ゴッホが銃で撃たれた経緯、療養所で絵を描き続けた理由など【ゴッホの壮絶な人生を辿る】

ゴッホが銃で撃たれた経緯、療養所で絵を描き続けた理由など【ゴッホの壮絶な人生を辿る】
ゴッホと言えば「ひまわり」という絵が世界的にも有名ですが、皆様は彼の事をご存知でしょうか?名前だけは何となく聞いた事があるかもしれない、という方もいらっしゃると思います。まさに私がそうでした。
ゴッホの絵を見てみると、独特なタッチと色合いで不思議な雰囲気が漂っています。どんな人物がこの絵を描いているんだろうと思い、彼の歴史を見てみると…激動の人生を歩んでいる人物でした。
彼に関して数々の説が唱えられているという最大の謎、「なぜ自ら命を絶ってしまったのか?」についても話を聞いてきました。ゴッホが生きた37年間を大まかにご説明しながら、宇宙人さんに聞いた情報をお送りしたいと思います。
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1年前に亡くなった同じ名前の兄

メラムサフラ:こんばんは。お待ちしていました。オルアエルはもうすぐ来ます。
幻朋:こんばんは。先日の質問会はありがとうございました!
メラムサフラ:皆さん楽しかったと言っていました。
オルアエル:来たよ。
幻朋:オルアエルさんもこんばんは。地球人の皆さんも楽しんでくださいました。またやりましょうね!今日からいつもの感じに戻ります。今回はさっそくですが、ちょっと不思議な歴史上の人物の話です(笑)
オルアエル:変わった人はもうびっくりしないよ。
幻朋:オランダ出身のフィンセント・ファン・ゴッホという画家です。
メラムサフラ:探してみます。
幻朋:生没年は1853年〜1890年で、37歳という短い生涯でした。後からお話ししますが、自ら命を絶って亡くなっています。
メラムサフラ:名前が長いですね。「フィンセント ヴィレム ファンゴー」ですかね?
オルアエル:長すぎるよ。
幻朋:ん?ヴィレム?ファンゴーですか?発音が違うのかな…ちょっとゴッホの情報を見てみますね。
メラムサフラ:オランダという国ですよね。
幻朋:オランダの発音だとファンゴーなんですかね?……え〜と…ゴッホの「ホ」は発音されたとしても非常に弱く、「ゴー」と表記する方が音に近いというのは書いてありました。「フィンセント ヴィレム ファン ゴー」みたいな発音でしょうか。いや、でもヴィレムってどこから出てきたんでしょう(笑)「van」にヴィレムという発音も含まれているのかな?すみません、ちょっと名前については後で探してみます。その人がゴッホの事なんですね?
メラムサフラ:1853年〜1890年の画家とあります。
幻朋:合っていますね!ではお話を始めていきますね。ゴッホは牧師の家に生まれました。ゴッホが生まれる1年前の全く同じ日に、フィンセントという同じ名前の兄が亡くなっています。幼い頃から毎日、自分と同じ名前が刻まれたお墓を見て育ったそうです。
メラムサフラ:自分の名前がお墓に刻まれているのはとても嫌だったそうです。名前を変えてほしかったそうです。
オルアエル:可哀想だね。
幻朋:兄の生まれ変わりだと言って同じ名前を付けたそうですが、ちょっと嫌ですよね…。スタートの時点ですごいお話ですよね。

ゴッホの幼少期

幻朋:ゴッホは幼少期から癇癪持ちで、両親の間では扱いにくい存在だったそうで、一人で出歩いたりする事もありました。この頃の様子はどうでしょう?
メラムサフラ:確かに少し変わっていますね。他の子供と合わなかったようです。
幻朋:子供とは兄弟の事ですか?
メラムサフラ:兄弟や友達とです。
オルアエル:寂しいね。

なぜヴィレム2世校を途中でやめたのか?

