2020年3月2日月曜日

歌「旅人よ」中の助詞「に」のこと (On the Word "ni" in the Song "Tabibito yo")

[The main text of this post is in Japanese only.]


わが家のレンテン・ローズ。2020 年 2 月 28 日撮影。
Lenten rose in my yard; taken on February 28, 2020.

「旅人よ」中の助詞「に」のこと

 ブログ『まくらが歌謡楽団』に先般「旅人よ」と題する記事が掲載された。岩谷時子・作詞、弾厚作・作曲のポピュラーソング「旅人よ」を紹介したものである。その中に、伊賀山人さんによる解説が引用されており、引用中に次の文がある。
第2節に見える「遠いふるさとに聞く 雲の歌に似て」とは、分かりにくい表現ですが、「遠いふるさとに聞く」とは、本来はこのような口語体の歌詞では「遠いふるさとで聞く」とすべきところを、詞全体の韻律を整えるために敢えてこの句だけ文語調の表現にしたものと考えます。
本記事では、「遠いふるさとに聞く」の「に」について、私の思うところを述べたい。(下に埋め込んであるのは、私が YouTube でチャンネル登録している「ねこじゃらしチャンネル」の「旅人よ」。)



 私の持っている『岩波国語辞典 第五版』の「で(格助詞)」の項には、次のようにある。
場所や時を示すには「に」も使えるが、「銀座で会う」「銀座に在る」を比べてわかるとおり、「に」は存在(に関連すること)の場所、「で」は(活動的な)物事の起こる場所を言う。
この説明は、「聞く」という動作の場所を示すには、口語では「で」を使わなければならないことを分かりやすく教えている。ところが、長い音符が当てられるところに「で」という濁音をおいたのでは、この歌の物静かな雰囲気の妨げになる。この意味で「に」に変えることは、伊賀山人さんのいわれる通り、「詞全体の韻律を整える」ことになろう。しかしながら、これを理由として、「に」を口語の「で」と同じ意味の文語の格助詞と見るのは、どうだろうかという気がする。

 「韻律を整える」ことを考えないとしての口語表現で、ここで「遠いふるさとで聞く」と詠むことが、果たして詩として優れているだろうか。詩では力点をおきたい単語に注意が行くように工夫することが重要だろう。「遠いふるさとで」と来ると、どういう「(活動的な)物事」がそこで起こるのだろうか、という期待が生じ、次に出てくる「聞く」に重みがかかる。しかし、ここでは「聞く」という動作よりも、「雲の歌」を昔聞いた、あるいは聞くことを想像するための、場所が「遠いふるさと」という、かつて身をおいた懐かしい所であることの方が意味上重要であろう。そしてまた、韻文ではいろいろな省略も行われる。

 これらのことを考え合わせると、次のような解釈ができる。例えば「かつて遠いふるさとに居て聞いた」という口語文での思いが初めにあり、その詩的簡略化として、「居て」に続いていた「存在(に関連すること)の場所」を示す口語の格助詞「に」を使った「遠いふるさとに聞く」が生まれ、結果として、「遠いふるさとで聞く」よりも「詞全体の韻律が整っている」という副産物が生じたのであろう。このように解釈すれば、「に」は「敢えてこの句だけ文語調の表現にした」という苦渋の選択ではなく、自然な選択だったことにもなる。

 ——私が理系の人間でありながら、助詞一つの解釈にこだわりもするのは、科学論文を書くには、詩を詠むのとは異なった観点からではあるが、言葉を注意深く選ぶ必要があり、そのための経験を積んできたからかと思う(加えて、学生時代までの文学趣味の名残もあろう)。私が研究職についたばかり時の上司は旧制高校時代を太平洋戦争真っ最中に過ごし、英語をあまり学んでいなかったため、私の方が英作文には自信があった。ある時、私が書いた論文原稿をその上司に見てもらうと、彼の直した一カ所が私の気に入らなかった。そこで私は、これこれの理由で、もとの表現の方がよいと思います、と伝えた。すると上司は「そこまで言葉にこだわるとは、詩を作っているようなものだな」といって笑った。そして、のちには、上司の方が私に論文英語の添削を依頼するようになったのだった。ただし、上司は片言の英語を勇敢に使って外国人と意思疎通をすることにおいては、私より遥かに巧みだった。

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4 件のコメント:

  1. 経験に照らすと、場所の後の「に」に続くのは存在、「で」に続くのは動作ですね。故郷「に」友人が居る。故郷で「友人」に会った。・・・・などと自然に出てきます。文法的観点からこれを指摘されるとは恐れいります。一般的に自国語は自然に話せるようになるので、その文法に疎くても用が済んでしまうのに対して、多国語に対しては正しく使うためには文法を理解しておくことが早道であるように感じています。でも、自国の言葉についても文法的知識があればより正確に自分の意を伝えることができるということですね。と書きながら、この文章のあちこちで使っている「に」の用法が正しいのか気になってしまいます。

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    1.  おっしゃる通り、自国語は文法を省みなくても助詞などを概ね正しく使えますが、他国語を学ぶには文法が役立ちます。他方、自国語の文学などを深く理解しようとすると、辞書を開いて助詞の用法などを確認することが必要になり、他国語でその国の人にとっても自然だと思われる文を書こうとすると、文法だけでなく、日頃からその言語の慣用にもよく触れておくことが必要です。

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  2. Tedさんの解釈に同感します。遠いふるさとできく、という歌詞であるなら、断定的でその時に限定されている感じですが、「に」と使うと柔らかい響きと共に永遠のようなニュアンスを感じます。

    ~と、そこで、なんだか(たぶんとても幼稚な事なのだと思いますが…)疑問が湧いてきてしまいました…長くなりそうなので、この続きはまくらがのブログへ移動します。

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    1.  まくらがブログでの続き "「旅人よ」つづき…" (https://blog.goo.ne.jp/makuragakg/e/f8aa3403b617039835de3f24676039fb )を拝読しました。感想は近日中にそちらのコメント欄で記入します。

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