子供達によって運営される学校
民主的学校、フリースクール
皆さんは『フリースクール』と呼ばれる学校をご存知でしょうか?
あまり馴染みのない言葉かもしれません。
ちなみにWikipediaで調べるとこんな風に出てきます。
フリースクール(英: Free School)の概念はきわめて多義的で、
- アメリカの授業料無償の公立小学校
- アメリカのフリースクール協会(1805年設立)に加入する人道主義に基づく低所得者のための授業料無償の学校
- イギリスのサマーヒル・スクールのような デモクラティック・スクール
- 英米のオープン・エデュケーションを行っている学校
- オルタナティブ教育の理念に基づく学校(オルタナティブ・スクール)
- 不登校の子供が通う非学校的な施設(日本)
などの意味で用いられる。(1)(2)での「フリー(free)」は、「自由」ではなく「無料」を意味する。外国では主に(3)または(5)の意味で用いられ、日本では主に(6)の意味で用いられることが多い。
上記の通り、日本では主に6の意味で使われることが多いのですが、海外では3~5のようなオルタナティブ教育(既存の教育制度とは違う教育方針)としてのフリースクールの方が一般的なのではないかと思います。
(日本ではシュタイナー教育の方がオルタナティブ教育としては有名かもしれませんね)
実は自分は3の例に出てくるサマーヒルスクールという学校に通って居たことがあります。
サマーヒルでは設立者の信念のもと、生徒による自治集会が毎週開かれ、そこで生徒と教員による議論と、年齢に関係なく平等に与えられた権利による投票により、いじめや喧嘩のような事柄の解決から校則や罰則の決定まで、様々なことを民主的に決めるというユニークな特徴があります。
きっかけ:10歳の子供のわがままと親の決断
そんなユニークな学校に行くことになったきっかけは小学校の頃、当時はとてもわがままなで自己中心的な子供だった自分は、その性格から地元の子供と良好な関係を築けずにいました。
今思えば担任の先生や周りの友人にはとても恵まれていたのですが、高学年になった頃に大好きだった担任の先生が変わり、それまで得意だと思っていた勉強でつまづき、それをきっかけに一気に学校が嫌いになってしまい、ある時を境に登校を拒否するようになりました。
「学校なんて行きたくない!どこか別のところに転校したい!」とごねる10歳の自分に対して母親が言った、「日本の学校なんてどこ行ったって一緒だよ!」という言葉に対し、半ば揚げ足取りで泣きながら「じゃあ海外なら違うのか?!」と怒鳴ったのは20年経った今でも何故かはっきりと覚えています。
当時はようやくインターネットが発達しはじめ、自分の故郷、小笠原諸島にもようやくダイアルアップのインターネットが入ってきたばかりでしたが、登校拒否して大喧嘩した日の夜中に、母が熱心にパソコンに向かっていた後姿を目にしたのを覚えています。
それからどれくらいの時間が経ったのかは記憶が定かでないのですが、母親から「海外になら受けたくなければ授業は受けなくてもいい、全てを自分で選択できる学校がある」と聞かされたのは大喧嘩から1~2日後くらいだったように思います。
今思えばトンデモナイ話だと自分でも思いますが、小さいころからアルファベットの遊具を気に入ってで遊んでいたり、低学年の頃に英語の教室(?)に通っていたのもあり、何故か英語に対して全く抵抗がない…どころか『ローマ字読めるから大丈夫!』という意味不明な自信を持っていた10歳の自分はすぐにでも行きたいと言ったように記憶しています(笑)
その後、母が既にサマーヒルに通っていた日本人の子供の親御さんとコンタクトを取って色々調べてくれ、先方の親御さんと息子さんの協力もあり、10歳の夏休みを機に単身で全寮制のサマーヒルスクールへと渡りました。
サマーヒルでもトラブルメーカー!?
実のところ、ホームシックに関しては乗り越えられたきっかけになった出来事とかは全く覚えていないのですが、当時のサマーヒルには日本人の生徒が10人前後居て、英語でコミュニケーションの取れる先輩日本人達の親切にかなり助けられたのは間違いないです。
サマーヒルにはオンブスマン(正式な意味はリンク参照)と呼ばれる苦情処理係のような役割の生徒が上級生にいるのですが、その一人が日本人で、自分の性格と言語能力の関係から同じ年代の生徒とのトラブルを起こすことが多く、毎週のように全校ミーティングでお世話になっていたように記憶しています。
落ち込むことや泣くこと、トラブルを起こすことは少なくありませんでしたが、サマーヒルのミーティングと自治システム、そしてその根幹をなす沢山の親切な人たちには本島に沢山助けられ、また沢山のことを学ばせてもらいました。
良くも悪くも『自分の人生に責任を持つ』ということはどういうことかをこの時肌で感じられたのが今思えばとても貴重な体験だったように思います。
余談ではありますが、サマーヒル在籍時に自分の起こしたトラブルで新しい校則と委員会が発足したのは数年後に行った時に語り草になっていました(笑)
良くも悪くも組織内で波風を立てるの性格は今思えばこの時から変わっていないかもしれませんね…
自立するということを肌感覚として学べる場
自分の中で自立するにはどうするのが最良なのか?という問いに対する明確な答えは未だに持ち合わせていないのですが、少なくともサマーヒルには肌感覚として社会の構造や仕組みを感じたり、自発的に何かをするということを学び、感じられる環境があったように感じます。
全寮制、かつ小学生から高校生までが入り混じり、生徒が自治するサマーヒルという場所では普通の学校ではまず学ぶことのできない体験が溢れています。
例えば社会で言うところの裁判や自治(前述したオンブスマンやミーティングの制度)の仕組みを、毎日の自分の生活の中でひしひしと自分事として生きられるような環境であったり、大学生のように誰も強制せず、何も強制されない中から生まれる自発的な学びであったり、様々な国籍の人が集まる学校だからこそ起こるような軋轢や、それを超えた先に生まれる革新であったり…
良くも悪くも、社会の縮図の様な部分がサマーヒルにはあり、普通に日本で義務教育を受けていたら気付くきっかけさえもなかったかもしれないような事柄を、肌感覚として覚えられたのは今思うと非常に貴重な体験だったなと思います。
サマーヒルでの経験から学んだこと
今思えば『自分の意見を持って主体的に決める』ということをサマーヒルでは学べたのではないかと思います。そして人の行動がどういう結果や感情を引き起こすのかを結果的にここで学んだのかなとも思います。
賛否のある学校ではありますが、個人的にはサマーヒルの経験があったからこそ今があると思うので、行かせてくれた両親には非常に感謝しています。
一方で、自由だからこそ堕落してしまった人や、自由の中でしか生きられずに社会にうまく戻れなかった人の話も少なからず聞くので、何を得られるかは本人次第なんだなとも思います。
そういった意味でもしっかりと善悪の区別や人として大切なことを子供の頃からちゃんと教えてくれていた両親には改めて感謝をしたいと思う今日この頃です。
親孝行を早めにせねば、ですね。
今日はこの辺で!それでは!
Ogi