東京神田のイベント会社の担当・中村獅童氏似に呼びつけられた。
しかし、今回は仕事の話ではないので、会社には行かない。東京駅八重洲の地下街だった。
最初、獅童氏似は「僕が国立駅まで出向きます」と言ったが、神田から国立までは徒歩だったら半日はかかる。それは大変だから、こちらが東京駅まで伺います、と言った。
実は私は「地下街フェチ」だ。地下街大好きオジさんなのだ。
さっぽろ地下街。新宿サブナード。大阪駅前地下街。名古屋栄地下街。博多駅地下街。横浜地下街。川崎アゼリアなどなど地下街に入ったらワクワクする変態だ。
地方に観光に行ったとき、まず観光地よりも地下街を探すという、ど変態な人生を歩んできた。
その私が好きなのは渋谷のシブチカだ。他の地下街と比べたら、呆れるほど小さい。渋谷のスクランブル交差点の地下にあるから、そのミニサイズ感は、想像できると思う。
ただ、ガキの頃から慣れ親しんでいた地下街ということもあって、妙に落ち着く。私が入れるような店は一つもないのだが、歩くだけで脳が、その時代時代を呼び覚ましてくれるのだ。
渋谷は、今とてつもなくでかい規模の再開発が進んでいる。まさかシブチカは無くならないですよね。
渋谷区長、面識はないけどお願いしますよ。シブチカだけは残してください。
シブチカの次に慣れ親しんだのが、八重洲地下街だ。なぜかわからないが、高校から大学時代まで、アルバイトは東京駅周辺が多かった。そのためか、八重洲地下街には、とても親しみを感じていた。2時間でも3時間でもブラブラしていられる。私にとって、脳のアルファ波を大量に出してくれる地下街が八重洲だ。
その八重洲地下街の居酒屋で、獅童氏似とランチデートした。
私は牡蠣の盛り合わせと生ビールを頼んだ。獅童氏似は、海鮮丼とチューハイだ。
獅童氏似は仕事を抜け出して、ここにきたから、普通はノンアルコールのはずだが、この日は飲んだ。
「ボク、もう覚悟を決めてますから」鼻息が荒かった。
獅童氏似の会社は、12月1日をもって、都市計画会社の傘下に入るらしい。
そのことを知らされたのは、社員一同4週間前のことだった。水面下で吸収が画策されていた。そのことを誰も知らなかった。
企業の駒である社員には、それは知らされないことが普通なのかもしれない。いちいち知らせていたら、会社が混乱する。
それはきっと、企業としては全うな方法なんだろう。
だが、新しい会社に移れるのは、限られた人だけだという。つまり、選別されたのだ。選別されなかった人は、新しい会社には移れない。
その手法に、獅童氏似は憤った。
獅童氏似は、選別対象に入っていた。新しい会社に移ることが決まっていた。だが、40歳以上の人のほとんどが、選別から漏れたのを知って、「そんな不公平な! 選別するのは能力でなくて年齢かよ!」と思ったという。
「俺たちが築き上げてきたものは、一体なんだったんだ。俺たちは荷物じゃねえ。選別されたからと言って、喜んでいられるか!」
「Mさん、選別されなかった人を中心に11人、俺たち会社に反旗を翻しました。11人で会社を立ち上げようと思っているんですよ。どう思いますか」
どう思いますも何も、もう決めているんですよね。ああ、そうですか、としか俺は言えないんですけど。
立ち上げるのは、同じイベント会社、広告代理店だという。
決めているのなら、俺の意見は無駄ですよね。
「いや、背中を押してくれる人が、俺には必要なんです。修羅場をくぐってきたMさんなら、ふさわしいかなと思って」
俺は、修羅場なんかくぐってませんよ。俺がくぐったことがあるのは、伏見稲荷の鳥居くらいですよ。
「で・・・どう思います?」
君は、いまの私の言葉を聞いていたのかな。伏見稲荷ですよ。
「Mさんが、フリーランスになるときのきっかけってなんですか」
伏見稲荷は、どこ行った。俺のボケを消す気か。
俺はね。3つの会社を経験したんだけど、どこでも「異物」だったんですよね。
会社の中では、それなりに評価されていたんだけど、自分の立ち位置は、太陽系の外を回っている放浪惑星だと思っていた。
いつも居心地が悪かった。
40を過ぎたとき、大学時代の友人たちに言われた。
「マツ、おまえ、最近我慢が顔に出てるぞ。俺たちが知っているマツは、いつも泰然自若として、どこ吹く風っていうマイペースの男だった。俺たちが知っている限り、一番我慢が顔に出なかったのがマツだよ。俺たちは、おまえのそんな姿は見たくねえな」