幻朋:1866年に国立高等市民学校ヴィレム2世校に入学します。コンスタント=コルネーリス・ハイスマンスという画家に絵を習っていたそうです。しかし1868年3月、ゴッホは卒業まで残り1年だったのに学校をやめて家に帰ってしまったそうです。その理由は今も分かっていないそうですが、何があったのでしょう?
メラムサフラ:今探しています。
幻朋:探してくださっている間にゴッホの名前について探してみますね。………あ!Wikipediaという所にありました!普通に一番上にありました(笑)本名はフィンセント・ヴィレム・ファン・ゴッホなんですね。
オルアエル:さすがだねメラムさん。
メラムサフラ:ありました。つまらなかったからだそうです。
幻朋:つまらないから学校をやめたんですか!あと1年で卒業だったのに。
メラムサフラ:じっとしているのが嫌だったみたいです。

弟テオドルスの存在

幻朋:1869年、グーピル商会という画商で働く事になりますが、この頃も上司や経営者とはあまり上手くいっていなかったそうです。
メラムサフラ:人間関係は載っていなかったです。
幻朋:分かりました。そんな中、1872年の夏に弟のテオドルスがゴッホの元を訪れます。職場や家族の間で孤立していたゴッホは喜び、テオドルスと親しむようになっていったそうです。この頃から二人で手紙のやり取りが始まります。テオドルスとの関係はどのような感じでしょうか?
メラムサフラ:テオドルスは相談相手として載っています。
幻朋:確かにそうかもしれません。いつも弟に手紙で色々な事を話していたみたいなので。
メラムサフラ:その人としか話していないですね。
オルアエル:友達がいないの?寂しいよ。
幻朋:周囲の人は次々と離れていってしまうので、いつも孤独だったそうです…。

失恋からの宗教への没頭

幻朋:1873年、ロンドン支店に転勤になります。表上は栄転に見えますが、実際には職場内での関係悪化で追い出されたとされています。
メラムサフラ:あまり好かれていなかったようです。
幻朋:そしてロワイエさんの家に下宿するようになり、そこの娘のユルシュラ・ロワイエに恋をします。想いを告白しますが、他の男性と婚約済みのため断られてしまいました。この孤独感から宗教的な情熱が強くなっていたそうです。
メラムサフラ:宗教とかそういうのは信じやすいようですね。

グーピル商会を解雇された理由

幻朋:1875年、パリ本店に転勤になり、その頃から聖書などを読みふけっていたそうです。ゴッホは金儲けを追求するやり方のグーピル商会に反感を抱いていたそうです。
メラムサフラ:そういう考え方はしていないです。
幻朋:反感を持っていた訳じゃないという事ですか?
メラムサフラ:そうです。
幻朋:翌年にはグーピル商会から解雇されてしまいますが、何が原因でしょうか?
メラムサフラ:上手くいかなかったようです。環境が悪かったと書いてあります。
幻朋:なかなかゴッホに合う職場がなかったんですね。

人との関わりを避けるようになる

幻朋:1876年、ゴッホはイギリスに戻り、寄宿学校で教師として無償で働く事になります。しかしゴッホは伝道師への憧れがあったため、寄宿学校での仕事を辞めて教会で少年達に聖書を教えたり、貧民街で牧師の手伝いをしていました。伝道師の本にもかなりハマっていたそうです。
メラムサフラ:読むのが好きみたいです。他の人と関わらないのが良かったみたいです。
幻朋:教会で聖書を読んで子供達に教えていたという意味ですか?
メラムサフラ:教えてはいません。一人で読んでいます。
幻朋:本格的に教えていた訳ではないんですね。人間関係が嫌になったのかもしれませんね。それで本をひたすら読んでいたのかな。
オルアエル:変わってるね。

聖職者になる事への夢

幻朋:1876年のクリスマスに父の家に帰省しました。そこで父から聖職者になるには7年程の勉強が必要であり、ゴッホには無理だと説得されました。
メラムサフラ:聖職者を目標としていたとあります。
幻朋:1877年の1月〜5月までの間に書店で働きました。仕事中に暇を見つけては聖書の章句を英語などに翻訳していたそうです。肉は食べず、日曜日になると数箇所の教会に行っていたそうです。だいぶ夢中になっていますね。
メラムサフラ:聖職者になりたいという夢があったそうです。
幻朋:この頃は画家が目標ではなかったんですね。
オルアエル:聖職者って何?
(メラムさんが聖職者について説明していました。)
オルアエル:すごい人なんだね。

