リスタートのブログ

住宅関連の文章を載せていましたが、メーカーとの付き合いがなくなったのでオヤジのひとり言に内容を変えました。

いきなり

2019-09-15 05:55:01 | オヤジの日記

はじめに、台風15号で被災された方、停電で難儀をされている方たち、私には物資を送ることしかできません。くれぐれも健康にはお気をつけください。命を守ってください。

 

 

さて、今回も前回に続いて、韓国のお話を。

私の娘は、KPOPや韓国文化が好きということもあって、韓国にはよく行く。

だが、娘は盲目的な韓国びいきではない。韓流ドラマや映画には、ときめかない。そして、すべての韓国人がそうというわけではないが、話をしているとき、突然態度が豹変して大声でまくし立てる人が少なからずいるのが理解できない。店員の態度もあまり良くない。そこは、好きではない。そして、絶えずケンカ腰の韓国政府のことも好きではない。論理的でない記事をバラまくメデイアも好きではない。

では、なぜ韓国に何度も足を運び、留学までしたのか。

「韓国料理はうまい。もちろん、日本料理も美味いけど、種類が多すぎて疲れちゃうんだよな。その点、韓国料理は単純明快。味もデザインもわかりやすくていい。ボクは、おまえと同じでグルメじゃないから、凝った料理は敬遠しちゃうんだよね。単純に焼いたり煮たり茹でたりして香りがいい料理がボクは好きだ」

「距離が近いから、一番近い外国っていう感じで行きやすいしね」

「街も活気があって好きだな」

「それに、あとは化粧品だな。質は日本製の方が絶対にいい。でも高いんだ。韓国製は質は少し落ちるけど、とにかく安い。種類も多い。それを目当てに行っているようなもんだな。今回も買い込んだぜー。満足したぜー。ワイルドだろー」

「そういえば、男物の化粧品も豊富なんだぜ。今度買ってこようか」

 

私が、これ以上美しくなって、どうするというのだ。

新宿2丁目でしか需要がないではないか。源氏名は「スケルトン・ビューティ」か。でもダメだ、俺は歌えない踊れないガイコツだ。ノーエンターテイメントだ。美しいだけでは、ダメだろう。

そもそも私は、自分を飾ることに、まったく興味がない。アイシャドウもチークもルージュも子どものころから使ったことがない。

整髪料も使ったことはないし、髭剃り後のローションも塗りたくったことがない。

シャンプーやリンスの類いも使わない。ガキのころから、頭を洗うのは石鹸だけだ。石鹸1個で全身を洗う。そして、呆れるほどの量のシャワーで、全身を洗い流すのだ。そのあと、ワンちゃんのように高速で頭を振って乾かす。タオルドライとかドライヤーなどというものは使わない。自然乾燥だ。乾いたら一度だけ櫛を入れる。

そんな雑なことをしているから、40歳を過ぎてから白髪が増えだし、今では「シラガオヤジ」という称号をいただくまでになった。8割がグレーヘアーでございます。

でも、ハゲてないもんね。それは、石鹸のおかげかもしれない。何の根拠もないが(ちなみに石鹸はなんでもいい)。

あとは、洋服にも興味がない。子どものころから、母が買ってきたものを文句を言わずに着ていた。こういう服が着たいなどという大それたことは言わない。内面が綺麗なら何を着ても美しいはずだ(嫌なガキだ)。

結婚してからは、朝ヨメが用意したものを着て、会社に行った。今もそれは続いていた。たまに娘が用意したものを着ることがある。私のセンスより、ヨメや娘のセンスがはるかに上なのはわかり切ったことだ。

 

「なんか、話が脱線しておらんか」と娘がハンドルを正常に戻した。

 

戻った。

KPOPは今、世界的に認知された文化となった。これは、凄いことだ。KPOPのどこが世界の人々の心を打ったのか、それは娘にも私にもわからない。

そこで、私はいい加減な仮説を立ててみた。

「いきなり始まって、いきなり終わる」

何年か前から、売れているKPOPの曲は、いきなり始まって、いきなり終わることが多い。前奏も間奏も終奏もなく、いきなり始まっていきなり終わる。

同じ歌詞を何度も繰り返し、同じメロディ、リズムで突っ走って、ストンと終わるのだ。

たとえば、アメリカンポップス、ヒップホップやラテン系の歌にも、その傾向はある。つまり、それは今の世界の流れの1つなのかもしれない。

軽快でわかりやすい歌と統制されたダンス。そのリズムとダンスを間奏で途切れさせないために、KPOPはいきなり始まって、いきなり終わるのではないか。

それが心地よくて、世界の人たちはKPOPを認めた。

「こじつけに聞こえなくもない」と辛口の娘。

 

