2020年2月17日月曜日

「雪が降る あなたは来ない」/「街は整う 人は戻らない」("Snow falls, you don't come" / "Town is ready, people don't return")

[The main text of this post is in Japanese only.]


2020 年 2 月 17 日朝付け『朝日新聞ニュースレター』から。
From Asahi Shimbun Newsletter dated February 17, 2020.

 2020 年 2 月 17 日朝付け『朝日新聞ニュースレター』(e メール)のトップに上掲の写真と見出しがあった。東日本被災地の、人が戻らない現実を報じている記事の紹介である。「記事を読む」の文字をクリックして出てきた記事の見出しは、「人が 4 割も減った街で 若者『俺だけ逃げるわけには…』」となっていて、e メールの見出しとは異なる。私がここに書きたいと思ったのは、e メールの見出し「街は整う 人は戻らない」から連想した歌詞との対比だったので、e メールのスナップショットを掲載した。

 連想した歌詞は、「雪が降る あなたは来ない」である。『雪が降る』(詞・曲=サルヴァトーレ・アダモ、訳詞=安井かずみ)の冒頭だ。この歌は中古品で最近買った『鮫島有美子 愛唱歌集 III』(CD 5 枚組、日本コロムビア、1999)で知った。

 「雪が降る あなたは来ない」では、前後二つの文が、この場合、どちらも寂しさを表しているが、それは個人的・情緒的な寂しさである。いずれは回復する望みもある。

 他方、「街は整う 人は戻らない」では、前の文が本来寂しくないはずの内容であり、全体として寂しさが一層大きく深い。それは社会的荒涼感であり、回復の見通しもつき難い。

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4 件のコメント:

  1.  社会(集団)の悲しみと個人の悲しみの規模を比較すると社会の方がずっと大きいように感じられますが、個人に戻った場合は五分五分かと思います。昔読んだ“5才の幼児の悲哀と50才の壮年の悲哀は同じ”ということばが忘れられないのですがこれに通ずるものがあります。

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    1.  コメント、ありがとうございます。社会的出来事と個人的出来事が発生時点で一個人に与える悲しみの大きさをいえば、silverflute さんのおっしゃるように、五分五分か、あるいは後者の方が大きくさえあるかも知れません。ただ、前者の回復には、多くの場合、社会全体の努力が必要で、より時間がかかります。その結果、悲しみという感情は薄らいで行っていても、それが形を変えて残っている損失感のようなものも合わせて考慮するならば、その時間的積分は、前者の場合の方が大きくなりそうに思われます。

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  2. 社会的出来事は結果的に個人に影響を及ぼすので、私は、社会なのか個人なのか、というより、このように対照的な文章を並べた時に、より悲哀を感じるような気がします。
    桜が咲くのは美しい光景である一方、満開であればある程、散りゆく寂しさ、儚さを感じて憂いを覚えます。その感覚はどこから来ているのかをさかのぼると、まだ小学低学年の頃、バレエの(たしか白鳥の湖だったかな?)舞台に連れて行ってもらった時、あまりの華やかさにこれ以上の幸せはないのではないかと思い、きっと帰りの電車で事故に遭うのではないかと心配したり、正反対の事を考える子供だったように思います。
    話がずれてしまいましたが、とりかえしのつかない、もう戻ることのない大きな悲しみの場合、よりその悲しみを強く感じるのが、復興する町と自分、戻ることのない家族、なんとなく見ている物悲しい風景に重ねられるのはアンニュイな気分ではないかなと思ったりします。

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    1.  「儚さ」といえば、最近オンラインの New York Times 紙の書評欄で、アメリカの物理学者 Brian Green の新著 " "Until the End of Time: Mind, Matter, and Our Search for Meaning in an Evolving Universe" についての評を読みました(いずれブログ記事に書こうかと思っていますが、その準備を兼ねて、ここに少々書いておきます)。その中に "As our trek across time will make clear, life is likely transient, and all understanding that arose with its emergence will almost certainly dissolve with its conclusion. Nothing is permanent. Nothing is absolute." という文が書中から引用してありました。科学書であるにもかかわらず、「宇宙の寿命に比べれば、人類の生存期間は短いもので、人類が探究して得た理解もいずれは無くなってしまう」という無常感が述べられているのです。これはショッキングでしたが、これに続く、宇宙のこの時代に生きている幸せを述べた次の文も紹介されていたので、慰められました。"If you take that in fully, envisioning a future bereft of stars and planets and things that think, your regard for our era can appreciate toward reverence."

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