伝道活動中に自らも生活水準を落とした理由

幻朋:その後、聖職者になるために神学部の受験に挑む事になりましたが、途中で勉強をやめて1878年12月からベルギーで伝道活動を始めました。ゴッホは貧しい人々や病人に対して尽くし、自分も貧しい生活に合わせて服もみすぼらしい格好になっていたそうです。
メラムサフラ:同じように生活をしないと失礼だと考えたと書いてあります。
幻朋:そんな風に思って貧しい人々に合わせていたんですね。しかし…ここでまたしても問題が発生します。伝道委員会はゴッホのそのような行動が伝道師の威厳を損なうものとして警告をしますが、それを拒絶したため伝道師の仮免許と給料が打ち切られてしまいます。上手くいかなすぎて悲しくなってきますね。
メラムサフラ:そして仕事をしなくなったんですね。
幻朋:そうなんです。次にその話をしようと思っていました。全てお見通しというか、資料に書いてあるんですもんね(笑)
メラムサフラ:絵を描き始めていますね。そう書いてあります。

テオドルスにとってゴッホはどんな存在か?

幻朋:1879年にボリナージュ地方のクウェムという場所に移り住み、父からの仕送りを受けながらデッサンなどをして過ごしていました。しかし、家族からは仕事をしていない事を批判されていました。その後、行くあてもなくエッテンの実家に帰りましたが、父がゴッホを精神病院に入れようとして喧嘩になり、再びクウェムに戻りました。1880年頃から弟のテオドルスがゴッホの生活費を支援するようになり、本格的に絵を描き始めました。
オルアエル:何で弟はそこまでするのかな?
メラムサフラ:お兄さんの事は見捨てられない存在だったようです。

シーンと破局した理由

幻朋:1881年からはエッテンで水彩画を描き続けました。この頃にまた失恋を経験しています。その後、再び父と喧嘩をして実家を出て、1882年にバーグに移り住みます。ここでも様々な人との交友関係に失敗しました。「悲しみ」や「泥炭湿原で働く女たち」という作品を残しています。「悲しみ」という絵のモデルだった女性とも色々あったようです。
メラムサフラ:この女の人が不思議です。
幻朋:その女性の事も書いてありましたか。
メラムサフラ:見つけました。しばらく一緒に住んでいますね。
幻朋:結婚も考えていたそうですが、女性と別れてしまったみたいです。何があったのでしょうか?
メラムサフラ:ゴッホに暴れられたり、嫌がらせをされて嫌になってしまったようです。
オルアエル:何でそんな事してるの?
メラムサフラ:分かりませんが何か問題があるようですね。
オルアエル:問題だらけだよ。
メラムサフラ:普通ではない事は分かります。
幻朋:ゴッホは感情的になりやすい性格で、人と上手くいかなかったのでしょうか。

度重なる失恋と友人との絶縁

幻朋:1883年、オランダのニューネンに移り住みますが、またしてもゴッホは失恋して精神的に追い詰められます。
メラムサフラ:5回は女の人に追い出されていますね。
幻朋:なかなか恋が実らなくて辛くなりますね。そして父の急逝による家族とのいざこざにより、ついに家からも追い出されてしまいます。1885年の春にゴッホの初めての本格的作品と言われる「ジャガイモを食べる人々」を完成させました。この頃にいた友人のラッパルトという人とも喧嘩をして絶縁しています。
メラムサフラ:この人は人と会話するのが苦手なようですね。
オルアエル:変わった人だね。
メラムサフラ:とても変わっています。この人に合う人はいないと思います。

テオドルスとの共同生活

幻朋:1886年、パリにいる弟テオドルスの元へ行き、一緒に住み始めます。この頃は手紙のやり取りが残っていないため、どのような生活をしていたか分からない点が多いそうです。
メラムサフラ:いきなり勝手に行って、好き勝手に生活をしていたようでかなり批判されています。
幻朋:口論も多かったみたいですからね…。この時期にゴッホは日本の浮世絵に夢中になり、1887年に描いた「タンギー爺さん」の肖像画に浮世絵を描いています。ちなみにこれが絵です。(スマホに画像を表示しました。)
メラムサフラ:絵は上手いですよね。

