなくなることが続いていくと


あきらめてしまったり

落ち込んだりして


だんだんと心が死んでいく。





そのうちに


何をやっても

何を言ってもダメだ


となり


好きなこと

やってみたいことを


自分で自分に

禁止するようになる。




何を言ってもダメだ

好きなようにするには許可がいる。



そうなってしまった後の状態では

たった一度言われたことかもしれないけど


「全て」否定されたかのような気分に

なったりする時がある。



何回断られても

何回否定されても


諦めずに

チャレンジしていけるほど

そんなに人は強くない。




すさんだ心は

すぐには戻らない。

 



フリーランスになってみて


誰かに否定されても

許可がもらえなくても


やりたかったら

やっていいんじゃないか?

 

もともと頑固なのにね。


反対も批判も

ご意見としてありがたく受け止めて


その上で


俺はこうしたい

それでもこうするんだと

 

自分で決めていいことなんだと

改めて感じられるようになった。



 

自分から身を引いても

良いことはあまりない。



自分がやりたいことを出来ないから

聞いてもらえないから

わかってもらえないから

 

と言い訳を作ってみて

自分で卑下して


悲しくなってそれを怒りに変えて

誰かに八つ当たり。




それは

自分で自分を

癒していたわけで


心のどこかで
癒してくれる人を
探していたりしていたのかもしれない。


心が折れきっていた頃


やりたいんです!

と言うだけの話だと


僕の為を思って

親切に言ってくれた方がいるけど


響かないくらい

弱っていたんだよね。




そんな時に
助けてくれた人が
たくさんいたことにも気づけたし

 
今ならわかる。


あんまり周りを気にしないで
素直にやってみることを

ここ数ヶ月の目標に
してみることに決めた。



自分はどうなりたいのかは


競技選手としては

1つ昔からあったけど


もう少し先のことを

いくつかの選択肢を持って

考えようとはならなかった。



小さな期限のあるタスクを

掲げて過ごすのも面白い。



こうしてみようで

なんとか道が開けそうだ。





そろそろ自分を許そう。




・・・





ではパー





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