雨の先にあるものは

雨の先にあるものは

最近、マレーシアでの夕立がやけに激しくなってきた。このシーズンには普通のことなんだけど、雨の屋根を叩く音と雷の空気を引き千切るかのような光と音を聞くと、少しばかりの不安感に襲われることがある。

かといって、ぼくは雨が嫌いかと聞かれたら、そうでもない。むしろ好き。木々や建物を打つ音を聞いてたら落ち着くし、眠気を誘う。雨が放つ独特のにおいも好き。なんで晴れてるときと雨が降るときで空気のにおいが変わるんだろう、と思想にふけってるだけでも楽しかったりする。

一方で、雨が嫌いだという人もいる。外に出て遊ぶことができないし、出かけると服が濡れてしまう。雲に日光が隠れて気分も下がる。雨は悪いやつだ。いつの間にか、空から水が降ってくる現象は、その人の中で嫌われ者になってしまった。

雨が好きな人、雨が嫌いな人、それぞれでいいと思う。というか、それでいるしかない。人には人それぞれの意見があるのだから、たとえ自分と意見が違う人がいたとしても放っておけばいい。

雨に罪はない。いくら嫌われていようが、雨は雨だ。それ以上でも、それ以下でもない。逆に、いくら好かれていたとしても、そんなのお構いなしだ。雨は雨だ。

そのとことん自分らしくある姿に、世の大人たちがいつしか忘れ去ってしまった人間本来の姿を、ほのかに感じずにいられないのはぼくだけなのだろうか。