リスタートのブログ

住宅関連の文章を載せていましたが、メーカーとの付き合いがなくなったのでオヤジのひとり言に内容を変えました。

おっさんず・イレブン

2019-11-17 05:49:01 | オヤジの日記

東京神田のイベント会社の担当・中村獅童氏似に呼びつけられた。

 

しかし、今回は仕事の話ではないので、会社には行かない。東京駅八重洲の地下街だった。

最初、獅童氏似は「僕が国立駅まで出向きます」と言ったが、神田から国立までは徒歩だったら半日はかかる。それは大変だから、こちらが東京駅まで伺います、と言った。

実は私は「地下街フェチ」だ。地下街大好きオジさんなのだ。

さっぽろ地下街。新宿サブナード。大阪駅前地下街。名古屋栄地下街。博多駅地下街。横浜地下街。川崎アゼリアなどなど地下街に入ったらワクワクする変態だ。

地方に観光に行ったとき、まず観光地よりも地下街を探すという、ど変態な人生を歩んできた。

その私が好きなのは渋谷のシブチカだ。他の地下街と比べたら、呆れるほど小さい。渋谷のスクランブル交差点の地下にあるから、そのミニサイズ感は、想像できると思う。

ただ、ガキの頃から慣れ親しんでいた地下街ということもあって、妙に落ち着く。私が入れるような店は一つもないのだが、歩くだけで脳が、その時代時代を呼び覚ましてくれるのだ。

渋谷は、今とてつもなくでかい規模の再開発が進んでいる。まさかシブチカは無くならないですよね。

渋谷区長、面識はないけどお願いしますよ。シブチカだけは残してください。

 

シブチカの次に慣れ親しんだのが、八重洲地下街だ。なぜかわからないが、高校から大学時代まで、アルバイトは東京駅周辺が多かった。そのためか、八重洲地下街には、とても親しみを感じていた。2時間でも3時間でもブラブラしていられる。私にとって、脳のアルファ波を大量に出してくれる地下街が八重洲だ。

その八重洲地下街の居酒屋で、獅童氏似とランチデートした。

私は牡蠣の盛り合わせと生ビールを頼んだ。獅童氏似は、海鮮丼とチューハイだ。

獅童氏似は仕事を抜け出して、ここにきたから、普通はノンアルコールのはずだが、この日は飲んだ。

「ボク、もう覚悟を決めてますから」鼻息が荒かった。

 

獅童氏似の会社は、12月1日をもって、都市計画会社の傘下に入るらしい。

そのことを知らされたのは、社員一同4週間前のことだった。水面下で吸収が画策されていた。そのことを誰も知らなかった。

企業の駒である社員には、それは知らされないことが普通なのかもしれない。いちいち知らせていたら、会社が混乱する。

それはきっと、企業としては全うな方法なんだろう。

だが、新しい会社に移れるのは、限られた人だけだという。つまり、選別されたのだ。選別されなかった人は、新しい会社には移れない。

その手法に、獅童氏似は憤った。

獅童氏似は、選別対象に入っていた。新しい会社に移ることが決まっていた。だが、40歳以上の人のほとんどが、選別から漏れたのを知って、「そんな不公平な! 選別するのは能力でなくて年齢かよ!」と思ったという。

 

「俺たちが築き上げてきたものは、一体なんだったんだ。俺たちは荷物じゃねえ。選別されたからと言って、喜んでいられるか!」

 

「Mさん、選別されなかった人を中心に11人、俺たち会社に反旗を翻しました。11人で会社を立ち上げようと思っているんですよ。どう思いますか」

どう思いますも何も、もう決めているんですよね。ああ、そうですか、としか俺は言えないんですけど。

立ち上げるのは、同じイベント会社、広告代理店だという。

決めているのなら、俺の意見は無駄ですよね。

「いや、背中を押してくれる人が、俺には必要なんです。修羅場をくぐってきたMさんなら、ふさわしいかなと思って」

俺は、修羅場なんかくぐってませんよ。俺がくぐったことがあるのは、伏見稲荷の鳥居くらいですよ。

「で・・・どう思います?」

君は、いまの私の言葉を聞いていたのかな。伏見稲荷ですよ。

「Mさんが、フリーランスになるときのきっかけってなんですか」

伏見稲荷は、どこ行った。俺のボケを消す気か。

 

俺はね。3つの会社を経験したんだけど、どこでも「異物」だったんですよね。

会社の中では、それなりに評価されていたんだけど、自分の立ち位置は、太陽系の外を回っている放浪惑星だと思っていた。

いつも居心地が悪かった。

40を過ぎたとき、大学時代の友人たちに言われた。

「マツ、おまえ、最近我慢が顔に出てるぞ。俺たちが知っているマツは、いつも泰然自若として、どこ吹く風っていうマイペースの男だった。俺たちが知っている限り、一番我慢が顔に出なかったのがマツだよ。俺たちは、おまえのそんな姿は見たくねえな」

