リスタートのブログ

住宅関連の文章を載せていましたが、メーカーとの付き合いがなくなったのでオヤジのひとり言に内容を変えました。

天涯孤独のひと

2018-11-18 05:42:00 | オヤジの日記

慢性の寝不足が続いていた最近だったが、今週水曜日はグッスリ眠れた。だが、寝たら普通はスッキリするはずなのに、微妙な違和感があった。

 

その違和感を取り除くために、ランニングをしようと思った。LINEでランニング仲間のフリーランス・ドクターTに都合を聞いた。しかし「午後からオペなんで」と逃げられた。

仕方ない。一人で走ることにしよう。私を振った憎い一橋大学前の並木道を走ることにした。木々の葉は、100パーセント色づいてはいなかったが、紅葉を目に入れたことで、体の違和感が消えた。

 

水曜日は、2ヶ月ぶりの完全オフだった。今まで忙しくて先延ばしにしていたことを、昼メシの焼きオニギリと豚汁を食ってから決行することにした。

川崎の介護施設に入所している遠い遠い親戚のタカシさんに、原付バイクで会いに行くのだ。

タカシさんは、よく系譜は理解できないが、死んだ母の親戚だった。

今年の2月に、母が死んだことは知らせた。しかし、まだ実際に会っての報告はしていなかった。

タカシさんには、身内が一人もいなかった。母と私が、細いなりにも繋がっていただけだ。

タカシさんは、2年以上前、新潟で一人暮らしをしていたとき、火災に遭い、右足首に火傷を負った。足首は壊死状態だった。家は半焼したという。

一人では生活ができなくなった。だから、介護施設を探して、入ることにした。新潟には彼に適した施設がなかったので、医師の勧めで、新潟からは遠い川崎市高津区の施設に入ることになった。家も畑も全部売って施設に入所した。もう帰るところはない。

 

介護施設の談話室で、タカシさんに会った。

タカシさんに会うのは、今回で8回目だ。最初に母と一緒に会ったとき、気難しそうな人だな、と思った。口がへの字に曲がっていたから、そう思ったのかもしれない。いま、71歳。痩せ型、猫背で、絶えず貧乏ゆすりをしていた。

苦手なタイプだ。我が家系に、こんなタイプの人がいるとは、思わなかった。付き合うのは嫌だな、と思った。

今回会ったときも、口が曲がっていた。

そのタカシさんが、すぐにこんなことを言った。

「俺、若いとき、中学校の社会科の教師をしていたんだ。意外だろ」

意外だった。タカシさんに一番ふさわしくない職業だと思った。

「学校の教師の中で、生徒に一番嫌われていたんだ」と口を歪めながら自虐的に言った。

他の学校に転任しても、絶えず1番の嫌われ者だったらしい。

失礼だが、わからないこともない。

生徒に絶えず、辛辣なことを言っていたようだ。

たとえば、タナカ、おまえ社会科で二回連続で赤点とったろ。担任の俺に恥をかかせるなよ。それなのに、昼休みに校庭で遊ぶんじゃねえ。さっさと、教室に帰って勉強しろ!

ヤマグチ、セーラー服が皺くちゃじゃねえか、セーラー服は女の顔だ。まわりみんなが、おまえのこと、だらしない女だと思っているぞ、など・・・。

そんなことを、本人だけでなく、みんなの前で言うのだ。なかなか、いい教師だったようだ。

 

タカシさんは、公立中学校に勤めていた。住居も私の中目黒の実家から、500メートル程度の距離の借家だった。

しかし、偏屈者のサトシさんは、決して我が家には近ずかなかった。我が家には、元教育者の祖母がいたからだ。

普通の人には、とても優しい祖母だったが、教育者には厳しかった。

「教師は、生徒を最優先に考えるものです。誰もが親にとっては、大切なお子さんです。教師は、クラスを支配してはいけません。生徒の個性を見なさい。あなたは我が強すぎます。教師には向きません」

祖母に、そう言われて以来、中目黒の家には近ずかなくなった。

ただ、私の母は、ときどきタカシさんの家に様子を見に行っていた。いつも東急ストアで買った惣菜を5パック携えて。

「君の母さんは、穏やかな人だったね。分け隔てがなく、優しかった。誰をも平等に扱った。俺には絶対にできないことだ。俺は人をみんな敵かゴミだと思っていたからな」

 

タカシさんは、40歳で教師を辞めた。突然飽きてしまったと言うのだ。

「生徒に嫌われるのにも飽きてしまったし、孤独にも飽きた。目黒での暮らしにも飽きてしまったんだ」

そこで、新潟の実家に帰ることにした。身内も知っている人も誰もいない新潟に。

新潟に帰る日、母が見送りに来た。上野駅の売店で、母は弁当など色々な物を買って、タカシさんに持たそうとした。しかし、あまりにも多すぎて、手に持てなかった。

そこで、母は手に持ったビニールバッグを開けて、買ったものをバッグに入れ、タカシさんに渡した。

「たまには帰ってきてね」と母に言われて見送られた。

「俺は、情に流されない男なんだ。だから、ほとんど泣いたことがない。でも、このときは泣いたな」

座席に座っても、涙が止まらなかった。電車が走り出してからも10分くらいは泣いていたという。

泣いたあと、お腹がすいたので、弁当を食べようと思ってバッグの中を探ったら、封筒を見つけた。

中には、「体に気をつけて」の紙片と一万円札が2枚入っていた。それを見て、また泣いた。

 

新潟県では、幼稚園の事務員の職を得た。しかし、タカシさんは、そこでも孤独だった。偏屈な彼に近ずく人はいなかった。

そして、新潟の豪雪。雪かきだけでヘトヘトになった。疲れた。

人は心が疲れ、体も疲れると、死にたくなるようだ。

新潟に移り住んで2年が経った42歳のとき、タカシさんは、死のうと決意した。そして、死ぬ前に、私の母の声を聞きたいと思った。

電話をした。

母は、その電話で、全てを悟った。今まで一度も電話をしてきたことがない男が、突然電話をしてきた。母の勘が働いた。

母は、タカシさんが話す前に、こう言った。

「死んでもいいですよ。あなたは、親も奥さんも子どももいない天涯孤独のひと。死んでも誰も悲しまない。だけどね・・・あなたが死んだら、少し私が悲しみます」

それを聞いて、タカシさんは、死ぬのをやめた。

「だって、君の母さんを悲しませたくなかったから」

 

「だけど、俺は薄情な男だよ。君の母さんが死んだのを聞いても涙が出なかった。少しは悲しかったけどね」

そのあと、沈黙が続いた。

あまりにも沈黙が長かったので、車椅子のタカシさんの顔を覗き込んだ。

タカシさんは、声を出さずに泣いていた。そのあと、体を折るようにして、両手で顔を覆って泣いた。今度は、声を出して泣いた。

 

談話室の柱時計が4つ鳴ったとき、タカシさんが、顔を覆ったまま掠れた声で言った。

「サトルくん、俺は・・・」

そのあと、いくら待っても、タカシさんから言葉は出てこなかった。

私は、タカシさんの背中をさすりながら、「また来ます」と言って、施設を後にした。

 

 

「サトルくん、俺は・・・」

 

そのあとタカシさんは、何を言おうとしたのだろう。

 


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