「いいことをしよう」とか

「人を幸せにしよう」とか

「うまくいかそう」とか

 

 

しなくていいんですね

 

 

 

「いいこと」も

「人を幸せにすること」も

「うまくいくこと」も

 

 

する(なる)ようになっています

 

 

 

ただ、「自分の自然体」に任せればいいワケです

 

 

 

「何かしよう」とか思わず

自然体で生きて、やっていることが

 

 

 

「いいこと」だし

「人を幸せにすること」だし

「うまくいくこと」です

 

 

 

 

ただし、「何でも」「誰にでも」というわけにはいかないんですね

 

 

「何でも」「誰にでも」と思うから

 

 

できないことや

したくないことまで

 

頑張ろうとしてしまいます

 

 

 

ミカン畑からは

ミカンしかできません

 

 

なのに

 

 

ミカン畑から

ブドウも、リンゴも、柿も

 

収穫しようとするから

 

 

 

たくさんの「頑張り」が必要となり

なのに、それに見合った収穫が得られないという「悩み」が生まれます

 

 

 

「わたし」という畑からは

「わたし」らしいものしか

収穫できません

 

 

 

それは「頑張らなくても」

「たくさん収穫できるもの」ですね

 

 

 

多少の管理は必要で

 

 

「わたし」という畑に

水をやり雑草を抜くぐらいのことは

してあげないといけないかもしれないですが…

 

 

 

ただ後は放っておいても

 

成るものは成るし

成らないものは成らないんですよ

 

 

 

ある意味、教育って

 

 

みんな一同に

ブドウもリンゴも柿も

収穫できるようになろうっていうものだから

 

 

ミカンばかりたくさん収穫できる「わたし」を

否定されることもあったかもしれない

 

 

 

でも大人になったら

ブドウもリンゴも柿も止めて

 

 

ミカンだけ

収穫したっていいですよね

 

 

 

 

 

「いいこと」も

「人を幸せにすること」も

「うまくいくこと」も

 

 

毎年ミカン畑に

ミカンが成るように

 

 

 

「わたし」でいる限り

 

 

「わたしなり」に

 

 

したくなくても

 

 

し続けるものですからね

 

 

 

だから

 

 

ブドウやリンゴや柿に

浮気しちゃだめですよ(笑)

 

 

 

「頑張り」って

ある意味「自分に対する浮気」かもしれないですね

 

 

 

ヨソばかり見ていると

自分自身が嫉妬してしまいますよね(笑)

 

 

 

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