余計なお世話だとは思ったが、合点がいく意見だとも思った。

 

俺、生活のためだけに働いているよな。

俺らしさって何だ。

長年の友人の尾崎に言われた。

「おまえ、何がしたいんだ。生きているだけでいいのか。俺をガッカリさせるなよ」

 

独立した。21年が経つ。

 

最初は思ったほどはうまくいかなかったが、気分は楽だった。

俺は、俺の道を歩いているという感覚は、脳幹の真ん中に少しづつ埋め込まれていった。

 

やるか、やらないか。

やらない方がいい場合もある。

だが、やった方がいい場合の方が多い。

 

だから、獅童氏似さん、やっちまいなよ。

 

「ありがとうございます」と獅童氏似が深く頭をさげた。

生ビール追加、チューハイ追加。

また乾杯をした。

「ところで、Mさんにお願いです。会社を立ち上げたら、また仕事を頼みたいのですけど、よろしいですか」

ようござんす。こちらこそお願いしますよ。

「でも、俺たちの会社は、みんなのわずかな貯金や退職金をかき集めて最初は始めるんです。銀行には頼りません。十分な資金があるとは言えません。お客もすべて新規開拓です」

「だから、都合のいいことを言いますけど、仕事をしていただいたとしても、支払いは4ヶ月程度待っていただくことになります。それって、無理ですよね」

強面の獅童氏似の体が15パーセントしぼんだ。

だが、15パーセントしぼんでも、獅童氏似の姿には迫力があった。何かに賭けている男の決意が体からにじみ出ていた。

 

俺と獅童氏似さんのお付き合いは、もう6年以上ですかね。

「はい、それくらいには、なると思います」

6年って、友だちになるには十分な年月だとは思いませんか。

 

俺は、友だちを応援しますから。そして、信じますから。

 

そう私がいうと、獅童氏似は、勢いよく立ち上がって、75度の角度で頭を下げた。

頭が低いですよ。まわりが驚いているじゃないですか。

 

さらに、獅童氏似は頭を下げたまま言った。

「俺、2人目の子どもができました。来年の4月が予定です」

 

こんなところで、その話をブッこむのか。

 

 

ああ、それは・・・・・おめでとうございます。

 


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4 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
全部読みました (hiroべ)
2019-11-17 09:24:31
今日は全部読みました。
そうそうコメントしなかったですが、前回も全部読みました。
劇的な結末、その後どうなりましたか?それより、
おめでとうございます、というべきでしょうか?
いやいや、ご愁傷様でしょうか?

引退して10年経ちました。
まだ働いている同期もいますから、はやばやと楽?隠居です。
それでも、仕事の話はある意味一番興味がひきつけられます。
「独立」、私もサラリーマンでしたから、魅力的な響きがあります。
引退後独立して仕事をと思いそれなりの準備をしましたが、
その内老後の趣味で結構忙しくなって止めました。
趣味に負ける仕事では駄目ですね。

私も50歳で一度転職しています。私はリストラでは
ありませんが、バブル崩壊後のことで、当時も
今と同じように、40,50代のリストラの嵐が
吹き荒れていた時期でした。
年齢的にはかなりチャレンジャブルなことで、
matsuさんの支援が大きな力となることと思います。
お仲間の独立、成功するといいですね。


Unknown (izukun)
2019-11-17 10:18:09
懐かしくなるような話で、おめでとうとお伝えください。

先が見えないので、「払い込んでおきなよ」
とは断言できないのですが、以下参考まで。

フリーの時代に生活苦から国民年金を相当滞納し、
当時は督促が極めてゆるかったので、そのまま爺に!

んで、厚生年金、国民年金合わせた最低納付年限25年
をやっとクリアした状態のおらなので、
今になってじっと掌を見ているわけです。
そこらへんは、どうぞしっかりね、と。
Unknown (matsu1217)
2019-11-18 07:56:08
Izukun 様

ありがとうございます。

いろいろな人生、人それぞれの人生。
決めるのは自分ですよね。
後悔があったとしても人生は続きます。

誰もが納得いく人生を歩んでいるわけではないと思います。
ですが「俺は生きているんだ」ということを感じるだけで、その人生は有意義だと思います。

偉そうなことを言って御免なさい。
Unknown (matsu1217)
2019-11-18 08:02:28
hiro べ様

ありがとうございます。

独立は、人生のチャレンジのひとつですが、チャレンジは至るところにあります。
誰もが帰路に立ったとき、チャレンジの道が目の前にあります。

それは、きっと死ぬまで続くチャレンジなのでしょうね。

今日も生きている。
それもチャレンジのひとつ。

生きたいと思います。

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