我々が歴史から学ぶことは、

人間は決して歴史から学ばないということだ。

 

と言ったのはヘーゲルだが、

日本人ほどこの言葉がぴったりくる

馬鹿はいないだろう。

 

いまから去ること25年前、

オウム真理教がおこした一連のテロ事件

があった。

 

坂本堤弁護士一家殺人事件、

松本サリン事件、

そして、地下鉄サリン事件。

 

これらの悲惨な事件はなぜ引き起こされたのか?

 

答は簡単だ。

 

それは、警察が捜査しなかったからだ。

 

いや、厳密にいえば、「できなかった」からである。

 

それはなぜか?

 

「人権様」を墨守したからである。

警察は随分前から、オウムをマークしていた。

 

公安の捜査員を内部に潜入させるなど

各種の対策をとってはいたのである。

 

・・・が、強制捜査ができなかった。

 

信仰の自由を犯せない、というわけで。

 

教団への「疑い」レベルの捜査は

人権侵害に当たるから、できないってわけである。

 

なによりも「人権様」が尊い。

 

その姿勢はまさに、「人権真理教」。

原理主義的宗教である。

 

今回の、新型肺炎蔓延もまた、この論理が

そっくりそのまま当てはまる。

 

今回も又、何よりも大切な「人権様」を護るために、

公衆衛生を犠牲にしているのである。

 

なぜ、感染の疑いがある人々を、

自衛隊の駐屯地内に

強制的に隔離しないのか?

 

「人権様」をわきに置いて、

国家の責任で強制的に。

 

「人権は人命より重い」とでも言うのであろうか?

 
完全に狂っている。

 

チャーター機で帰国、帰宅後に高熱・感染確認…家族の健康観察へ(読売新聞)

だから、小さな子供のいる人は家に帰ることが

でき、ウィルスを撒き散らす自由があったのだ。

 

ありえない。

 

小さな子供が死のうが、

絶対に隔離はします。

 

それが正当な国家主権のあり方である。

(普通の国なら絶対にそうする)

 

無論、保障は必要であるが、

「人権様」に配慮して、防疫をおろそかにすることなど

他国の人間からすれば、烏滸の沙汰である。

 

ありえない。

海外からみれば、

完全に笑いものである。

 

オウム事件の時、

「人権派弁護士たち」はこういった。

 

「なぜもっと早く強制捜査しなかったのか?」と。

そうすれば、

「坂本弁護士一家は救えたのではないか?」と

 

馬鹿を言うな。

 

当の坂本弁護士自身が、

「人権派弁護士」であり、

常の主張は、

「信仰の自由を守れ」

「強制捜査は人権侵害だ」

と言っていたではないか?

 

自分たちにそれが降りかかった時、

急に、「もっと早く強制捜査するべきだった」?

 

馬鹿も休み休み言い給え。

 

むしろ彼らはこう言うべきだろう。

 

「坂本弁護士は殉教者である、

 何よりも大切な人権のために

 死ぬことができたのだから」

とな。

 

今回の新型肺炎も全く同じである。

 

「パンデミック」になって

大勢死者が出たとき、

彼らは言うだろう。

 

「どうしてもっと早く国境を閉鎖しなかったのか?」

「どうしてもっと強固な封じ込めを行わなかったのか?」

と。

 

人権は大切である。

 

これは私も同意であるが、

「何よりも」大切か?

といわれるとそれはおかしいだろう。

 

「人権真理教」

 

「人権は何よりも大切だ」

正に宗教である。

 

我々が歴史から学ぶことは、

人間は決して歴史から学ばないということだ。

 

PS

和歌山県内の医師感染(NHKニュース)

 

ついに、感染経路不明のパンデミックが

始まったようである。

 

馬鹿は死ななきゃわからないというが、

おそらく死んでもわからないだろう。