万延元年に生まれた古い人間の私は、曲にはドラマがあったほうがいいと思う派だ。

たとえば、イーグルスの名曲「ホテルカリフォルニア」。

叙情的なアコースティックギターのアルペジオから曲は始まる。そのあと、アコースティックギターの長いソロからエレキギターとドラムスが叙情を盛り上げるように、控えめにかぶさる。そして、ドン・ヘンリーの甘いボーカルが入る。切実な表現で歌い上げた余韻に浸る間もなく、ギターが終奏を奏で始める。ツインギターだ。哀愁をたたえた2つのギターが長く絡み合いながら、フェイドアウトして終わる。とても美しい歌だ。

エリック・クラプトンの「レイラ」。

クラプトンのストラトキャスターが強烈なリフを奏でる。そして、狂おしいほどのクラプトンのシャウト。ストラトキャスターとシャウトが渦を巻くようにして、愛する人への思いをぶつけるのだ。そして、ぶつけたあとはフェイドアウトしてピアノソロに入る。ソロではうって変わって、流麗な落ち着いたメロディーになる。高まった感情を冷ますように、ピアノは同じメロディを奏でて終わる。構成力がすごい曲だ。

クラプトンは、このとき恋をしていた。相手は、友人の奥さんだった。その友人は、世界的に有名な人だった。クラプトンは、どうしても堪えられぬ思いを歌に託したのだ。

 

娘が、ハンドルをクィッ。

 

戻った。

このあとも韓国話が続く。

私の友だちにもご両親が韓国人の男がいた。彼は子どもの頃に日本国籍を取得して日本人になった。

大学時代は、誰がどう探ったのか、彼の素性を吹聴するやつがいた。窮屈な大学生活を送ったが、卒業後中堅の旅行会社に就職することができた。

これは、今から10年以上前の話だ。彼は、30年ぶりに韓国を訪問した。父母は健在だった。彼の父母は長らく日本で暮らし日本国籍を取得していたが、訳あって韓国に帰国して定住した。父母に会うのは20年ぶりだった。彼の結婚式に父母が韓国から来て以来の再会だった。

80を過ぎた父母は、1人で歩けたし、言葉もはっきりしていた。

だが、そこで彼は驚いた。父母が慣れ親しんだ日本語を全く話さなかったからだ。そのとき父母は韓国語だけで彼に話しかけ、日本の悪口しか言わなかった。新聞を取り出して、大声で日本に関する記事を読み、日本を罵倒した。

以前は、そんなことはなかった。節度のある父母だった。政治的な発言も聞いたことはなかった。穏やかな誰にも誇れる父母だった。

 

その場には、彼の奥さんもいた。奥さんは韓国語が話せないから、言われている内容はわからない。だが、日本に対して怒っているのはわかる。ショックだったそうだ。

スーパーに買い物に行ったとき、夫妻が日本語を話しているのを聞いて、2人の中年の女が、道を塞いだ。

「ここには、日本人に売るものなんてないよ!帰んな!」となんの前触れもなく「いきなり」罵られたという。

父母の家に帰ったら、大勢のご近所の老若男女が来て彼らを待っていた。そして、「いきなり」怒られた。大勢で早口で怒るものだから、韓国語から遠ざかっていた彼には、よく理解できなかったが、相当憤慨していることはわかった。

それに対して、スーパーの出来事があったせいか、彼は「いきなり」キレた。100キロの巨漢がテーブルをドン! と叩いた。そのあと、みんなの顔を1人ずつ睨み回した。周りが静かになった。皆さんおずおずと帰っていった。打たれ弱い人たちのようだ。

彼の父母もそのあと日本の悪口はやめた。

「俺は生まれも育ちも日本で日本国籍だが、父母は韓国人だ。そんな俺がなんで日本を代表して怒られなきゃならないんだ。理不尽だろうが。とは言っても、そんな仕打ちを受けても俺は韓国のことが嫌いになれないんだよな。血ってやつかな」

 

帰国して、日本の整然とした街並みと穏やかに暮らす日本人の姿を見たとき、「暮らすのはやっぱり日本だな」と彼は思ったという。

 

だが、そのとき、彼に別の「いきなり」の悲劇が襲いかかってきたのである。彼の人生最悪の「いきなり」だった。

彼の大学1年の娘が「いきなり」結婚すると言い出したのだ。

その「いきなり」には、私も衝撃を受けた。

そのショックで私は、いきなりいなり寿司を立て続けに6個食ったほどだ。

 

 

その「いきなり娘」は、つい最近3人目の子供を産んだ。

 

その出産は、「いきなり」ではなかった。

 


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