むくむ

最近足がむくんでいて,少々困った状態に陥(おちい)っているのであるが,その足の状態とともに「むくむ」という言葉がなかなか頭から出てくれなくてそちらででも困ったいる。

「はれる」という言葉はすぐ頭から出るのに「むくむ」という言葉がなかなか出ないのだ。出てしまえば,「むくむ」も「はれる」も同じくらいなじみのある言葉なのにどうしてなのだろうとずっと考えていた。

「むくむ」は漢字で「浮腫む」と書くが,漢字の浮腫むがまず頭にイメージできていない。「浮腫」と「ふしゅ」という用語は常に連結していて頭の中でいつでも思い浮かべることができるのに,「むくむ」と「浮腫む」は頭の中でほとんど連結していない。「むくむ」という言葉が1文字の漢字と対応していたら,もっと様子は違っていたかもしれない。

多くの日本人がそうであろうと想像するのであるが,私たちは言葉を漢字というイメージとかなという音列の両方で頭の中に保持している。漢字とかなは頭の中でそれなりに強く連結しているが,連結が弱くても一方が頭の中で確固たる位置にあるならば,それから類推してもう一方の方を呼び出せる気がする。

しかし「むくむ」も「浮腫む」もそれぞれは私の頭の中にぼんやりとしかなく,その連結も弱い。だから自分の足の状態には確固たる認識があるのであるが,それを表す言葉が出てこない。それでは病院に行って説明するときに困るから,手帳にむくむという言葉を書き,ことあるごとに手帳を眺めている。

(2019年8月16日 金曜日 晴れ)