先日、四天王寺を建てる前に、物部守屋の屋敷があったという話をたまたま読みました。
しかもそのあたりは物部氏と蘇我氏(&聖徳太子)が戦った場所だそうです。
なんでそんな当たり前のことに、気づかなかったんだろうってなりました(笑)
以前も書きましたが、初めて四天王寺に行った時、ものすごい違和感を感じました。
仏教のお寺なのに、何か所か神社のご神気を感じたからなんです。
以前物部守屋の屋敷があったということは、屋敷内に神社があってもおかしくないし、そもそも物部氏は日本で最も古い、神社推しの家系です。
最初は日本初の仏教寺院だけど、その前は神社だったのかな?くらいにしか思っていませんでしたが、なんかすごく納得しましたー。
それで饒速日さまの御神気かーってストンと腑に落ちました。
物部氏の祖は饒速日さまと言われていて、物部氏の末裔が宮司をされている石上神宮を連想してしまうので、奈良って考えてしまうんですが、物部氏の本拠地は河内から生駒あたりだったそうです。
なのでどちらかというと奈良というより大阪寄りになります。
以前生駒行った時に知りました。
初めて行ったのは生駒聖天に引っ張られたからなんですが、そもそも生駒聖天がある生駒山自体(というか周辺?)が饒速日さま(正確には生駒の豪族ナガスネヒコ・・?)の本拠地です。
そういえば生駒近くの石切剣箭神社にも以前行ったことあります。
そこの神社さんの御祭神ももちろん、饒速日さまとウマシマジ(饒速日の御子神)さまで、宮司さんも物部氏の末裔のようです。
初めて生駒を知ったのは聖天さまで、ブレスのワークショップをしたのも生駒でした(笑)
今思うとなんで生駒ってなりますが(笑)
知らなかったとはいえ、やっぱり物部系の場所には引っ張られてるんですよねぇ・・。
今回調べていて石見物部氏、尾張物部氏、備前物部氏、下総物部氏・・のことを知りましたが、全部行ってるわってなりました。
今思うと、大神神社に行くといいよって言われたのも、そっちから引っ張られていたと思います。
石見の物部神社に行った時に後ろでやりとりしてるのが視えて、前々から感じてはいたんですが、後ろの巫女さんは物部関係の人だろうなというのはありました。
前世供養で無意識に神社をまわってたんでしょうね。
という一人で納得するための自己満足な記事でした。
なんかほんとすっきりした(笑)
ちなみに饒速日さまは神武東征の神話にも出てくる神様ですが、もし饒速日&ナガスネヒコが勝っていたら、今の皇統は天照(神武)さまの皇室じゃなくて、物部系になってたかもしれないですね。
そうなると皇室の神社は伊勢ではなく、奈良や石上神宮になってたかもしれないと考えると、ちょっと面白いなーと思いました。
ていうか奈良っぽい写真が今回、なぜかこの三枚しか見つからなかった(笑)
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