ゴーギャンとの生活と耳切り事件

幻朋:1888年、テオドルスの元を去り、南フランスのアルルに移り住む事になります。
メラムサフラ:一緒に住むのは限界だったようですね。
幻朋:ゴッホは黄色い外壁の二階建ての家を画家達の共同アトリエとして借りました。画家達にアルルに来るように呼びかけましたが、来てくれたのはポール・ゴーギャンだけでした。ちょうどこの頃、有名作「ひまわり」「夜のカフェテラス」「黄色い家」を描き上げています。
オルアエル:一人だけなんだね。
幻朋:一人だけでもゴッホは嬉しかったらしいです。しかし…ゴーギャンとの共同生活も次第に上手くいかなくなり、ゴーギャンはアルルを去る事を決意します。
メラムサフラ:全て自分のせいですね。
幻朋:なかなか性格が合わないですね。そして同年の12月23日に事件が発生します。ゴッホがゴーギャンに剃刀で斬りかかろうとしますが睨み返されて思いとどまり、その後自室に戻って自分の左耳を切り落としてしまったそうです。
オルアエル:何で?!
メラムサフラ:これは予測不能ですね。
幻朋:よっぽど精神的に参っていたのでしょうか……自分で耳を切るなんて普通はできないです。
メラムサフラ:一つ一つの行動が見た事がありません。どうして耳を切ったかの理由は書いてありませんでした。
幻朋:何を思って切ったのか知りたかったですね。実に衝撃的な出来事です。

ゴッホが療養所で絵を描き続けた理由

幻朋:ゴッホはしばらくアルルの病院で入院していました。その後アルルの病院からサン=レミの療養所に移り、一年間そこで過ごします。療養所では「星夜月」「麦刈る男」など140点もの絵を描いています。この頃は何度も発作が起こり、悩まされていたそうですが、発作とはどのような感じだったのでしょうか?
メラムサフラ:突然暴れたり奇声を発したりしたそうです。
オルアエル:怖いよ。
メラムサフラ:これは治らないです。
幻朋:しかし一方では、ゴッホの作品が評価されるようになってきていたそうです。1890年の1月に「赤い葡萄畑」という絵が初めて売れたそうです!やはり絵が売れて喜んだのでしょうか?
メラムサフラ:何とも思っていないです。
幻朋:え?どうしてですか?!
メラムサフラ:この時ゴッホには普通の感情はもうありません。
幻朋:でも140点も絵を描いていたんですよ?何のために絵を描いていたんですか?
メラムサフラ:絵を描いている間は正常を保てるからです。
幻朋:そういう理由だったんですか…複雑な心境です。
メラムサフラ:集中している間は普通でいられたようです。

医師ガシェと不仲になる

幻朋:1890年5月に療養所を出て、パリ近郊にあるオーヴェル=シュル=オワーズという農村に移りました。ここで親しくしていたガシェという精神科医の絵を描いています。ガシェと親交を深め、家を訪れて娘のマルグリッドの絵も描いたりしていました。しかしゴッホがマルグリッドへ恋心を抱いている事を知ったガシェは、ゴッホに対して冷たい態度を取るようになります。
メラムサフラ:ガシェは嫌な気持ちになったとあります。
幻朋:更に弟テオドルスの経済状況が行き詰まっているという話も聞き、ゴッホの精神が不安定になっていったそうです。
メラムサフラ:その影響はあるようですが、ここまで来るとあまり変わらないような気もします。
オルアエル:早く治してあげようよ。
メラムサフラ:治す技術がないんですよ。
幻朋:治してあげたいのは山々なのですが、次のお話でゴッホは亡くなってしまうんです…。
メラムサフラ:これはひどい結末ですね。
幻朋:ゴッホがなぜ自◯したのか不明らしいので、詳しく教えていただければと思います。

