渡辺幸一と金纓

いつもは丸亀市の飯山図書館を利用しているのに,どうゆう訳かここ何週間か宇多津町の図書館を利用している。又吉直樹のまだ発売されていない小説「人間」の書評が毎日新聞に出ていると知って,飯山図書館に見に行ったのだが,あいにく飯山図書館は休館日になっていて,それで宇多津図書館まで出向いたのであった。

なぜ,まだ発売されていない書籍の書評がでるかというと,関係者にだけ配る試作本みたいなのがあるらしい。書評家はそれを読んで,さっそく書評におよんだようである。

新聞に掲載されたその書評は面白く読んだが,せっかくいつも来る図書館とちがう図書館に来たのだから,どのような本が収納されているか,見てみることにした。そのとき借りた遠藤周作のエッセイ「人生の踏絵」は最初の章に「沈黙」を書いたいきさつを記していて,面白かったが,次章以降はやや難解なキリスト教小説の話題になり,途中で放り出してしまった。

つぎに図書館へ行ったおり,渡辺幸一のエッセイ「イギリスではなぜ散歩がたのしいか?」を借りた。このエッセイはイギリスでの日常の暮しをユーモアを交えながら記してあり,楽しく読んだ。内容もさることながら,この著者が日本からイギリスに家族をともなって移住している事実に興味を持った。移住の苦労話もほんのすこしだが記しており,このような人生を送る人の気持ちの中味を想像するのが楽しかった。

つぎに借りたのが金纓(キムヨン)のエッセイ「それでも私は旅に出る」である。金纓は韓国人であるが,韓国に留学していた日本人と結婚し,二十歳をすぎてから日本に移住してきたひとである。キリスト教の女性牧師をしていたが,夫に先立たれ,子らはりっぱに成人したので,旅にでたという話である。その話じたいも面白いのだが,彼女の人生にも興味を持った。

渡辺幸一にしろ,金纓にしろ,私と違った人生を送っており,その苦労はいろいろあるだろうが,思い切った人生の送り方に感服せざるを得ない。2人のエッセイは私に新しい視点を与えてくれた。

(2019年10月3日 木曜日 曇りときどき雨)