余計なお世話だとは思ったが、合点がいく意見だとも思った。
俺、生活のためだけに働いているよな。
俺らしさって何だ。
長年の友人の尾崎に言われた。
「おまえ、何がしたいんだ。生きているだけでいいのか。俺をガッカリさせるなよ」
独立した。21年が経つ。
最初は思ったほどはうまくいかなかったが、気分は楽だった。
俺は、俺の道を歩いているという感覚は、脳幹の真ん中に少しづつ埋め込まれていった。
やるか、やらないか。
やらない方がいい場合もある。
だが、やった方がいい場合の方が多い。
だから、獅童氏似さん、やっちまいなよ。
「ありがとうございます」と獅童氏似が深く頭をさげた。
生ビール追加、チューハイ追加。
また乾杯をした。
「ところで、Mさんにお願いです。会社を立ち上げたら、また仕事を頼みたいのですけど、よろしいですか」
ようござんす。こちらこそお願いしますよ。
「でも、俺たちの会社は、みんなのわずかな貯金や退職金をかき集めて最初は始めるんです。銀行には頼りません。十分な資金があるとは言えません。お客もすべて新規開拓です」
「だから、都合のいいことを言いますけど、仕事をしていただいたとしても、支払いは4ヶ月程度待っていただくことになります。それって、無理ですよね」
強面の獅童氏似の体が15パーセントしぼんだ。
だが、15パーセントしぼんでも、獅童氏似の姿には迫力があった。何かに賭けている男の決意が体からにじみ出ていた。
俺と獅童氏似さんのお付き合いは、もう6年以上ですかね。
「はい、それくらいには、なると思います」
6年って、友だちになるには十分な年月だとは思いませんか。
俺は、友だちを応援しますから。そして、信じますから。
そう私がいうと、獅童氏似は、勢いよく立ち上がって、75度の角度で頭を下げた。
頭が低いですよ。まわりが驚いているじゃないですか。
さらに、獅童氏似は頭を下げたまま言った。
「俺、2人目の子どもができました。来年の4月が予定です」
こんなところで、その話をブッこむのか。
ああ、それは・・・・・おめでとうございます。
そうそうコメントしなかったですが、前回も全部読みました。
劇的な結末、その後どうなりましたか?それより、
おめでとうございます、というべきでしょうか?
いやいや、ご愁傷様でしょうか?
引退して10年経ちました。
まだ働いている同期もいますから、はやばやと楽?隠居です。
それでも、仕事の話はある意味一番興味がひきつけられます。
「独立」、私もサラリーマンでしたから、魅力的な響きがあります。
引退後独立して仕事をと思いそれなりの準備をしましたが、
その内老後の趣味で結構忙しくなって止めました。
趣味に負ける仕事では駄目ですね。
私も50歳で一度転職しています。私はリストラでは
ありませんが、バブル崩壊後のことで、当時も
今と同じように、40,50代のリストラの嵐が
吹き荒れていた時期でした。
年齢的にはかなりチャレンジャブルなことで、
matsuさんの支援が大きな力となることと思います。
お仲間の独立、成功するといいですね。
先が見えないので、「払い込んでおきなよ」
とは断言できないのですが、以下参考まで。
フリーの時代に生活苦から国民年金を相当滞納し、
当時は督促が極めてゆるかったので、そのまま爺に!
んで、厚生年金、国民年金合わせた最低納付年限25年
をやっとクリアした状態のおらなので、
今になってじっと掌を見ているわけです。
そこらへんは、どうぞしっかりね、と。
ありがとうございます。
いろいろな人生、人それぞれの人生。
決めるのは自分ですよね。
後悔があったとしても人生は続きます。
誰もが納得いく人生を歩んでいるわけではないと思います。
ですが「俺は生きているんだ」ということを感じるだけで、その人生は有意義だと思います。
偉そうなことを言って御免なさい。
ありがとうございます。
独立は、人生のチャレンジのひとつですが、チャレンジは至るところにあります。
誰もが帰路に立ったとき、チャレンジの道が目の前にあります。
それは、きっと死ぬまで続くチャレンジなのでしょうね。
今日も生きている。
それもチャレンジのひとつ。
生きたいと思います。