ゴッホはなぜ亡くなったのか?当日の経緯

幻朋:亡くなる数週間ほど前に「カラスの群れ飛ぶ麦畑」など複数の絵を描いています。1890年7月27日の朝、ゴッホは絵の道具を持って宿を出ます。午後に「どうにもならない」と呟きながら歩いているゴッホを村人が見かけていますが、その日の消息は分かっていないそうです。夕方にラヴー旅館に戻ったゴッホは、ラヴー夫妻によって血だらけで倒れている所を発見されます。駆けつけた医師が診察をすると、脇腹辺りを銃で撃っている跡があったそうです……絵の道具を持って出た後に何があったのでしょうか?
メラムサフラ:絵の道具は常に持ち歩くのが癖になっています。絵を描くために出かけています。
幻朋:この日も絵を描きに行ったんですね。午後に村人がゴッホを見かけたようですが、どこへ向かっていたんですか?
メラムサフラ:散歩をしています。特に目的はないようです。
幻朋:ただの散歩だったんですか?では、なぜ銃で自分を撃ったんですか?どのようにして銃を手に入れたかは分かっていないそうなんです。
メラムサフラ:銃を持った人に絡みに行って撃たれました。
幻朋:え?!自◯じゃないんですか?絡んだというのはどういう事ですか?
メラムサフラ:自分を◯せとかしつこく叫んでいたようですね。
幻朋:あ…なるほど。そういう状況だったんですね。
メラムサフラ:それでしつこいので撃たれました。もう嫌になっていたようですね。深い理由までは分からなかったですが。自◯みたいなものだと思います。
幻朋:何もかもが限界だったんですね。この事を聞きつけたテオドルスもパリからゴッホの元に急行し、最期まで側にいたそうです。ゴッホはテオドルスに「これは皆に良かれと思ってした事だ。」 と言っていたそうで、29日の深夜に息を引き取りました。

ゴッホはなぜ孤独だったのか?

幻朋:ゴッホが生涯描いた絵の900点のうち、1点しか売れなかったという説があるそうですがどうなのでしょうか?
メラムサフラ:おかしな人だと思われて誰も買おうとしませんでした。
幻朋:ゴッホは何か精神的な病気だったんですか?治らないと言っていましたよね?
メラムサフラ:治せないものです。脳に障害がありました。
幻朋:生まれつきのものなんですね。でも、ゴッホなりに一生懸命生きてきてすごいなと思いました。最後に、なぜここまで孤独になったのか?という質問をいただいております。
メラムサフラ:生まれつきこのような人物だからです。残念ながら、この性格によって誰も寄せ付けませんでした。
幻朋:そうですか…ゴッホが亡くなった後に絵の価値がものすごい上がったそうです。何とも複雑な心境になるお話でした。今回も色々と教えてくださってありがとうございました。
メラムサフラ:所々情報がないものもありましたが大丈夫でしたか?
幻朋:大丈夫です!一番謎だったゴッホの最期についても分かりましたし、とても助かりました。
オルアエル:すごい話だったよ。
幻朋:ですよね。私も初めて知った時はびっくりしました。では、また違う話題を持ってきますね。失礼します!
メラムサフラ:ありがとうございました。
オルアエル:またね。

ゴッホについてのお話は以上となります。個人的に今までで一番重く寂しいストーリーだなと感じました。ゴッホはとても真面目で思いやりがある方だと思うのですが、生まれながらにして持っているハンデがなかなか周囲に理解してもらえないという状況なのが辛いですね…。
好きで当たり散らしていた訳ではないと思いますし、自分ではどうにもコントロールができない部分に人生が振り回されてしまうのは精神的に参ってしまいますよね。
そんな激動の人生の中で描かれた絵は素晴らしいものばかりです。ゴッホが黄色い家に移り住み、希望に満ちていた時期の絵は明るい雰囲気だったり、時期によって全く違う絵を描いています。そういう点も踏まえてゴッホの絵を見るのもまた興味深いかもしれません。ゴッホの映画などもあるようなので、彼に興味が湧いた方はぜひご覧ください!