北海道物語 3️⃣
かつて本州と繋がっていない時、青函連絡船が人々の行き来を支えていた
しかし1954年に巨大な台風がやって来てこの青函連絡船が 座礁し沈没した
搭乗1314人中1139人が死亡した、この時点で台風から低気圧に変わっていたが
風速は100キロメートルであった。
この台風は「洞爺丸台風」と名付けられた。
尚、この影響で岩内町で大火が起こり町の2/3が焼失し翌日風が収まり自然に鎮火した
洞爺丸台風による被害は死者行方不明者 合計1761名、13万棟が、被災した
この教訓から本州と繋ぐ青函トンネル構想が浮上し青函連絡船は廃止となり青函トンネルが
現在開通し、新幹線もトンネルを通り札幌へ向かい小樽市まで来ていてさらに工事中である。
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地震・噴火も起こっておりここ北海道では太平洋岸が常に地震・津波多発地帯である
この辺は北方として普通は穏やかで住みやすい地区だが、古くから地震微動が当たり前の
地区でもある
アイヌの分布は鮭などの漁ができる地区に多く広がっていて、標津・登別・白老・鵡川・旭川
の他 別種のオホーツク人が、常呂・佐呂間・網走で居住していた。
現在は率先して内地人と混血し純血な人は ほぼ存在しない。
建設業者が民間に宿を借りる時、長老に勧められ家の娘が裸で浴室へ背中を流しに来てくれ
一緖にかまどを持った例も多い、また
ロシア人が根室・知床・択捉へやって来て娘が拉致されたこともしばしばあり
明治時代に侍は木の標柱を建てここは日本であると主権を表していたが、小さなイザコザは
当時から何度も起こっていた。